一方信忠軍は防御態勢からの追撃に手間取りながらも、久秀らを追撃していた。だが出足が遅れたため、久秀軍になかなか追いつけない。
その上、突如前方の速度が上がる。
当然先頭の久秀が一人道をはずれ、兵らを煽ったことなど知るはずもなく、連日の強行軍の疲れも相まってその差は広がるばかりであった。信忠以下の将校らも督戦するがもはや効果なし。
信忠はやむなく行軍を停め、兵を休息させることにした。物見は常に出し、警戒態勢を維持しつつ、回復を待つ。
「趙雲殿帰還」
「信長様への使者が戻りました」
と、様々な報告が信忠に届く。
信忠はまず趙雲を迎えた。
「趙雲殿!」
「信忠殿、勝手な行動申し訳ない。久秀を討つこともできなかった」
「御身が無事ならば良いのじゃ、よく戻って参った」
趙雲の謝罪を信忠は何事もなかったかのように許し労った。
「使者を」
信忠はその場に使者を呼んだ。
「信長様より深追いはするなと伝言が」
「うむ。では軍はこのまま停めおこう」
信忠はすぐさま指示を出すと趙雲を振り返り、
「久秀のことは父上に任せ、我らは休もう」
と、声を掛けた。
よくよく見れば趙雲の端正な顔立ちは砂埃に隠され、髪もところどころに土砂が降りかかっている。
衣服は激しい戦闘の跡を物語、破れていたり、返り血を浴びたりしている。
「趙雲殿、近場に水浴みができそうなところを探させよう」
信忠はにこりと微笑みながら話しかけた。
趙雲は言われてからようやく気づいたようで、恥ずかしがりながら微笑みかえす。
「ありがたきお言葉。しかし、まだ戦陣ですので」
「やはり趙雲殿は武士の鑑のような方ですな。確かに水浴びは儂も言いすぎた。だが顔を洗うぐらいならば構うまい」
信忠は感心し、そういうと近場の川を探しに趙雲の手を引いて歩きだした。
陣からそれほど離れず他愛もない話をしながら少し歩くと、丈の高い茂みの奥から川のせせらぎが聞こえてきた。
「こちらに川があるようだな」
信忠の部下が茂みを掻き分け、奥へと進むと小川が流れていた。
「顔を洗う分には充分であろう」
と、趙雲に微笑みかけ、小川に近づいていった。
二人と付き従う兵らは、小川からそこそこ綺麗な水を掬い、顔を濯いだ。
戦陣に明け暮れていたため、つかの間の休息に惚け、鳥のさえずりに耳を傾ける。
下流を見渡せば、一頭の馬が水を飲み、一息ついていた。
「ほう、どこかからの脱走馬か」
その馬は簡易な鞍を乗せており、首にまとわりつく手綱が邪魔なのか、しきりに首を左右に振っていた。
その姿が可愛らしげに見えたようで、趙雲はすくっと立ち上がり、馬を警戒させないように近づいた。
だが軍馬で、人に慣れているため趙雲の行動に警戒する素振りを全く見せない。
趙雲はそのまま、手綱を掴み、ひきしぼりながらたてがみを優しく撫でた。
「この馬……」
そのまま記憶の糸を辿ると、老将の顔が脳裏に浮かんだ。
「信忠殿!」
のんびりとした雰囲気を、趙雲の声が壊した。
「何事か?」
信忠が駆けつける。
「この軍馬。久秀が逃亡の際に跨っていた馬に酷似しておりますが」
「まさか」
信忠は趙雲の報告を軽くいなしたものの、趙雲がそんなつまらない冗談を言うとも思えない。