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第30話

「罠ならば信長軍を囮にするというのか」


「罠でなくとも、殿が出陣するとなれば、袁紹の陽動にもなりましょう」


 淡々と夏侯淵は話し、それを聞くたびに曹操に笑みがこぼれる。


「見事よ。良かろう。やりたいようにするがよい、それから徐晃を呼び戻し、副将として最終決戦に挑め」


 夏侯淵は静かに臣下の礼をとり、兵らの待機する練兵所へ向かった。




「許攸殿、袁尚と袁煕の軍が戻ったぞ」


 道三は許攸に逐一報告を欠かさず、許攸も機を伺い落ち着かない様子であった。


「袁譚を待つ必要もないかな?」


 と、独り言とも道三への問いかけとも取れる言葉を口に出す。


「待たずとも良いのでは?そもそも烏巣へ向かった軍は尚と煕の軍。譚は関係なかろう」


「うむ……」


 許攸は頷くと、腕を組み沈思しだした。


 道三も次の言葉が紡がれるまで、口を開かず、許攸の様子を見守った。


 半刻ほど時が流れ、根気よく待ちわびていた道三も集中力が切れてきたころ、ようやく許攸の決心がついたようだった。


「今晩、皆が寝静まったころ出立するとしよう」


「承知した。我が主にもそのように使者を派遣するが良いか?」


「良い」


 道三の問い掛けに、自身の決意を揺るがせない意味も含めて、力強く答えた。


 道三は信長と曹操に使者を派遣し、身支度に取りかかった。


 袁紹の陣は相変わらず緊張感に欠け、戦勝気分が抜けないでいる。大将が浮かれれば配下の将兵も当然浮かれる。


 そしてそれはいざという時の命取りとなる。極々初歩の兵法である。


「婿殿も曹操もこれほど袁紹が愚かだなどと思うまいな」


 道三はそう呟くと、荷をまとめ終え、横になり、目を閉じて夜を待った。



 日が傾き、あたりが薄暗くなったころに道三は目を覚ました。


 ゆっくりと起き上がると、灯りを点けず、静かに幕を出て、許攸の幕へ向かう。


 途中数組の将兵に出会ったが、話し掛けられることもなく無事にやり過ごした。


 あそこの娘が可愛いだとか誰それはああだとか他愛もない話しをしながら歩いている。


 今の平和が数日後に壊れることなど念頭になく、酔っ払ってふらふらと歩いている者もいる。


 道三は内心で毒づきながらも目立たぬように歩いた。


 許攸の幕にたどり着くと近辺を索敵し、安全を確認しながら裏手に回り、小声で許攸を呼んだ。


 中から許攸が合図をする。道三はそれを見ると、人目に見られぬよう高齢とは思えないほどの素早さで幕へ入り込み、


「準備はできているか?」


と、さらにか細い声で尋ねた。


「滞りない」


「よし。ではあの場所で落ち合おう」


 そう言い残し、道三は再び素早い動きで幕を出ていった。


 許攸はなるべく着の身着のままで行動すべく、ほとんどの荷を持たずに幕を出て、密会の場所へと足を早めた。




「袁譚様がお戻りになられました」


「遅いわ!」


 兵の報告にしびれを切らしていた袁紹が立ち上がり、怒鳴った。


「すぐに呼べっ!」


 さらに怒声をあげる。そして兵が立ち去ると、重力に引かれるようにどっかりと座り、


「頼りにならんやつだ」


と、そう呟いた。


 そうこうしてる間に袁譚が駆けてきた。


 袁紹が怒り心頭だときき、急いで走ってきたのだろう、肩で息するほど激しく呼吸していた。


「お、遅くなりました」


「何をしていたのだ、お前は。戦機を逃すわ」


「申し訳ございませぬ」


 袁譚は平身低頭して謝った。


「で?」


「はあ?」


「はあ、ではなく、首尾はどうかと尋ねておるのだ」


「はっ。それが、青州は曹操めの手にかかり陥落。落ち延びてきた王修らと合流し、曹軍と一戦交え、先ほど到着した次第で」


「青州陥落だと?曹操め。相変わらず狡っ辛い男だ。まあよい、曹操を破れば青州なぞいくらでも取り戻せる」


 袁紹の顔には不満の色が現れていて、袁譚はただ黙っているしかできなかった。


「軍師団と将軍らを集めよ。曹操を蹴散らす軍議を開く」


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