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2:怪電波キャッチ

 青衣が朗らか地縛霊 (ただし片目がまろび出ている)との対話を試みて、見事に失敗してから一週間が経過した。

 大学の冬休みに突入した青衣は、リビングの大きな三人掛けのソファに寝転がっていた。ソファと向かい合う形で置かれた大型テレビでは、『ホーム・アローン』が流れている。マコーレー・カルキン君演じるケビン少年が、絶妙なうざったさで店員に絡みながら歯ブラシを買う様子を、虚無の顔でぼんやりと眺めていた。


 青衣とて、己が不甲斐なくて仕方がなかった。

 両親の役に立ちたい気持ちは、もちろんあるのだ。自分に除霊師の素質があることも承知している。適性のある仕事の方が、長く続けられるだろうとも考えている。


 が、それはそれとして。幽霊がとにかく怖いのだ。

 土気色ののっぺりした顔と見つめ合った途端、親への愛情や将来への情熱・希望といったものがすっぽ抜けてしまうのだ――ついでとばかりに、腰も抜けてしまうのだが。

(あーあーあー……わたし、なんでこんなに気が小さいかなぁ……マコーレー君ぐらい傍若無人になれたらなぁ)

 我が家を守るため、泥棒の殺害も辞さないであろう少年に憧れの目を向けた。彼はきっと、鶏皮に恐怖したことなどないだろう。


 そしてそんな青衣のつむじを、ワイシャツの上からエプロンを身にまとった千聡がじいっと見下ろしていた。彼は昼食の準備中なのだ。

「お嬢さん、本日の修行はよろしいのですか。旦那様と奥様もご旅行へ出られる前に、がっつり釘を刺されていたかと思いますが」

 今でもラブラブ仲良しな青衣の両親は、二人で一週間の温泉旅行に出かけていた。青衣は千聡へと振り返り、ヘッと鼻で笑う。


「そんなもん、ちゃんと朝一番にやってまーす。匂いで分かってるでしょ」

「では学校の宿題は?」

「大学生の冬休みに、そんな野暮なものはない!」

 青衣は身を起こし、千聡の無表情を指さす。千聡はかすかに首を傾げた。

「それもそうでしたね。とはいえ――」

 彼の視線が、青衣のお腹辺りに落ちる。寝転がりながら貪っていた、ポテトチップスの袋が胡坐の上に鎮座していた。ついでに彼女の着ている紺のニットワンピースにも、ポテチのカスがちらほらと。

「ソファでのんべんだらりとお菓子を召し上がる、怠惰の象徴のようなお姿はさすがに鹿路家の跡取りとして……いえ、花の大学生としていかがかと。日曜日のお父さんじゃないのですから」


 低音かつ穏やかな口調から繰り出される嫌みに、青衣はぐぅっと喉の奥をうならせた。

 が、彼を指さしていた腕をブンブンと振って、破れかぶれに言い返す。

「いいのっ。今の私は自分の情けなさに打ちひしがれて、やけ食いしてるんだから。たまには大目に見てくれや!」

「でしたら大目に見ますが、あまりやけ食いばかりなさらないで下さいね。腰が抜けてしまわれたお嬢さんをお持ち帰りするのは、私なのですから」

「……どういう意味よ」

「二十キロも三十キロも太られますと、さすがに私の腰も無事ではいられないかと思います。何事もほどほどが肝要ですので」

「そこまで太るか! フードファイターじゃないんだぞ!」


 無礼千万な護衛にフンガーと吠えた青衣だったが、その後で飲み物をお替りしようとした際に、つい炭酸ジュースではなくほうじ茶を選んでしまった。脳裏によぎったのだ、己の摂取カロリーが。

 ただ千聡が減らず口なのは、今に始まったことではない。

 気が付いた時にはもう

「忠誠心が売りの種族のはずなのに……こやつ、わたしを雇用主の娘と分かって言ってるのか?」

と訝しんでしまうほど、軽口を叩かれまくっていた。

 そして彼のそんなところが、案外気に入っていたりする。今日のように本気で腹立たしいことも少々……いや、多々あるが。


(いやまあ、たしかに抱っこしてもらってるのは、毎回申し訳ないなぁって思ってるけど! けども!)

