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第68魔:一緒に確かめましょ

「……フウ」


 長時間に続く緊張のあまり、俺はため息を一つ零した。

 待合室に掛かっている時計を確認すると、午後の9時を少し過ぎたところだった。

 ――冴子さんが分娩室に入ってから、既に13時間以上が経過していた。


「お母さん……お母さん……」


 俺の左隣に座っている真衣ちゃんは、先程からずっと祈るように両手を組んで、冴子さんの身を案じている。


「冴子さんならきっと大丈夫よマイシスター。あなたもお姉ちゃんになるんでしょ? お姉ちゃんなら、もっとシッカリなさい」

「悪しき魔女……」


 真衣ちゃんの左隣に座っている沙魔美は真衣ちゃんの肩に手を置いて、珍しくフザけずに真衣ちゃんを慰めている。

 まあ、流石にこんな状況でフザけていたら、俺も本気で怒るが。




 今朝のことだ。

 親父達の夢を見た後、沙魔美の『コンドーサン新撰組エディションに穴を開けておいた』という衝撃の発言を聞いた俺は、結局それが本当なのか確かめる勇気が持てないまま、朝を迎えてしまった。

 今日はゴールデンウィークで大学の講義も休みだし、スパシーバのバイトもなかったので、後で昼寝でもすればいいかと、横でグーグー寝息を立てている沙魔美をよそに、俺は顔を洗うために起き上がった。

 その時だった。

 俺のスマホがブルブルと震えだした。

 誰かから電話かな?

 スマホを取ってディスプレイを見ると、そこには『真衣ちゃん』と表示されていた。

 その表示を見た瞬間、俺の頭にある予感がよぎった。

 俺は急いで通話ボタンを押した。


「もしもし、真衣ちゃん?」

「お、お兄さん! 今、お母さんが……、陣痛が始まって……び、病院に……」


 真衣ちゃんはかなり動揺しているのか、言葉がおぼつかない。

 でも言いたいことはわかった。

 俺の予感通り、冴子さんの陣痛が始まったんだな。

 確か予定日は来週だと言っていたはずだが、早まったのか……。


「真衣ちゃん、落ち着いて。真衣ちゃんは今、病院にいるの?」

「は、はい、病院の待合室に……。お父さんは、お母さんに立ち会うために、一緒に分娩室に入って行きました」


 少し落ち着いてきたのか、真衣ちゃんにいつもの口調が戻ってきた。


「そうか。じゃあ後はプロの人達に任せておけばきっと大丈夫だから心配しないで」


 出産の知識なんてほぼない俺が言っても説得力はないのは百も承知だが、今は気休めでもそう言うしかない。


「はい……。あの、お兄さん……お願いがあるんですけど……」

「ん? 何だい? 俺にできることなら何でもするよ。言ってごらん」

「……お兄さんも、今から病院に来てもらえないでしょうか?」

「え!? ……俺も?」


 そ、それはちょっと……。

 父親の再婚相手の出産に立ち会うって、あんまり聞いたことないし……。

 それにこれは極めて個人的な理由だが、さっき見た夢で、もしかしたら冴子さんが俺の名付け親かもしれないとわかった以上、冴子さんとどんな顔をして会えばいいのかわからなすぎる。


「お願いします、お兄さん。……私、さっきからずっと、不安で……どうにかなりそうなんです……」

「! ……真衣ちゃん」


 俺はバカだ。

 大事な妹がこんなに不安がってるのに、つまらないことにこだわって。

 一応俺はお兄さんなんだ。

 妹のピンチに駆けつけなくて、何が兄か。


「……わかったよ真衣ちゃん、今すぐ行く。場所は何ていう病院かな?」

「あ、ありがとうございますお兄さん! 『サンキュー産婦人科』っていう、駅前にある病院です!」

「サンキュー産婦人科だね? なるべく早く行くから、もう少しだけ待っててね。着いたら連絡するよ」

「はい! 待ってます!」


 通話を切った俺はスマホをポケットにしまいながら、頭の中で病院までの最短ルートを模索した。

 てか、サンキュー産婦人科て……。

 随分フザけた名前の病院だけど、大丈夫かな……?(ありがとうの『サンキュー』と、『産休』を掛けてるのか?)

