「もしかしたらおぬしもその間者の一人かも知れぬな」
許攸は試すような目つきを道三に向けた。
「そうであるならばいかがいたす?」
道三はその問い掛けに否定をしない。
「くっくっく。やはりそうであったか。まあ安心せよ。袁紹に突き出すことなぞせぬ」
許攸は意地の悪さをさらけ出すようににやにやと笑った。
「ふん。では儂の主に意向を伝えるが構わんか?」
「構わんが、おぬしの主は曹操ではないのか?」
「織田信長。曹操とは同盟関係じゃ。心配いたすな。きっちり曹操に降る手はずは整えておく」
「聞かぬ名だな。まあ良い。曹操には恩賞を弾むよううまく伝えておいてくれ」
許攸はそういうと、酔ったふりなのか足下も覚束ない様子で歩いて戻っていった。
道三は念をいれ、用心深く許攸を尾行させ、他の諜報員には信長と曹操への使者を命じた。
その日のうちに、道三の使者が官渡城へとたどり着いた。
曹操は全重臣と蘭丸をすぐに呼び集め用件を聞いた。
「許攸が?」
「はっ。曹操様を勝利へ導く秘策があるので、それを条件に寝返りたい、と」
「蘭丸、これがそうか?」
曹操は蘭丸を見つめると、無言で頷いている。曹操はそれを確認したあと、話すのを止め、考えこんだ。
「よし。その秘策とやらを披露してもらおう。降伏を受け入れる……いや、是非とも我が陣営に参加してくだされ、そう伝えよ」
そう苦笑いをしつつ使者に返答を持たせた。
傲慢な人間であることは広く知れ渡っており、下手な回答をすると臍を曲げかねないので、許攸を持ち上げるような返事をさせることにした。
使者が去ると曹操はそのまま軍議を始めた。
「ようやく勝機が巡ってきたようだな。さて許攸の秘策だが、おおよその見当はつく。そこでだ」
曹操は再び蘭丸を見つめた。
「蘭丸よ、信長殿に此度の戦、曹操と曹操軍になれ。軍旗や武器などはこちらで用意する、と伝えてくれぬか?」
蘭丸は曹操の言葉を反芻するが、全く意味がわからない。
「ははは、深く考えるな。言葉のままよ」
曹操は機嫌良く高笑いし、蘭丸の肩を叩いた。
「はあ……」
蘭丸は余計に理解できなくなり、曖昧な返事をすると軍議を退席し、信長の下へ戻るべく出立の用意を始めた。
「対岸に何者かの軍を発見」
信長軍の物見が発した言葉に陣がざわつく。
「どこの手の者が判断できぬか?」
報告を受けた信長が問い返す。
「霧が収まればなんとか判別できるのですが……」
信長は視線を黄河に向けたが、薄い霧が川面いっぱいに広がっており、それが邪魔をしてはっきりとは見えない。
「どれ、儂が行こう。信忠、兵と船を用意しておけ」
信長は立ち上がり、隣に座る信忠に指示した。
「父上自ら行かれるのですか?」
「そう言っておる」
「しかし……危険すぎます。私が行きましょう」
「それではつまらぬ。儂も久々に兵を指揮したいのでな」
「ならば私か趙雲どちらを同伴を」
「くどい。信忠と趙雲は本陣の護衛を任ずる」
こうなっては信長はてこでも動かない。信忠は自身の部下から武芸に優れた人物を、信長の率いる軍に紛れさせ、護衛を任じた。
「さて。腕が鳴るな。対岸にいるくらいだから袁紹の軍であろう。寡兵であるとはいえ油断するなよ」
信長は兵を鼓舞し、船を出させた。対岸の軍も信長軍には気づいていたが、敵味方判別できずに対処に困っていた。