張飛は苛立ちを露わにしながら去っていった。
「ふぅ……」
徐晃は緊張が解けたのか大きくため息をつき、額の汗を拭った。
「しかし、劉備の後ろに兵の配置などしておらぬはずだが?」
正体不明の曹操軍が気になり、自身偵察に向かうことにした。
「追え」
半兵衛の指示が飛ぶ。
曹操の陣営に向かう途中の偶然の出来事である。
半兵衛率いる軍の前方に渡河を終え、進軍をしている袁紹の部隊を発見した。後ろを取る形、いわば追撃する形になり、なんの苦もなく戦術的に優位となった。
こんな状況で攻撃を仕掛けない手はない。
「曹操への良い手土産となりそうだな」
劉備軍に攻撃開始するよう指示を出す。
まず騎馬を先行させ、劉備軍後方に騎射攻撃を仕掛けると、不意の敵襲に劉備軍の陣形は大いに乱れた。
劉備軍が態勢を立て直し、反撃に転じようとするその前に、半兵衛は長槍隊を前方に押し出し、騎射による援護射撃でその行動を封じた。
これにより勝敗は決し、劉備軍は崩れ、敗走をし始めた。
竹中軍は追撃の手を緩めない。逃げる兵を背後から斬り倒し、突き飛ばす。
しばらくその状態が続いたが、一人の巨漢が劉備の軍に加わると、状況は一変した。
巨漢は敗走軍の先頭に駆け寄ったかと思うと、踵を返して最後方へ立ちはだかる。
「ち、張飛だ」
張飛を知る竹中軍の兵たちは恐れおののき、歩みを止めた。張飛は攻撃をしてこないものの、蛇矛を天高く掲げもち、兵らを圧した。
「何事か?なぜ止まる?」
半兵衛は前が行き詰まった様子を訝しく思い、周りの兵らに尋ねた。
「張飛が敗走する軍の最後方にて睨みを利かせているだと?」
「はっ、鬼のような形相で行く手を遮っております」
「馬鹿な。たかが武将ではないか。ひと一人の力に戦局が左右されるものか」
半兵衛は恐れる兵らを叱咤しつつ、前線へ向かった。
そこにはなるほど、日本で言うならば弁慶の仁王立ちのように、怒れる張飛が立ちはだかっていた。
「これが張飛……」
その姿を目の当たりにした半兵衛もさすがに気圧された。
「遠巻きに弓で射よ」
半兵衛の指示に弓隊が張飛を囲み始めた。
張飛には狼狽する気配など微塵もなく、一所に、まるで根が生えたかのように立っていた。
「射よ」
半兵衛の軍配が振り下ろされた。張飛の周囲に展開していた騎馬隊が矢を一斉に放つ。
矢は放物線を描き、張飛の頭上を襲うが、一歩も動かず、蛇矛を頭上に掲げ持ち、目にもとまらぬ早さで回転させた。
その回転に巻き込まれたり、風圧に吹き飛ばされたりで、張飛の体には一筋の傷すらついてない。
半兵衛は目を疑った。
彼の生きた時代の豪傑と呼ばれる者で、このような芸当のできる者など、見たことも聞いたこともない。
「これで終いか?」
張飛が突如声を発する。何事もなかったかのように、首を捻り、音を鳴らす。
だが気圧されて誰も張飛の言葉に反応しする物はいない。
「ふん。ならばそろそろ帰るか」
張飛は何食わぬ顔で振り返り、立ち去ろうとした。劉備はすでに安全圏に逃げ込んだ頃合い、との判断であろう。
そのまま馬を進め、数歩ほどすると、何かに気づいたかのように振り向き、半兵衛を見定めた。