そう判断した蘭丸は、
「畏まった」
と、あっさり引き受けた。
そうと決まると、秀満は信澄と信忠に使者を派遣した。
信澄は返事代わりにさっそく自軍を率いて秀満隊と合流し、蘭丸を副将として溝尾隊と対峙するように陣を敷く。
陣を敷き終えるのを見届けた秀満は、訝しむ蘭丸をようやく説得し、政近を連れ出すことに成功すると、その案内で光忠の下へと闇夜を駆けていった。
「蘭丸殿、秀満殿を待つまでもなく、溝尾殿を直接説得してはいかがであろう?」
信澄は軍功を挙げたいのか、落ち着かない様子で歩いては腰を掛け、そうかと思ったら再び歩きだす。
「秀満の策が成れば戦わずとも自壊しよう」
とりあえず秀満を待てと、蘭丸が制止する。
「そうなのだが、そうなると軍功は秀満殿の物ではないか。我らは何もせず待機していただけになる」
「そんなに焦らずとも、功を挙げる機会などこの先いくらでもあろう」
逸る信澄をなだめるが、どうにも止まらないらしい。
「一度で良い。試させてくれぬか?」
軍の総大将である信澄が頭を下げてまで頼み込んでくるものだから、副将たる蘭丸にはこれ以上は為す術がない。
「わかりました。そこまでされては許さぬわけにはいかないでしょう。一度きり、それも危険を感じ取ったら即刻中止しますぞ」
蘭丸の言葉を聞き、信澄ははしゃぐ童のように嬉々として準備に取りかかった。
「信長公は貴殿らを赦免してくださるとのこと。気が変わらぬ内に降られよ」
この文面に信澄の名を連ねて、部下に矢文を送らせた。矢文は藤田行政の守備する場所へと飛んでいった。
兵が拾い上げ、藤田へと手渡す。
藤田も信長がこの世にいて、曹操と同盟していることは知っていたが、許されるはずもないと半ば諦め、敵対も致し方なしとしていた所にこの文である。
「あの軍は信澄殿の軍であったか。しかし……」
藤田は主筋である信澄に懐かしさを感じたものの、この文の内容には疑心を抱き、そのまま溝尾の下へと文を持ち向かった。
溝尾はこの文を読むと一蹴し、破り捨てた。
「くだらぬ甘言を。あの信長が我らを許すはずもない」
苦々しい顔で吐き捨てる。
「やはりそう思われるか」
藤田もその意見には同意であった。
「だが、このまま戦局を膠着させておくのも袁尚殿に申し訳ない。和議に応じると見せかけて呼び寄せ捕らえよう。そうすればあとは腰巾着の蘭丸だけだ。恐れることはない」
「異論はないが、あちらには政近が捕らえられているのでは?」
「政近一人の命と我らの勝利は天秤に掛けられまい」
「うむ……そうなのだが」
溝尾の案は申し分なく、戦に滅法強い信澄を捕縛さえしてしまえば、残るは指揮官として未知数ではあるが経験の浅い蘭丸のみとなり、明智軍の中核を担った溝尾、藤田の敵ではない。
また信澄とは互いに知らない仲ではないし、こちらの説得に応じてくれよう、と淡い期待を抱いていた。
政近を見捨てることになるのも戦国の習いとしてやむを得ぬ部分はあるが、以前ならば味方の救援を真っ先に提言していた溝尾らしからぬことが気にかかる。
「文を書き信澄をおびき寄せよう」
藤田の曖昧な返答を肯定の返答と受け取り、溝尾は自身の策の段取りに取りかかった。
秀満は政近の後ろに従い、光忠のいる陣の近くに到達していた。
「政近、溝尾殿の使者のふりをしてあの陣に潜り込もう」