「後方から敵襲だ、我が軍は反転し、迎え討つぞ」
張郃は近くにいる銅鑼持ちの兵からそれを奪い取り、叩き鳴らした。
幾人かの兵がそれに気づき後ろを振り向くと、目視できるところまで夏侯惇の部隊が近づいていた。
「敵だ、後方から曹操軍だ」
各所で騒ぎ立てる。高覧も夏侯惇に気づき、自身の後方も確認すべく振り向いた。
するとそこには「張」の旗がなびいていた。
「もしや、張遼か!」
漆黒の古傷が多い馬にまたがり偃月刀を振り回すその姿はまさに張遼であった。
その光景は張郃からも見えており、
「まさか曹操は烏巣に向かっていないのか」
と、唇を噛み悔しがった。
こうなってくると、援軍の望めない張郃軍には勝ち目などまるっきりなく、張郃は退却の銅鑼を打ち鳴らさせた。
「死地を脱する。夏侯惇を突破して生き延びよ」
さらに袁紹に救援を要請すべく腹心の部下に自身の馬を与え走らせた。
「高覧殿の隊はどうなさいますか?」
他の腹心たちが口を揃えて尋ねた。
「うむ……儂が行こう。この隊の指揮は任せた。無事に生き延びよ」
張郃はそう部下に告げると、他の馬を貰い受け跨り、鞭を打ち高覧の下へ向かった。
走りながら振り向くと、張郃の軍は固まらずに散り散りになり、夏侯惇の攻撃目標を逸らして逃げている。
「犠牲は避けられんが、壊滅まではいくまい」
とりあえず胸をなで下ろし、更に馬の速度を上げていく。
前方の高覧軍は曹洪と張遼に挟まれ、逃げるに逃げれない状況であった。
「高覧、張遼軍に集中せよ。一点突破だ」
そう指示を出すと、自身は曹洪軍を防ぐべく高覧軍の後方に駆けていった。
「そこに見えるは曹洪か」
張郃は槍を繰り出し、一際華美な鎧を纏う男に近づいた。
「むっ、張郃か。皆、敵将が首を献上に参ったぞ、討て討てぃ」
この叫びに呼応するように曹洪軍の兵がわらわらと張郃に群がる。
張郃はこれらを薙いでは突き、払っては切り裂きと曹洪との距離を詰めた。
「曹洪!」
張郃の振り払った槍が曹洪の兜を直撃した。
曹洪はその強打に
「首までは望まぬ」
張郃はそう言い残すと高覧に合流すべく、軍の先頭に馬を向かわせた。
先頭では高覧と張遼が刃を合わせていた。だが端から見ても武勇の差は歴然で、張遼にはだいぶ余裕がある。
「袁紹麾下の将とはその程度か」
張遼は微笑を浮かべながら偃月刀を振るう。
高覧とて武名高い武将である。しかし曹操軍名うての猛将には勝てる気がしない。
「おのれ!」
逃げようにも隙を見せてくれない張遼に腹を立てる。
「高覧、助太刀いたす」
高覧の後方からそんな叫び声が聞こえてきた。
「おぉ、張郃か、後ろは?」
「しばらくは動くまい」
そういうと張遼に馬を併せ、槍を繰り出した。
「貴殿が張郃か?」
張遼は槍を偃月刀ではじき返し、名を尋ねた。
「いかにも」
張郃は受け答えると再び槍を張遼の胸めがけ繰り出す。
「高覧よりはできるな。だがこれでどうだ?」
張遼は突き出された槍を脇に抱え込むと、愛馬に鞭を打ち円を描くように急激に曲がり始めた。