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6:第二外国語はドイツ語です

「……よし。パパたちが帰って来るまで、この部屋ごと封鎖しよう」

 鼻を赤くした青衣が雄々しく仁王立ちとなり、そう宣言した。しかし傍らの千聡は渋い顔だ。

「お部屋を封鎖されている間、お嬢さんはどこでお過ごしになられるのですか?」

 青衣は虚空をにらんで黙り込み、しばらく考えた。そして千聡を上目に見つめて愛らしく微笑むと、両手を顔の前で合わせる。

「千聡の――」

「無理です」

 無表情かつ、食い気味の即答である。

「なんだよその顔、ちょっとは検討してよ!」


 地団駄を踏んでごねる彼女に注がれるのは、とっても冷ややかな目だった。

「私にあらぬ疑いをかけられるのは、甚だ不本意ですので。絶対に何があろうとも断固として嫌です」

「そこは嘘でもさ、わたしの名誉のためとか言わない?」

「人狼、嘘つかないので」

「……二十年間一緒にいて、初出しの情報なんだけど。それこそ嘘だろ」

「てへっ」


 千聡はおどけた表情を装い、小首を傾げて舌を出している。今度は青衣が白ける番だった。

「……ぶりっ子しやがって」

 白けた顔のまま、そう言って舌打ちをする。彼はなまじ色気があるため、自分のおねだり顔より可愛い気がしたのだ。それがますます気に食わない。

「じゃあまあ、いいよ。客室で寝るし、最悪リビングでもいい」

 ここ鹿路邸は、使用人が何人もいるほどには広い。

 なお当主夫妻が旅行中の今は休みを取る者が殆どのため、珍しく閑散としていた。それでも普段から客室は清潔に保たれているので、仮住まい先には持ってこいである。


 真っ当な妥協案を提示され、千聡もぶりっ子フェイスを解除して一つ息を吐く。

「それなら問題もないかと。旦那様方と木野さんには、私から事の次第をお伝えしておきます」

「うん、ありがとう」

 護衛の許可も出たので、青衣は早速クローゼットを開けた。両親が戻るまでの、数日間の着替えを手近なボストンバッグに詰め込む。

「ところでお嬢さん。こちらのテレビとゲーム機はどういたしますか? 電源コードを念のため、差し直しておきましょうか?」

 着替えには当然下着も含まれているので、千聡は視線をそっと明後日に放り投げて尋ねた。羞恥心に欠ける相手が護衛対象だと、何かと気遣いが増えるのだ。


 青衣はコンセントから抜かれ、床に転がるコードどもを一瞥した。そして鼻で笑う。

「電気代食うのも癪だし、抜いたままにしてやろう」

「肝が小さい割に幽霊へ抜かりなく嫌がらせをなさるとは、さすがです」

 化粧ポーチをバッグへ詰め込む青衣が、小さな顔をしかめる。

「小馬鹿にしやがって」

「いえ。お嬢さんのそういうところが、私は好きですので」


 淡白な口調だが、千聡の横顔が浮かべる表情は柔らかい。青衣の口元もつられて緩んだ。

「……ふうん。ありがと」

 ここで粗方の日用品も詰め終わり、青衣がボストンバッグを肩に引っかけ――ようとして、千聡にひょいと取られた。

「荷物持ちぐらいはいたしましょう。鈍くさいお嬢さんの場合、バッグごと転倒しかねませんので」

「一言多いけど、一応ありがとう」

 青衣はしたり顔へ嫌みに礼を返し、部屋のドアノブを掴む。

 しかしそこは、どれだけ力を込めても微動だにしなかった。


「……動かない」

 たちまち、彼女の顔色から血の気が失せていく。千聡もたれ目を丸くした。

「おや。ホラー作品でよくお見かけする展開ですね」

「やめて、フラグみたいなこと言う――」

 青衣の語尾に被さるようにして、どこからか声が漂ってきた。

「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ出るな駄目だここにいろ駄目だ捨てるなここにいろ駄目だ駄目だ駄目だ」

「いぎゃあ!」

 しわがれた男性の声がブツブツと、念仏のように二人へ訴えかけて来る。声の出所は――分からない。


 裏返った悲鳴を上げ、青衣は千聡へしがみつく。一方、この手の現象には耐性のある千聡は、青衣の頭を撫でつつ首を傾げた。

「ここはひとつ人狼の馬鹿力を使って、ドアを蹴破ってみましょうか?」

「だっ、駄目ッ! オオオオオッ、オバケは刺激しないでおこう! ねっ?」

 青衣は瞳孔のかっ開いた目で、鼻息も荒く叫ぶ。歯もガチガチと鳴っていた。下手な幽霊より怖い形相である。千聡もうっかり笑いそうになってしまったが、空咳でごまかした。


「……千聡、今笑ったよね?」

 が、ばっちり気付かれてしまった。千聡はそつのない愛想笑いを装う。

「申し訳ありません。Vシネマの悪役のような形相でしたので、つい。薬物中毒のチンピラ役にもってこいの、素晴らしい迫力でいらっしゃいましたよ」

 素直に褒める千聡だったが、無言の青衣に殴られた。その形相は、ヒットマン役も出来そうな代物だ。


 暴力ついでに暴言も吐こうか、と青衣が息を吸い込んだ時――テレビ画面からピコン、と電子音がした。二人の視線がほぼ同時に、音のした方向へ流れる。

 先ほどは廃屋を映すだけだったテレビ画面に、セーラー服を着た眼鏡の女の子も映っていた。背景の廃屋は実写だが、女の子はイラストだった。絵柄にほんのりと、時代の流れを感じてしまう。


〈さあ、先生。ここの事件の真相を調べましょう〉

 そしてバストアップで映る女の子の下に、そんなメッセージが表示されていた。

「先生……?」

「お嬢さん、教員免許をお持ちでしたか?」

 千聡の問いに、青衣はゆるゆると首を振った。

「ううん、まだ二年だし。ってか、教育学部じゃないし」

 なお彼女は洋画好きが講じての、外国語学部所属である。そして教員免許を取る予定も、特になかった。

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