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第69魔:私にも抱っこさせてね

「なあお袋、本当に手土産は必要なかったのか?」

「あんたは何も知らないねえ。これから赤ちゃんに母乳をあげなきゃいけないお母さんには、お菓子みたいな高カロリーなもんはご法度だよ。それに一昨日確認した限りじゃ、この病院の冷蔵庫は有料だったし、果物みたいな生物なまものも、かえって迷惑さ。そういうのは、出産祝いとして、退院して落ち着いてから持っていけばいいんだよ」

「……あっそ」


 そりゃ俺は男だし、出産後のお見舞いなんて初めてだから、そんなん知らないよ。

 しかし一昨日ちゃっかり冷蔵庫の確認までしていたとは、お袋は意外とそういうところは抜け目ないんだよな。

 普段は自由気ままに生きてるクセに。


「そんなことも知らなかったの堕理雄!? もう、未来の妻として恥ずかしいわ」

「……」


 こんなことを言ってるが、昨日沙魔美は果物の王様という理由だけで、手土産にドリアンを持っていくと言って聞かなかった。

 子供の頃に一度だけ果物屋さんに売られていたドリアンの臭いを嗅いだことがあるが、オリヴィアの腋みたいな臭いがしてブッ倒れそうになった覚えがある。

 外国のホテルだと、入口に堂々と『ドリアンの持ち込みは禁止』と書かれていることもあるそうだ。

 今回は俺が必死に止めたので事なきを得たが、あのまま沙魔美がドリアンを持ってきていたらと思うと、冷や汗が止まらない。


 冴子さんの出産から二日が経った。

 宣言通り俺と沙魔美とお袋は、三人で冴子さんを見舞いに、再度サンキュー産婦人科を訪れていた。


「あ! お兄さんと福与さん! 来ていただけたんですね!」


 病院の玄関まで、真衣ちゃんが出迎えてくれた。


「ちょっとちょっとマイシスター。未来のお姉さんもここにいるんですけど?」

「フン! 悪しき魔女は呼んだ覚えはありませんよ」


 真衣ちゃんはそっぽを向いて言った。


「またそんな露骨なツンデレを発揮しちゃって。一昨日は私の胸で、あんなにヒックヒック泣いてたのに」

「なっ!? あ、あれはたまたまです! たまたまあの時、あなたの胸が近くにあったから、ちょっとお借りしただけです!」

「そうよね。マイシスターの胸じゃ、ゴツゴツして枕には適さないものね」

「クソがああああ!!!」


 平和だなあ。

 でもこんな平和な光景を眺めていられるのも、冴子さんと赤ちゃんが、二人共無事だったからに他ならない。

 その点では、癪だけどお袋には感謝しないとな。


「真衣ちゃん、お姉ちゃんとイチャイチャしてるとこ悪いんだけど、病室に案内してもらえるかい?」

「あ、はい福与さん! こちらです!」


 真衣ちゃんはお袋にピッタリくっついて、俺達を病室に案内してくれた。

 どうやら一昨日の一件で、すっかり真衣ちゃんもお袋に懐いたらしい。

 ホントお袋はあんな性格のクセに、昔から人には好かれるんだよな。




「あ、福ちゃん、いらっしゃい。堕理雄君と沙魔美さんも」


 病室に入った俺達を、ベッドで寝ている冴子さんが歓迎してくれた。

 冴子さんの横には親父も座っていて、俺達に軽く手を挙げて、「よっ」と挨拶してきた。


「横になりながらでごめんなさいね。まだ少し身体が重くて」

「いーよいーよ、そんなん気にしなくて。アタシが堕理雄を産んだ時なんか、一週間くらいダルかったもん」

「フフ、そのお話、真衣が産まれた時も聞いたよ福ちゃん」

「あれ? そうだっけ? そんな昔のことは忘れちまったよ」

「ハハッ! お前って意外と忘れっぽいとこあるよな福与」


 親父がここぞとばかりに、お袋を指差して笑った。


「……久しぶりにあんたの頸椎と心臓と股間と喉仏を潰してやろうか?」

「前例があるみたいな言い方すんなよ! だとしたら俺は今、ここにいねーよ!」

「フフフ」

「吞気に笑ってんなよ冴子!? お前の旦那が生きるか死ぬかの、分水嶺なんだぞ!?」


 ……。

 何だかこの三人の遣り取りを見ていると、この空間だけ三人の高校時代に戻ったみたいだ。


「ホギャア」

「あ。竜也がデカい声出すから、赤ちゃんが起きちまったじゃないか」

「俺のせいかよ!?」


 冴子さんの隣で寝ていた赤ちゃんが、小さく泣いた。

 マシュマロみたいなほっぺおしており、この世のものとは思えないくらい愛らしい。


「大丈夫よ。元々そろそろ起きる時間だったから」

「……ねえ、冴子」

「ん? 何、福ちゃん」

「この子、抱かせてもらってもいいかな?」

「! ……フフ、もちろんよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 お袋は慣れた手付きで赤ちゃんを抱きかかえると、とても愛おしいものを見る眼で、新しい命に微笑みかけた。

