「殿……」
利三はがっくりとうなだれた光秀にかける言葉を探ったが見つからなかった。この状況を招いた一因が自身にある……と言葉が出ないでいた。
無論利三とて光秀を敵視しての献策ではなく、光秀が存在するなどと露知らず、己の義を果たしたまでであるから自己嫌悪に陥る必要はないのだが。
どれくらい時間が経ったのだろう。光秀は徐ろにに呂蒙の鎧を剥がしだす。
「利三よ……明智光秀はこの戦で死んだ」
「えっ?」
「儂はこれより呂蒙子明となる。呂蒙殿の遺言通り、孫家を守る者として生きていこう」
「し、しかし」
「良いのだ。明智光秀は魔王信長を討ち、山崎にて秀吉に敗れ死んだのじゃ」
「殿の覚悟がそこまでならば。私も生涯供をつかまつる」
光秀は大きく頷くと、戦疲れでへたり込んでいる部下らを振り向き、刀を抜いて宣言した。
「明智光秀殿戦死。遺体を丁重に扱い荼毘に付す」
部下らは驚いた。だが光秀が刀を抜いているということは、暗黙の了承と他言無用の強制を意味する。
「はっ」
戸惑いながらも部下らは返答した。
刀を抜いた光秀も恐ろしいが、全員の顔を舐めるような視線を送る利三も不気味であった。
「それから。諸君らはこれより利三の直属の近衛隊とする。だが勘違いしないで欲しい。これは君らを拘束、懐柔するものではない。信賞必罰は公平に行う」
意味合いは軟禁に違いないのだが、それぞれが近衛兵となることで口止めの昇進も含まれている。
それを聞き、より緊張する者、安堵の表情を浮かべる者と反応は各々違うが、わりかし悪い反応ではない。
「では帰陣する。戻り次第光秀殿の葬儀を執り行う」
光秀は自分の決断を確固たるものにするために張り裂けんばかりの大声で告げた。
帰陣して間もなく、光秀は周瑜から召集の命を受けた。孫策を狙う刺客について尋ねたいことがあるとのことであった。
周瑜は孫策や他の重臣らとともに長江のほとりに陣取っている。
すぐさま本陣に向かった光秀は、呂蒙と過ごした期間に癖や仕草を見抜いており、下手に正体がばれないように気を配りつつ、周瑜を待っていた。
周瑜といえば、三国志の中でも指折りの英雄である。光秀も当然、その名前や大まかな功績は書で読み知っている。
この頃はまだ全国区で名を知られる存在ではないが、そのような大人物との会見に光秀は、信長に謁見するかのような極度の緊張を覚えた。
ほんのわずかの時間でも数倍くらいに長く感じるほどの。
静かな足音とともに周瑜の来訪が告げられた。爽やかな香の匂いが鼻をくすぐる。
「貴殿が呂蒙殿かな?」
柔らかく透き通るような声が心地よい。
「は。呂子明でございます」
「あまり堅苦しくしなくとも良い、崩されよ」
「いえ、そのようなわけには参りませぬ」
「ふふふ。呂子明は強情と伺っておったが相違ない」
品の良い笑い声が部屋に響いた。
「では本題に参ろう。殿を狙う刺客らと一戦交えたという貴殿の意見聞かせてもらえるかな」
笑い声は一転して張り詰めた真剣な声に変わった。光秀は利三の事以外は見たままを伝えた。
「ほう、許貢の残党らは賊の類とも手を組んだか」