 つい怒りが再熱しかけるも、テレビ画面では母と子の感動の再会シーンが映し出されている。青衣は心温まる光景を見つめ、怒りの浄化に努めた。

(あんなに頑張ったお母さんなのに、結局他の家族も数分遅れで帰って来るという徒労オチがいいんだよねぇ……変な音楽バンドの変な曲まで聞かされながら、帰って来たのにさ)

 そんな捻くれた感想をしみじみ胸に抱きながら、やがて始まるエンドロールを見守った。


 が、青衣が穏やかさを保てたのも、そこまでだった。

 画面に突然、ノイズが走ったのだ。

「えっ? なに、これ? 故障?」

 思わず素っ頓狂な声を上げ、テレビへと身を乗り出す。彼女の異変に、キッチンでカレー作りに勤しんでいた千聡も気付いて速足でやって来る。

「どうされました、お嬢さん?」

「千聡、これ……」

 かすかに震える青衣の指が、ノイズの治まったテレビ画面を示した。


 先ほどまでエンドロールを映していたはずなのに、現在映っているのは何故か日本家屋だった。

 しかも荒れ放題の庭に囲まれた、廃屋と呼ぶにふさわしいうらぶれた二階建ての家だ。最初は庭も含めた家屋の全体図が映され、カメラは徐々に家へと近づいていく。玄関には「新居園」と書かれた、朽ちかけた表札が掲げられていた。

 ――にいその、と読むのだろうか。


 青ざめてソファの上で縮こまる青衣とは対照的に、千聡はピンクのエプロン姿で姿勢よく立ったまま、はてと顎に手を添えた。

「奇妙な映像ですね。『ホーム・アローン』に日本家屋は出て来ておりましたか?」

「出て来てないよ」

「ですよね。ちなみにお嬢さん、こちらは違法ダウンロードされたカルキン氏ではありませんか?」

「マコーレー君をカルキン氏って呼ぶの、たぶん千聡だけだと思うけど……ちゃんとサブスク配信されてる、合法のマコーレー君だよ」

「なるほど、合法カルキン氏ですね」

「なんでそんな頑ななの」

 青衣の両親も映画好きなので、映像配信サービスには加入している。わざわざ違法あるいは、脱法マコーレー君のお世話になる必要はないのだ。


 映画の合法性を論じている間に、画面は廃屋の玄関から庭に面した窓へと回り込んでいた。割れた窓ガラスの向こう側の、仄暗い室内に人影がある。炭のように真っ黒な人影だ。

 ひゅっと、青衣の喉が鳴った。同時に千聡がソファの隅に置かれていたリモコンへ腕を伸ばし、停止ボタンを押した。テレビ画面が、『ホーム・アローン』の作品詳細ページに変わった。


「今、人……映ってた、よね……なんか、黒い人……」

 カタカタと震える青衣は、ソファの背もたれから身を乗り出すようにして千聡のお腹にしがみついた。千聡もリモコンを戻すと、彼女の頭頂部を右手で撫でつつ、一つ頷く。

「映っていましたね。割とはっきり」

「あれって幽霊、だよね? 千聡、匂いは?」

 青衣が視線でも縋りつくが、あいにく千聡の表情は冴えない。


「すぐに画面を切り替えたので、したと確信できるほどでは。元々お屋敷内には、旦那様方が管理されている使い魔の気配もありますので」

 彼の鼻をもってしても、霊の仕業とは断言しづらいようだ。

「そっか……そうだよねぇ……」

「ただ現在、悪霊の匂いはありませんので。ここは何らかの不運が重なり、うっかり怪電波を受信しちゃった程度に考えておきましょう」

「そんなこと、あるの?」

 青衣は胡散臭そうに顔をしかめている。千聡が姿勢を正し、左の人差し指をピンと立てた。


「お嬢さんが現役で志望校に合格できたのです。世の中、何が起きても不思議じゃありません」

「そのたとえは……否定しにくい! ちくしょう!」

 現に当人である青衣本人が、大学合格に一番疑心暗鬼だったのだ。般若の形相になり、歯ぎしりするより他なかった。

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