 赤ちゃんも心地良いのか、ウットリとした顔をしている。

 ……お袋。

 お袋は今、正直どんな気持ちなんだろう。

 冴子さんに対して、嫉妬の感情はないのだろうか?

 ……まあ、魔法も使えない俺には、お袋の本当の気持ちなんて、わかりっこないんだが。


「冴子さん。よかったら私にも、赤ちゃんを抱っこさせていただけませんか?」


 沙魔美が図々しくも願い出た。


「お、おい沙魔美、お前赤ちゃん抱っこしたことあんのか? まだ首も座ってないだろうし、やめといたほうが……」

「そうですよ悪しき魔女! 私とお兄さんの妹にもしものことがあったらどうしてくれるんですか! 私とお兄さんの妹にッ!」


 随分俺と真衣ちゃんの妹だという点を強調するね?


「心配ご無用よ堕理雄&マイシスター! 私は毎晩、赤ちゃんの多魔美を抱っこするイメージトレーニングを欠かしてないんだから!」

「あ、そうなの……」

「ええ……」


 それはそれでコエーよ。

 まあ、将来多魔美が生まれるのは内定してるわけだから、沙魔美の気持ちもわからんでもないが。


「もちろんいいわよ。是非抱いてあげて」


 冴子さんは笑顔で応じた。


「じゃあ、はい、沙魔美ちゃん」


 お袋が沙魔美の腕に赤ちゃんをゆっくりと移した。


「ありがとうございますお義母様。わあ~、ほっぺが堕理雄のお尻みたいにプニプニだわ!」

「オ、オイ沙魔美……」

「え!? お兄さんのお尻ッ!?」


 真衣ちゃんが猟犬のように眼をカッと見開いた。

 俺のお尻に喰いつきすぎじゃね!?

 やめてね! これから妹を抱っこする度に、俺のお尻を連想しないでね!?


「アッハッハ。そうなんだよね。堕理雄は男のクセに、子供の頃からお尻がプニプニなんだよね」

「お袋も! ハズいからそういうこと言わないでくれよ!」

「大丈夫だよ。プニプニなのは堕理雄だけじゃないから」

「え?」

「福与ッ!」


 親父が慌てて、お袋を止めに入った。

 ……もしかして。


「そっ。堕理雄のプニプニは、父親の遺伝なのさ。なあ、冴子」

「フフフ、そうね」

「……」


 親父は余程恥ずかしかったのか、そっぽを向いてしまった。

 そうだったのか……。

 俺は子供の頃からプニプニの尻がコンプレックスだったのだが、犯人は親父だったのか。

 まあ、きっと親父もじいちゃん辺りから遺伝したのだろうが。


「堕理雄も抱っこしてみる?」

「え、俺も!?」


 沙魔美が俺に水を向けてきた。


「いや、俺は……赤ちゃんて抱っこしたことないし……」


 もちろんイメトレもしたことはない。

 それに首が座ってない赤ちゃんを抱くのは、怪我をさせてしまいそうで、正直ちょっと怖い。


「大丈夫ですよお兄さん! 私も初めてでしたけど、ちゃんと抱っこできましたし!」

「真衣ちゃん」

「それに、お兄さんにも私とお兄さんの妹を抱っこしてもらいたいです。私とお兄さんの妹をッ!」

「……」


 さっきからやけに俺と真衣ちゃんの妹だということを強調するね……。

 でも、確かに半分は俺とも血の繋がった紛れもない妹だ。

 ここはお兄ちゃんとして、シッカリ妹を支えてあげないとな!


