信長の冷ややかな視線を跳ね返すように袁譚は睨みつけ、
「貴様に何がわかる」
と、言い放った。
信長は刀をしまい、袁譚と目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「わかるぞ。だが儂はそれに腐らず、弟や親族をこの手にかけ当主の地位を築いたのだ」
ゆっくりした口調で話しながら袁譚の肩を叩いた。
「弟を?」
「そうだ。おぬしはそこまでできるか?腐るだけなら女子供でもできようぞ」
「弟を……顕甫を……」
「その覚悟ができるならば、このまま全軍解放いたそう。できぬならばここで死ね」
信長は今までの口調とは打って変わって冷たく強く言い捨て、再び立ち上がり抜刀する。
「儂は……儂は袁顕思。袁家の後継者だ。弟で無知の顕甫なぞに家督は渡さぬ。父袁紹を継ぐのは儂だ」
袁譚は取り憑かれたかのように絶叫すると、勢いよく立ち上がった。
「織田信長殿、先ほどの言葉通り、軍は解放してもらうぞ」
「覚悟が出来たか、良かろう。いずれ力添えできることもあろう、我が名を覚えておくが良い」
信長は部下に命じ、袁譚に全ての兵を返した。
「では袁譚よ、貴殿の武運を祈っておるぞ」
袁譚は信長に礼を述べると、軍をまとめて官渡へ戻っていった。
「ふ、単純な小僧よ。まあ内紛の種が蒔かれたのだ。良しとしよう」
信長はその軍勢を見送りつつ、一人呟いた。
「信長様」
背後から部下が声をかける。
「道三様の使者がお待ちです」
「うむ。すぐに戻ろう」
信長もそう言うと軍を返した。
「父上、お帰りなさいませ」
本陣へ戻った信長を信忠と趙雲が出迎える。
「戦果はいかがでしたか?」
趙雲が尋ねる。
「此度の戦果はこの先袁紹の死後に現れよう」
この言葉に信忠と趙雲は互いに見合わせ首を傾げた。
「それよりも、蝮殿の使者が来ておるだろう?」
信長はそんな二人の顔を見て微笑むが具体的な答えは話さず、次へと進めた。
「父上の幕で待っております」
「よし、すぐに話を聞こう」
信長は戦から帰ってきたままの恰好で使者の待つ幕に向かった。その足音に気づいた使者は幕の外に出、信長の到着に備えている。
「ご苦労である。して首尾はいかがか?」
「寝返りは本心の様子。袁家の兄弟が戻り次第曹操に寝返ると」
「ほう。して、戦局をひっくり返す策とやらは聞けたのか?」
「先日の豪雨の影響で袁紹軍は多数の兵站基地を放棄せざるを得ず、その兵糧を烏巣という地に集めるとのこと……」
信長は爛々と目を輝かせて、使者の言葉を遮った。
「そこが急所か。愚かなり袁紹」
「烏巣……ここか」
信忠が地図を見て場所を確認する。
「信忠、おぬしが袁紹ならばどう動く?」
「私ならば、烏巣に兵糧を集めると触れ回り、堅く守らせ囮とし、その隙に戦線を下げて部隊や編成、兵站を再構築します」
信忠は堂々と受け答えた。
「ふふ。なるほど。おぬしは優れた指揮官であるな。袁紹が同じ考え方をするならば曹操も我らも勝機はまだまだ先てあるな」
珍しく信長に褒められたことに信忠は顔を朱に染め照れた。
「趙雲よ、おぬしから見る袁紹という男、ここで退く器量はあるかな?」
今度は趙雲に問う。
「おそらく退くことは考えません。ここまでの戦況を自軍有利としか考えていないため、未だに官渡攻めの手を緩めぬのだと思います」
「では、それを受けて袁紹が兵糧を集める意図をどう読みとるか?信忠」
信忠に振る。
「意図も何も……ただ他の兵站基地が保てずに無事な烏巣に兵糧を集めているだけでは?」