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第8話

「これはまた手厳しいのぅ」


 久秀は深い皺に目が隠れるくらいに細めて笑った。


「あれは、やむを得なかったのだよ。儂の目からも、他の誰の目からも、信長公の滅亡は必至であった。信玄公が突如亡くなるという強運に恵まれたため、反信長連合は崩壊したがの」


 久秀は遠い昔を懐かしむ顔付きで語った。


「それでも、信長様は降伏すれば許すと、数度使者を送ったはずではないか」


 蘭丸は笑みを浮かべながら語る久秀の態度が気に食わず、怒鳴り声でまくし立てた。


「いかんのだよ。あの場で降伏したとて一時凌ぎにしかならぬ。いずれあの猜疑心が鎌を擡げて参ろう」


 怒気を表に出す蘭丸を後目に、久秀で落ち着いた口調、淋しげな顔つきで話した。


「さて、昔話はここまでにしておくか」


 久秀は手に持つ刀を杖代わりに、床机からゆっくり立ち上がった。


 そのまま蘭丸の下へと歩み寄ってくる。足が悪いのか刀は相変わらず杖にしている。


 蘭丸までたどり着くと、蘭丸の首に刀の鞘をぴたぴたと叩き当て、先とは違った地に響くような低い声で凄んだ。


「この駒、どのように使おうかのう」



 信忠率いる先鋒隊が青州に入った。

松永軍、袁紹軍の抵抗は今のところなく、むしろ陳登救出のために徐州のあちらこちらから兵が集まり、自軍の兵が増強されていたくらいだ。


「信忠殿、袁紹軍の気配がこうもないのはいささかおかしい。急ぐ道ではありますが、慎重に進むのが良いかと」


 趙雲の提案に信忠も賛同した。


「うむ。あの松永のことだ。気をつけて進むにこしたことはあるまい」


 信忠、趙雲共に敵の策か、と案じていた。


 信忠は斥候の数を増やし、進軍速度を落として進んだ。


 途中、砦と関を通り抜けたが、相変わらず敵は見当たらない。斥候の報告も異常なしばかり。


「青州から退いたのでしょうか?」


 趙雲が問いかける。信忠もそう思わずにいられないくらいであった。


 兵士たちも肩透かしを食らったかのように気が抜け出している。


「騎兵一騎発見。白旗を掲げこちらに向かってきております」


 ようやく斥候から実のある報告が届いた。


「軍使か。権謀術数に長けた松永のこと。努々気を抜くまい」


 信忠は己の気を引き締めるかのごとく、趙雲に声をかけた。


「お久しぶりですな、信忠様」


「松永久通か」


 軍使は久通であった。


 久通は信忠の顔をまじまじと見た。信忠は自身が死ぬ時に対峙していた軍の大将である。


「再びお目にかかれること、嬉しく思いますぞ」


 久通はゆったり舌がもつれるような話し方をし、くくく、と笑った。


「何用か?」


信忠は目をいからせ腰の刀に手を添えた。


「まあまあ。そんなに怖い顔をせずに。それから、儂に手をかけると大事な小姓の命がなくなりますぞ」


 久通は相変わらずいやらしい顔付きで信忠を脅した。


 信忠は刀から手を離し、「ちっ」と舌打ちした。


「信長公はこの先におりますかな?」


 久通の問いに信忠は無言で頷いた。


 久通はそれを聞くと、悠々と、もはや用無しとばかりに信長のいる本陣へと向かおうとした。


「陳登殿は無事か?」


 歩きだした久通に趙雲が問い掛けた。


「さてのう」


 久通はそう答え、再び馬を歩かせた。


 すかさず趙雲が駆け寄り、答えよ、と久通の肩に手をかけると、久通はその手を払いのけ、煩わしげに趙雲を見た。

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