「……よし、沙魔美。ゆっくり……ゆっっっくり俺に受け渡してくれ」

「緊張しすぎじゃない? 大丈夫?」

「だ、大丈夫だ。いいか、ゆっくりだぞ。これは、フリじゃないぞ!」

「わかってるわよ。いい? 赤ちゃんを包み込むようにして抱きかかえるのよ。身体から離したら、赤ちゃんが怖がっちゃうからね」

「わかった……。さあ、こい!」

「はい」


 沙魔美が赤ちゃんを事もなげにヒョイッと渡してきた。


「オイ! ゆっくりって言っただろうが! あわわわわわ」


 俺はパニックになってしまい、『ラブス〇ーリーは突然に』のジャケットみたいな格好で、赤ちゃんを抱きかかえた。


「プフー! なに堕理雄その格好。カズマサ、マジカズマサ」

「誰のせいでこーなってると思ってんだ!!」

「キャハッ」

「!」


 カズマサポーズが思いの外新鮮だったのか、赤ちゃんはキャッキャと笑い出した。

 か、可愛すぎる……。

 養いたい!

 本人が行きたいと望むなら、私立の高校にも通わせてあげたい!

 ……ハッ。

 イカンイカン。

 またしても俺の養い癖が発動してしまった。

 しかもまだ産まれたばかりだというのに、もう高校の話なんて。

 どんだけ気が早いんだ俺は。

 でも赤ちゃんて、本当に軽くてちっちゃいんだな。

 シュナイダー(猫)と同じくらいじゃなかろうか?

 それなのに、生命力というか、生きることへの渇望みたいなものが、内側から絶え間なく溢れ出ているのを感じる。

 生命いのちって凄い。

 こんなに小さい赤ちゃんでも、既に一人の人間として、人生という険しい旅路を歩み始めてるんだ。

 こりゃ、兄としてみっともないところは見せられないな。

 そう思うと自然とリラックスして、俺はカズマサポーズから普通の姿勢に戻れた。

 と、その時だった。


「ふえぇ……オギャーー!! オッギャーー!!」

「!!」


 赤ちゃんが急に号泣し出した。

 な、なんで!?


「堕理雄! きっと赤ちゃんはカズマサポーズがご所望なのよ! またカズマサポーズに戻ってみて」

「そんなバカな!?」


 とは言うものの一応カズマサポーズに戻ってみると、赤ちゃんはピタリと泣き止み、またキャッキャと笑顔を俺に向けてきた。


「ほらね! 今後堕理雄は、この子を抱っこする時は、常にカズマサポーズを維持するのよ」

「……マジか」


 この格好、結構足腰がキツいんだけど……。

 ジャケット撮影の時、カズマサは結構頑張ってたんだな(謎の上から目線)。


「フフフ、よかったわね、お兄ちゃんに抱っこしてもらえて」


 冴子さんが眼を細めながら、赤ちゃんに言った。

 そんなことを言われると、カズマサポーズを頑張らざるを得ないな……。

 兄になるのも楽じゃない。


「ねえ、福ちゃん」

「ん? 何だい冴子」


 冴子さんが急に改まった様子で、お袋に話を切り出した。


「実は一つ、福ちゃんにお願いがあるんだけど」

「何だよ、水臭いね。アタシと冴子の仲じゃないか。アタシにできることなら何でもするよ。言ってみな」

「ありがとう。…………福ちゃんにね、この子の名付け親になってほしいの」

「!」


 なっ!?

 何だって!?

 名付け親!?

 それって……。


「……冴子、俺は――」

「お願い竜也さん。これは私が、ずっと前から考えていたことなの」

「……そうか。なら俺は、何も言わねえよ」

「……ホントにアタシなんかが名付け親になってもいいのかい、冴子?」

「うん。お願い、福ちゃん」

「…………わかった。そうだね、だね」


 っ!

 今度はアタシの番……!?

