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第36話

 張郃は槍を手放すと馬から転げ落ちるくらいの遠心力で振り回された。


 それでも、


「高覧、今の内に退け」


と、高覧隊に退却するよう促す。


 そして自らも吹き飛ばされる覚悟で槍を手放すと、懸命に手綱をさばき、必死で態勢を立て直し一目散に逃げだした。


 張遼は急に抵抗力がなくなったことで惰性で一回りすると、槍を投げ捨て、張郃の逃げ去る様を見送った。


 死地の高覧隊は張遼の部隊を蹴散らし活路を開き、張郃はその後詰めをするように後を追っていた。




「烏巣が陥落!?その上張郃が敗れただと!」


 張郃の部下を含む幾人かの報告に袁紹は立ち上がり驚いた。


「郭図!」


 袁紹は曹操本陣強襲の献策をした郭図を呼び怒鳴りつける。郭図は恐る恐る立ち上がると、保身のために張郃を讒言しはじめた。


「張郃は自分が烏巣救援の提案をしたのに、官渡攻撃を命じられたことに不満を漏らしておりました。戦意が低く、はじめから勝てないと言い放つなど怠慢もよいところ」


「なに?儂の命令に不満を?」


「はい。戦も手を抜いたのかもしれませんな」


 郭図の口撃が止まらない。


 張郃の部下も必死に反論するが、袁紹は全く聞く耳をもたず、張郃と高覧に対する怒りだけが積み重なる。


 たまりかねた張郃の部下は袁紹の幕を飛び出し、乗ってきた馬に跨ると張郃の下へと急いだ。


 郭図の指示を受けた袁紹軍の兵が追いかけてきて、命を奪おうと攻撃してくる。数度の攻撃をなんとか振り切り、ようやく張郃と高覧の部隊が見えた。


「殿!」


 すぐに張郃へと駆け寄ると、兵は馬から転げ落ちた。その背中には急所は外れているが、矢が刺さっていた。


「どうしたのだ?伏兵でもいたのか?」


 張郃は馬から飛び降り、兵を抱きかかえた。


「い、いえ。郭図が殿を悪し様に……」


「なんだと?」


「袁紹様も郭図の言葉を鵜呑みにしており、敗戦の責任を取らすと。本陣に戻ってはいけませぬ」


「まさか……」


張郃はうなだれた。


「それと烏巣が陥落したと」


「馬鹿な!曹操は我らを迎え討ったのだぞ」


「詳しいことはわかりませんが、袁紹様がおっしゃってた以上事実と思います」


 張郃は話を聞き、考え込むと高覧を振り向いた。


「高覧、曹操に降ろう。袁紹の下へ戻っても、我らは処罰されるだけだ。烏巣陥落となれば袁紹に勝ちはあるまい」


 必死で戦って、敗れたにせよなんとか逃げ帰っても処罰されるだけならば、と降伏を促した。高覧もこれに同意すると、張郃は白旗を掲げ軍を官渡へと進めた。


「曹操様、張郃軍が降伏するようですぞ」


 部下の報告を受けた郭嘉が曹操に伝える。


「張郃が?我らの囲みを破って逃げたのにか?」


 曹操はその報告を疑った。追従して曹洪が投降を怪しむ。


「いや。本当の降伏でしょうな。郭図や逢紀あたりが保身のため讒言したのでしょう」


 話を聞いていた荀攸が割って入る。


「なるほどな、そういうこともあろう、降伏を認める。荀攸、使者を出せ」


 その荀攸の脇では曹洪が不満を顔に出していた。


「曹洪よ、この降伏が偽物であった場合、張郃を討つのはお前だ。だからそのような顔をするな」


曹操は苦笑して曹洪をなだめた。





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