思わず叫んだ青衣の目を見て笑い、木野が首肯した。
「うっす。知り合いの息子さんの遺品なんすけど、遊ぶと怪奇現象が起きちゃうらしくて。だからずっと、押し入れに眠らせてたそうっす」
「それは……ゲームの内容がアレ過ぎて、幻覚が見えちゃったとか……」
ためらいながらも、青衣が暴論仮説をぶち立てた。
なにせインフルエンザに罹患した『モーコン』である。あり得ない話ではない。
しかし木野は、申し訳なさそうに首を振った。
「ならよかったんすけど――いや、それもよくないっすけど。実際起きたのは、テレビからオッサンのうめき声が聞こえたり、ヤバそうな廃墟が映ったりとか、ゲーム内容とあんまり関係なさそうな現象らしいっすね」
青衣は「廃墟」という言葉で、先ほど自身が見た映像を思い出す。無意識に大きく体を震わせた。彼女がそのまま崩れ落ちないよう、千聡が優しく背中を支える。
怯える彼女に代わって、千聡は木野に尋ねた。
「ではこちらでそのゲームをお預かりして、除霊を行ってほしいということでしょうか?」
「あ、いえいえ、そこまでは!」
木野は無感情な千聡の声にほんのり怯み、両手を左右に振るジェスチャーをした。
「旦那サマたちがラブラブ旅行中だってのは知ってるんで、とりあえず心霊現象がガチかどうかだけ調べてもらえると嬉しいっす。ほんとに呪われてるなら、旦那サマが帰って来てからまた頼みますし」
このソフトの持ち主である木野の知り合いが、今月末に引っ越す予定なのだという。そのため息子の色々いわく付きなこの遺品も、売るなりお祓いするなり、どうするべきかだけでも先に知っておきたいらしい。
肝心の除霊は
「むむむっ、無理だから! そんなの、調べるなんて……わたし絶対無理!」
青衣は悲鳴混じりに拒否して、千聡にしがみつく。が、こういう時の彼は冷たい。
思考の読めない薄い表情で、自分の背後に隠れようとする彼女を前に押し出した。
「ちょっ、まっ……千聡、押さないで! ぬおぉぉっ、力強っ!」
「嫌です、押します――ところでお嬢さん。奥様も旦那様もゲームにはとんと無関心ですよ。未だに全てのゲーム機を、スーファミとお呼びになる人種でいらっしゃいますから」
「だから、何! 調べるぐらいパパたちだって出来――」
「それこそ無理でしょう。おそらくゲーム機の電源を入れる段階で
「うっ……」
淡々と告げられる未来は、青衣も容易に想像できるものだった。だって両親は未だに、スマートフォンの操作すらままならないのだから。
途端に彼女の肌が、青を通り越して白になる。
逃げ場なしと悟ったらしい彼女の顔をのぞきこみ、千聡が珍しくにっこりと微笑む。甘い顔立ちがますます甘くなった。
よくよく窺うと目だけは瞳孔ガン開きで、面白がっているのが明白だったが。
「嫌なことは、さっさと終わらせるに限りますよ? それにゲームを調べるだけでしたら、座られたままでも行えます。腰が抜けても問題ないですね」
半笑いで事の成り行きを見守っている木野は、内心で
(この人、鬼じゃん)
と考えていた。ただ面白いので、もちろん青衣を助けるつもりはない。
青衣は涙目のまま怒り顔になって、鬼に反論する。シャボン玉のように儚い抵抗だ。
「ト、トイレに行きたくなったらどうするの! 冬場はね、トイレ近いんだよ! 女の子のか弱い膀胱、なめんなよ!」
「ふむ、そのご指摘はごもっともですね。ではオムツも用意いたします」
この男ならやりかねない――長年の付き合いからそう察した青衣は、頭を抱えて絶叫した。
「いーやー! 乙女の尊厳が! 破壊される!」
「元々ないものは、破壊しようがないですよ」
酷い言い草である。ただ実際、髪を振り乱してゴネる姿に、人としての尊厳は感じられなかった。
勝機を見た木野も、ここで揉み手の
「お願いしますよ、青衣サマー! ひょっとしたら知り合いの勘違いって可能性もありますし、現代っ子の青衣サマでないと調査ムズいんすよー! マジで今、青衣サマだけが頼りっすー!」
この言葉で、青衣の自尊心が揺らいだ。
なにせつい先日も、両親の期待を裏切ってガッカリさせてしまったばかりである。おまけに自己嫌悪に陥っていた今、自分にしかできない仕事という存在は――悔しいけれど魅力的だ。
青衣は自分の細い体を抱きしめてしばらく悩んだ末、ボサボサになった髪をかき上げて木野を見上げた。
「……何か起きたら、そこですぐ止めるよ? わたしに除霊なんて無理だし……それでもいい?」
「うっす、全然オッケーっす!」
「それなら……まあ、いいけど……」
「あざっす! 青衣サマ、マジでいい女ー! 三国一の美女っすねー!」
木野が顔を輝かせ、実に調子のいい口調で青衣を称賛した。が、そのまま青衣に抱き着こうとして、千聡に顔面を鷲掴みされる。
「木野さん、お嬢さんに近づき過ぎです」
千聡は薄い表情のまま、淡々と言った。しかし先ほどまでとは一変し、目が全く笑っていない。顔を覆う指の間から目が合った木野は、たちまち背中にヒヤリとしたものを感じた。
「ごめっ……でも痛い! ちーちゃん、握力すっご! リンゴ潰せちゃう感じ?」
「クルミも割れますよ。すぐにお嬢さんから離れてください。あと五メートルほど」
「それ玄関から外に出ちゃうよねっ? お願い、せめてもうちょっと手緩めっ……出ちゃう、頭蓋の間から
陰気な千聡の声と、木野の悲鳴がおっかない二重奏を奏でる。
だが男二人のこの小競り合いは、青衣の耳には一切届いていなかった。
自己肯定と褒め言葉に飢えている今、青衣はノリが軽すぎる賛辞ですらちょっと嬉しかったのだ。よって高い天井を陶然と見上げて、しばし悦に入っていた。