しかし袁紹の怒声上げているのとは裏腹に、麾下の将たちは賛否両論思い思いに言葉を発していた。
これ聞き耳を立てていた袁紹は自分の決断に自信が持てず、
「いや、しばし待て」
と、撤退命令を一旦差し止めた。
沮授や田豊は何も言わずに様子を窺っていたが、主君の鈍さに嘆息をついていた。
そこへ報告が入る。
「郭図殿、淳于瓊殿が撤退。黄河を渡り始めております」
「顔良は殿軍か?」
「いえ、どうやら郭図殿と淳于瓊殿のみ退却の模様」
「なんだと?だが顔良ならば……」
そう言いかけている時、転がるように兵が幕に入ってきた。
「が、顔良将軍が討たれました」
「何だと!」
袁紹が乾いた音を立てて席を立ちあがる。更に机を二、三度叩きつけ、
「郭図と淳于瓊を呼べ」
と、報告の兵に怒鳴り散らした。
袁紹は二将を待つ間、落ち着かず、うろうろと歩き回っていた。
袁紹が苛立っているのを聞いた二人がおずおずと幕に入ると、すぐさま叱責の声が飛ぶ。
「顔良将軍に撤退を進言したところ、貴様らだけで撤退せよと……」
郭図が平身低頭話し、淳于瓊もそれに同意した。
「それに曹操の軍には、そこにいる劉備の義弟の関羽がいたとの噂も」
郭図の言により、袁紹は劉備にも疑いの目を向けた。
「劉備よ、どういうことか?もしや貴様、曹操と内通しているのではあるまいな?」
「何を仰いますか。我ら主従は曹操との戦いに敗れ、袁紹殿を頼った次第。まさか内通など」
嫌疑をかけられた劉備はきっぱりと反論し、更に言葉を続けた。
「もし関羽が曹操の軍にいるのならば、捕らえられ、やむなく降ったのでしょう。私に一軍貸していただければ、袁紹殿のために働くよう説得して参ります」
これを聞いた袁紹は敗戦のことなどすっかり忘れたかのように喜色満面となった。
「関羽が我が配下に……良かろう。劉備よ、関羽を連れてまいれ」
自分らを客将ではなく配下扱いしている袁紹に内心腹を立てながらも、劉備は恭しく頭を下げた。
「戦に弱い劉備だけでは心許ない。顔良将軍の仇討ちも兼ねて、ぜひ儂にも進軍の命令を」
文醜が勢い良く立ち上がり、進軍を志願した。
「うむ。文醜、顔良の分も曹操を蹴散らしてまいれ」
文醜は喜び勇み、自陣へと戻っていった。
「白馬の曹操軍の動きは?」
劉備が物見の兵に尋ねる。
「はっ。全ての物資を運びだし、西へと移動しております」
物見の報告に再び座がどよめいた。
「殿。これは罠ではありますまいか?」
逢紀や
救出した拠点をこうも簡単に捨てるのはいかにも怪しい。
すると、逢紀と仲の悪い郭図が反対の意見を述べだした。
「官渡の曹操軍は兵糧が少なく、困窮しています。そのため焦って退却しているのでしょう。そこを文醜が追えば必ずや蹴散らせましょう」
「ううむ……」
袁紹は顎に左手を添えた。悩んでいる時の袁紹の癖である。そして少し間を置くと、田豊を呼びつけ、意見を求めた。
田豊はいかめしい顔で、
「曹操は奇をてらうのが得意な男。おそらく張郃殿の意見が正しいでしょう。追撃はせず、本陣を下げ、軽騎兵にて曹操の補給路を急襲し、持久戦に持ち込めば我らに勝機が巡ってまいります」
と、持論を述べた。
沮授も目を閉じ頷いている。