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第37話

 いかに悪鬼のような暴れ方をして近寄り難くとも、倒れているのならばそれほど怖くない、と溝尾軍の兵が信澄に殺到しようとする。


「させるか!信澄殿を救え!」


 数十の騎馬隊が溝尾軍の一角を突き抜けて信澄の下へと集まってきた。


 後方で逃げてくる兵を収容し、態勢を立て直していた蘭丸が、信澄が戻ってこないことを危惧して五十騎ほどを率いて救援にきたのだった。


 新手の、それも勇猛果敢な騎馬隊の登場に、溝尾の兵は再度逃げ惑った。


「痴れ者が!数ではこちらが勝っているのだ!逃げずに戦え」


 あまりの弱卒ぶりに溝尾は苛立ち罵倒した。


 蘭丸は悠々と信澄を馬の背に乗せ、来た道を戻るぞと部下に指示をだす。


「戦え!戦わぬ者は軍法により処罰する!大将首を穫り功を挙げよ」


 溝尾の威圧的な鼓舞で兵らは蘭丸の退路をふさぐように群がりだした。


「ちっ」


 蘭丸が舌を打つ。


「森蘭丸、そのまま逃げておれば良かったものを。むざむざと死にくるとはな」


「貴様ごときに我が首穫れると思うてか」


 蘭丸は部下と馬を替えると、そう叫んで溝尾へと突進していった。


「小僧!舐めるな」


 溝尾も刀を抜き、馬を走らせる。


 二人が交差する。刀と刀がぶつかり合う。


 若さ溢れる蘭丸の剣術と老練の巧みな剣術は一合目は互角であった。


「勢いだけなら猪の方がましだな」


「刀に振り回されているのではないか?素直に隠居せい」


 互いに誹り、挑発する。


 続けて馬を返し、再びぶつかり合う。


 今度もまた互角であったが、蘭丸は馬体を溝尾の馬にぶつけた。


 溝尾はよろけながらもなんとか体勢を戻し、馬をなだめた。


「騎乗もままならなくなったか」


「ふん、ただ馬を走らせるだけなら、童でもできるわ」


 そして三度目。


 溝尾は蘭丸の間合いに入るなり、急に馬を曲がらせた。蘭丸の攻撃はぎりぎり届かず空振りした。


 溝尾はその蘭丸の背後に馬をつけ、追った。


「これが騎馬の技だ。さあ死ねい」


 溝尾の馬は速度を上げ、蘭丸の利き腕とは逆の左後方から追い上げる。


 蘭丸は手綱を右に持ち替えると、腰から脇差しを抜き、それを口にくわえる。


 更に腰から鞘を外して、溝尾の馬の足元目掛け放り投げた。


 鞘は見事に馬の足を引っ掛け、それに戸惑った馬が上体を起こし、両前足を高く掲げて立ち止まった。


 溝尾は振り落とされないように、しっかりと首にしがみついている。


「小癪な!」


 蘭丸はその隙に馬を御して、溝尾と向かい合うよう体勢を立て直した。


 溝尾がようやく暴れた馬を制すると、それを待っていたとばかりに蘭丸が斬りかかる。


 だが大将の危機とばかりに数名の将校が蘭丸の前に立ちふさがり、行く手を阻んだ。


 将校らは槍を突き出し馬を威嚇し、それにより馬はうろうろとするばかりであった。


「邪魔立てするな!」


 蘭丸がそう叫んだところで道を開けるわけはない。


「おぬしら、そのまま足を止めておけよ」


 溝尾は部下から弓を受け取り、矢をつがえると蘭丸に照準を合わせた。


 矢の一本くらい、飛んでくる場所がわかっていれば、撃ち落とすことは簡単なことではあるが、足元の兵らの牽制が難度を上げる。


 矢が放たれた。一直線に蘭丸の胴に向かい飛んでいく。


 蘭丸は刀でこれを撃ち落とすことに成功したが、足元の槍まではかわしきれずに負傷した。



かすった程度で深い傷ではないが、痛みがわずかながらも動きを鈍らせる。


 二本目の矢が放たれ、これは蘭丸の顔の横をすれすれで抜けていった。

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