 ってことは、やっぱり俺の名付け親は……。


「堕理雄、もう一度アタシに、その子を抱かせとくれ」

「あ、ああ」


 俺はお袋の腕に、ゆっくりと赤ちゃんを移した。

 お袋は聖母の様な顔で、しばらく無言で赤ちゃんを見つめていた。

 真衣ちゃんも沙魔美も、固唾を呑んで事の成り行きを見守っている。

 どれだけそうしていただろうか。

 永遠にも、一瞬にも感じられる時間の中、お袋が、ふと口を開いた。


「……『真理まり』。真衣ちゃんの『真』と、堕理雄の『理』で、『真理』ってのはどうかな?」


 お袋がそう言った途端、場の空気が花畑にいるみたいに、パアッと明るくなった気がした。


「フフフ、流石福ちゃん。……良い名前だね」


 冴子さんは、眼に薄っすらと涙を浮かべなら言った。

 親父も、口にこそ出さなかったが、そのほころんだ口元から、内面が察せられた。


「凄く良い名前だと思います福与さん! 私とお兄さんの名前が両方入ってるなんて、まるで私とお兄さんの間に出来た子供みたいですよね!?」

「え? ……そうかな」


 あのお袋が若干引いている。

 やるな真衣ちゃん。

 何事にも動じないお袋に、こんな顔をさせるなんて。


「お義母様! でしたら、沙魔美の『沙』も足して、『真理沙まりさ』ちゃんというのはいかがでしょうか!?」

「え……」


 沙魔美が無理矢理自分の名前もねじ込んできた。

 お袋はさっき以上にドン引きしている。


「コラ! 悪しき魔女! どさくさに紛れてねじ込もうとするのはやめなさい! 名前は『真理』で決定です! ねー、真理。私がお姉ちゃんでちゅよー」


 真衣ちゃんが、お袋に抱かれている真理ちゃんに向かってベロベロバーをした。

 真理ちゃんはまだ眼は見えていないだろうに、そんな真衣ちゃんのベロベロバーを受けて、キャッキャと笑い出した。


「ええ~。真理沙がいいと思うんだけどな~」

「諦めろ沙魔美。他でもない赤ちゃん自身が、真理がいいって言ってるんだ。俺にはそう見える」

「チェッ」


 しかしこれで、俺の妹は『真衣』、『マヲ』、『真理』と、奇しくも名前の一文字目がみんな『ま』になったわけだ。

 ままま三姉妹だな(何それ?)。


「……それにしても、とはね」


 お袋がボソッと呟いた。

 今日は5月7日。

 つまり、真理ちゃんが産まれた一昨日は5月5日、こどもの日だ。


「本当は、女の子だから3月3日とかに産んであげたかったんだけど」


 冴子さんが、はにかみながら言った。

 まあ、確かに5月5日は、男の子の日ってイメージが強いからな。

 だが、お袋は冴子さんに、あっけらかんとした口調で返した。


「いや、いいじゃないかこどもの日。確かこどもの日って、『こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日』なんだろ。誕生日としては最高じゃないか。きっとこの子も、その日がよかったから、ちょっとフライングして出てきたくなっちまったんだよ」

「フフフ、そうだといいけど」


 お袋はそらでこどもの日の趣旨を言い連ねた。

 普段からそんなものをお袋が暗記しているとは思えないので、ここに来る前にネットとかで調べてきたに違いない。

 本当にお袋は、冴子さんが大好きなんだな。


「さてと、そろそろオッパイをあげる時間だろ? アタシ達はおいとましよっか。堕理雄、沙魔美ちゃん」

「あ、うん」

「そうですねお義母様」

「ほらよ、竜也」

「え?」


 お袋が親父に、真理ちゃんを渡そうとした。


「いや、俺は……片腕だから、上手く抱けるか自信ねーからいいよ」

「何情けないこと言ってんだよ。あんたは曲がりなりにもこの子の父親だろ。自分の子供も抱けないで、父親が務まるわけないだろーが」

「……そうだな」


 お袋に諭された親父は、もたつきながらも左腕だけでお袋から真理ちゃんを受け取り、愛おしそうに真理ちゃんのことを抱きしめた。

 真理ちゃんは珍しいものでも見たかの様な、キョトンとした顔をしている。

 そしてそんな親父と真理ちゃんを、冴子さんと真衣ちゃんが、優しく見守っていた。

 ……良い家族だな。

 俺は、心の底からそう思った。


「福ちゃん、堕理雄君、沙魔美さん、またいつでも、真理に会いに来てあげてね」

「……はい」

「次は冴子が退院したら、出産祝いを持ってくからさ」

「ありがとう、福ちゃん」

「冴子さん、冴子さんは、ドリアンはお好きですか?」

「え? ドリアン?」

「すいません冴子さん、沙魔美の言うことは無視してください」

「え、ええ……」

「じゃ、またね、冴子」

「……またね、福ちゃん」


 どこか憂いを帯びた顔でお互いを見つめているお袋と冴子さんに、俺は複雑な女の友情を垣間見た気がしていた。

 最後にお袋はニカッと笑うと、颯爽と病室を後にした。

 俺と沙魔美も冴子さん達に会釈をし、お袋の後に続いて病室を出ようとした。

 と、その時。


「あ、堕理雄君」

「はい?」


 冴子さんに呼び止められた。


「何でしょうか?」

「将来沙魔美さんとの間に子供が産まれたら、私にも抱っこさせてね」

「……はい」

「もちろんですわ冴子さん!」


 まるで母親の様に優しい眼でそう言った冴子さんに俺は、「ああ、やっぱりこの人が、俺の名付け親なんだな」と、何となく、そう思ったのだった。

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