「なるほどのぅ」
とにかく不満を吐かすだけ吐かせようと、道三は相づちを打った。
「まだあるぞ。袁紹めは自分に良いことをいう者、明らかに名門の者ばかりを取り上げて、諌言する者や出自の怪しい者は遠ざける。儂の家はさして名門ではないが、軍師として袁紹に貢献した功績は少なくない。それなのに官位も給金も、何もせん名門には勝てん。おかしいとは思わんか?」
酒と道三の態度は許攸を饒舌にさせた。
「ふむ。それでは貴殿は報われんのぅ」
「であろう?おぬしはなかなか話がわかる。さあ飲め」
鬱憤を晴らした許攸は細い目尻を下げ、道三に酒を勧めた。
(傲慢で強欲だが、この男使えそうじゃな。どうしたものか……)
道三はこの嫌な男と繋がっておけば、袁紹を打破するきっかけができるやもと考えた。
「そんな酷い主君では仕える気にならんのう。劉備殿は今ここにはおらぬのですかな?」
「劉備か。奴は袁紹の命で汝南へ向かったわい。まあ実際は袁紹と仲違いして追い出されたのだろうが。劉備の後を追うのか?」
「どうしようか悩んでおるのじゃよ」
道三は許攸を誘引してみようと試みた。
酔っているとはいえ、ここで道三の仕掛けた罠に掛かれば、背中を押された気分になり、後戻りもしにくかろうと考えた。
「ふむ……」
許攸は腕を組み、考える仕草をする。
「利政といったか。儂は袁紹軍の弱点となるものを知っている。それを手土産に知己の曹操を頼ろうかと思うのだが……どうじゃ?一緒に来ぬか?」
道三は内心、したり顔でほくそ笑んだ。
「劉備のことは気にかかろう。じゃが、この情報を伝えれば、この戦一番の手柄は間違いなしじゃ。官位も褒美も望むがままになるとは思わぬか?」
まだ見ぬ褒美に興奮しているのか、許攸の饒舌に拍車がかかる。
「うむ、儂も老い先短い。裕福でのんびりとした暮らしも良いかも知れんのう」
この道三の言を聞き、許攸は醜悪な顔を隠すことなくにやつく。
許攸としては、寝返りの供ができたということ以上に、失敗や失態を犯した時の身代わりができたことを喜んだ。
「よし、だがまだ時期尚早じゃ。もう少し待とう。この場所を密談の場と定めようではないか」
許攸は最後まで調子よく語っていた。
道三はふらつき歩く許攸を見送ると、すぐさま情報を信長に伝達するため、同じように潜入している数人の諜報部隊と落ち合った。
一人は信長の陣へ走らせ、他の一人には許攸を見張る役目を与えた。
道三とて許攸の話を丸々信じたわけではない。
逆に許攸が、不満を持つ反袁紹勢力や他国の諜報隊を一網打尽にするための罠である可能性も否定はできないためである。
そこで許攸を見張り、また道三自身が許攸と接して真偽を確かめることにした。
それから数日、道三は足繁く密談の場所に通ったが、許攸は姿を現すことなく、見張りの報告でも幕に入り浸り毎日のように泥酔しているとのことであった。
それでも道三の側から急かすことは明らかに危険でとてもできない。ただひたすら待つだけであった。
そうこうしている内に、袁紹軍が動きだす。
開発した兵器を前面に押し出し、官渡城へ攻撃をしかけだした。
城壁よりも高い場所から射込まれる矢に曹操軍は苦戦し、その城壁には、先端を尖らせた巨大な丸太を積んだ車が突っ込んでくる。
城壁の下からは、もぐらのように地中を掘り進む部隊が接近してきていた。