袁紹は田豊の進言を最初こそ真剣に聞いていたが、後半になるにつれ渋い顔つきに変わっていった。
「なぜ皆の士気を削ぐことばかり言うのか。もうよい。誰か、田豊を獄に繋いでおけ」
袁紹の命令に近衛兵が動く。田豊は悪態をつくこともせず、おとなしく連行されていった。
「曹操の策などたかが知れておる。劉備よ、早々に出立するのだ」
迷っていたと思ったら、急に強気な断定をするのも袁紹の癖であった。
劉備は自陣に戻ると、出陣の命を下した。
「関羽らしき男が曹操軍にいたらしいが……」
劉備は傍らに立つ張飛に語りかけた。
「まさか。兄者が曹操に降るとはとても思えん」
「確かに。だがそれを確認するだけでも出陣の意味はあろう。戦うのは文醜に任せておけばよい」
と、先を急ぐ文醜の軍団を眺めていた。
「それにこの戦、袁紹は勝てぬ。早々に見切りをつけ脱出の糸口を見つけるとしよう」
「勝てぬ?兵、兵糧ともに袁紹が圧倒しているが」
「物量が多ければ勝てるというものではあるまい。田豊と沮授は仕える主を誤った」
劉備は袁紹のいる幕を振り向き嘆いた。
「劉備様進軍準備整いました。文醜将軍はすでに渡河開始しております」
「わかった。進軍開始だ」
曹操らは袁紹兵の物見の言っていた通り、白馬の物資全てを西へ運んでいた。
荀攸の進言によるものである。実際の所、兵糧も矢も袁紹軍に比べるとはるかに少ない。
「荀攸よ、誰が釣れると思っておる」
曹操が微笑みながら荀攸に尋ねる。
物資の輸送中で、袁紹軍が近いのにゆっくりと進軍しているのは荀攸の案である。
「猪の文醜あたりではないでしょうか」
「文醜か。華北軍一の勇猛さでその兵は精強と伝え聞くが」
「文醜如き一戦にて破れます。兵も華北の蛮族から見れば、武装も整い、訓練された強兵でしょうな。」
などと談笑しながら西へと進んでいた。
「曹操様、文醜軍が渡河しています」
曹操はにやりと荀攸を見た。
「文醜……殿はこの男欲しいですかな?」
荀攸が冷たく言い放つ。
「いらん。呂布や関羽ほどの武を有するならば別だが」
「では遠慮なく討ち取ります」
荀攸はいかにも文醜から逃げるように、進軍を急いだ。
渡河した文醜軍は後続の劉備軍を待たず、追撃し始めた。
「曹操軍が逃げる速度を速めました。また軍旗から曹操本人が率いている様子」
「なに?曹操が?……皆の者、曹操を討ち取ればこの戦は終わりだ。絶対に逃がすな」
文醜の号令に騎馬隊が怒涛の勢いで猛追しだす。劉備が渡河を終える頃には文醜軍の後塵が見えるのみであった。
「やはり猪武者よ。張飛、関羽を見失うわけには行かぬ。我らも続くぞ」
劉備と張飛が先頭に立ち、軍を牽引し進軍を開始した。
「文醜将軍、曹操軍が見えてきました」
逃げる曹操軍は兵糧などを運んでいるため、身軽な文醜軍に追いつかれてしまった。
「さあ荀攸、どんな手を打つ?」
曹操は馬を走らせながら横を駆ける荀攸を見やる。
「全軍に告ぐ。延津まで駆けに駆けよ」
荀攸の指示はとにかく逃げろということであった。