―天正十年六月二日未明―
夜半より降り始めた雨が次第に強さを増していた。
その雨の中、
先頭を駆けるのは白銀の甲冑を身に纏う初老の男。上品さと知的さを併せ持ち、それでいて歴戦の古強者を感じさせる。後に続く軍勢も統制がとれ、士気も高い。
ふと先頭の男がやや小高い丘に馬を寄せ立ち止まった。配下の武将達が続々と丘のもとへ詰め寄せ指示を待つ。
男は天を見上げ、目を閉じた。辺りは静まり返る。
( 私は……私は間違えてはいない。ここで信長公を討たねば、日ノ本が破壊され尽くしてしまう)
様々な想いが蘇る。家中随一と言われる知識を携え頭角を現し、その功績から今や家中に並ぶ者なく、主からの信頼も篤い。
(……しかし)
やや優柔不断な面もある。
「……殿」
家臣の
「うむ……」
「我らは……我らはこれより、洛中へ進路をとる!……狙うは覇王の首!信長の首である!敵は本能寺にあり!」
一瞬の沈黙の後、大きな喚声が上がった。さすがの光秀にもこの暴挙とも言える謀叛に不安はあった。だが離反する者はない。続けざまに光秀は言い放った。
「
「はっ!」
「はっ!」
秀満は指示を受け、光忠を先陣に妙覚寺方面へと兵を動かした。
「殿、御武運を。利三殿、殿を頼む」
「お任せを」
本来秀満は謀叛には反対であった。だが義父光秀の心中を察し、運命を共にすることを決めたのだ。秀満は光秀に一礼し去って行った。
「殿、我らも」
利三に促され、光秀も本能寺へ向け兵を動かした。利三も一礼し先陣へと向かって行く。
(良いのだ、これで良いのだ……)
光秀は自分に言い聞かせるように呟いた。
―妙覚寺―
「信忠様、信忠様」
「貞勝か」
「はっ、兵の準備整いました」
「やはりか……」
信忠が呟いた。どうも先日から胸騒ぎが止まらず、京に入りそれは更に強まった。そこで貞勝に命じ斥候をいつもより増やしていたのだ。
「誰か?」
信忠は貞勝に問いただした。
「……
「光秀だと!おのれ!」
惟任とは信長の命によって与えられた光秀の名であり、世間では明智よりも惟任で通っていた。
信忠は起き上がり甲冑を身に付けながら貞勝に状況を尋ねた。