「ふっ、そうだ。袁紹は勝ちに奢って退くことなど考えぬ。そのような諌言も聞き入れまい。そもそも配下の者共が後継者争い後の権力闘争に明け暮れて、目の前を見ておらぬようではな」
「では……」
「無論だ。烏巣を攻める。趙雲よ、存分に功をあげ、劉備の下へ旅立つがよい。使者よ、道三に伝えよ。信長は烏巣へ向かう、とな」
信長の陣は慌ただしさを増す。軍旅の用意を整え、信長を始めとする諸将もすでに馬に跨り、進まんとするところに今度は蘭丸の使者が到着する。
「戦機を逃す」
信長は進発の合図をした。蘭丸の使者は信長に馬を併せ、要件を伝えた。
「蘭丸様より。まもなく帰陣いたします。曹操殿より贈り物があるゆえ、しばし行軍を緩めてくだされ。と」
「ほう、儂の進軍を読んだか」
「信長様が烏巣の話を聞いたらすぐさま進軍するであろうからゆるりと進ませよ。とおっしゃってました」
信長は高笑いして、
「蘭めが。承知した。早よう合流せいと伝えい」
と、機嫌良さげに応えた。
それから一日ほどして、蘭丸はなにやら荷台と荷車をいくつか運ばせ信長の本隊に合流した。
「信長様、ただいま戻りました」
蘭丸は何よりも先に信長に帰還の報告をした。
「ご苦労であった。曹操にだいぶ気にいられたようだな?」
信長は意地悪くにやつく。
「はあ。信長様がたいそうお気に入りの様子で、根ほり葉ほりと尋ねられました」
蘭丸がお返しにとばかりににやつき返す。
信長は明るく笑いながら蘭丸の傍に歩み寄ると、
「曹操の策は?」
と、真顔で尋ねた。
「あの荷車をご覧いただければ」
「うむ」
信長は蘭丸と信忠を連れ立って荷車へと向かった。
「布をはずせ」
蘭丸の指示で荷車を覆う布がどかされた。
「ほう……」
信長は顎髭をしごきながら感嘆した。荷車には曹操本隊の軍旗と曹操軍の正規兵の武具が用意されてあった。
「それと、信長様にはこちらを」
蘭丸は木箱を大事そうに抱え信長の前に置いた。そのまま慎重な手つきで箱の蓋を取り外す。
中には白銀の甲冑が眩しく光り輝いていた。蘭丸によると、その甲冑は曹操が愛用しているものだという。
「儂に曹操を演じよというのだな」
信長は悪戯を思いついた童のような無邪気な笑みを浮かべた。
「許攸が官渡に到着し次第、烏巣を攻撃して欲しいと」
「おもしろい。今日はここに陣を張る。皆明日からは曹操軍の出で立ちで過ごせ。次の蝮殿からの使者が進軍の合図ぞ」
信長は心底愉しげな表情で指示を下した。
「そろそろ信長の下に到着したかな」
一方の曹操も信長と同じように無垢な笑みを浮かべ、重臣らに話しかけた。
「あの男が思惑通り動くと思いますか?」
夏侯淵が尋ねる。
「
「であればなんの心配もいりませんな」
夏侯淵は納得というよりも、曹操がそういうならばといった表情で部屋を退出しようとした。
「妙才?」
曹操は不思議そうに夏侯淵の背中を見つめた。
「心配なさるな。軍の編成をしておきます。許攸が到着したら殿自身出撃すると触れ込んでおけば、罠だとしても我らに害は及びますまい」