 あ、そうだ。沙魔美のことを忘れてた。

 まあ、沙魔美はまだ寝てるだろうし、そのまま寝かせておいて、後でメールで事情を説明しておけばいいか。

 俺は振り返って沙魔美が寝ているベッドのほうを向いた。

 が、そこには沙魔美の姿はなかった。

 あれ?

 どこいったんだあいつ?


「ここよ、堕理雄」

「!」


 いつの間にか沙魔美は余所行きの格好に着替えた上で、鏡台の前で化粧をしていた(ちなみにこの鏡台も、沙魔美が魔法で勝手に作ったものだ)。


「起きてたのか……」

「そりゃあんなに大きな声で電話してたら目も覚めるわよ。状況は把握してるわ。堕理雄も早く支度して」

「ま、待て! もしかして、お前も俺と一緒に行くつもりか……?」

「当たり前じゃない。マイシスターのピンチなのよ。ここで駆けつけなくて、何が姉か」

「……そうか」


 お前も俺と気持ちは同じか。

 彼氏の父親の再婚相手の出産に立ち会った人類は沙魔美が初になりそうだが、こうなった沙魔美は絶対に自分の意思を曲げないだろう。

 真衣ちゃんは嫌な顔をするかもしれないが、沙魔美も連れていくしかないか……。


「何を突っ立ってるの堕理雄! 30秒で支度しな!」

「……」


 空中海賊の女頭領でさえ40秒はくれたのに……。

 まあ、事態は一刻を争うのは事実だ。

 30秒とはいかなかったが、俺はなるはや(死語)で支度を済ませた。

 そして沙魔美の魔法でサンキュー産婦人科にワープし、真衣ちゃんと合流したというわけだ。


 沙魔美の顔を見た真衣ちゃんは、案の定露骨に嫌な顔をしたが、


「ま、まあ今日だけは特別に、悪しき魔女も同席を許しましょう」


 とデレて、沙魔美を受け入れた。

 つまりそれだけ心細かったということだろう。

 毛嫌いしている義理の姉でも、今は側にいるだけで心強いに違いない。


 その後俺と沙魔美は真衣ちゃんに案内された待合室で、冴子さんの出産が無事終わるのを三人で待つことにした。

 途中何度か看護師さん達が来て状況を説明してくれたが、思いの外難産になってしまっているらしく、看護師さん達の口調は重かった。

 ちなみに俺と沙魔美が、父親の元妻との間の息子と、その彼女だと説明すると、看護師さん達は一様に、「あ、そうなんですねー」と、何とも言えない苦笑いを浮かべていた。

 ま、そりゃそうだよね。


 俺達三人は重苦しい空気の中、天に祈りながら今か今かと吉報を待ったが、その祈りも虚しく、日が傾いてからも一向に、分娩室から産声は聞こえてこなかった。




「……ハア」


 俺は再度ため息をつき、時計を確認した。

 時間は午後の10時に差し掛かろうとしていた。


「う……うう……ヒック……ヒッ……」

「よしよし。大丈夫よマイシスター」


 遂に堪え切れなくなった真衣ちゃんは、沙魔美の胸の中で泣いてしまっている。

 沙魔美は慈愛に満ちた顔で、そんな真衣ちゃんの頭を優しく撫でていた。

 二人の様子を横目で見ていた俺は、こうしていると本当の姉妹みたいだな、と、場違いなことを思った。

 ……冴子さん。

 真衣ちゃんのためにも、どうか母子共に、無事帰ってきてください。

 そのためだったら、たとえ俺の残りの寿命をいくら分けても構いませんから。


「っ! お父様!」

「え?」


 沙魔美が急に大きな声を出したので前を向くと、そこには白衣を着た親父が、のっそりと立っていた。

 片方しか無い腕は、手のひらが赤く充血している。

 それは恐らく長時間に渡り、冴子さんの手を握りしめていたことによるものだろう。

 あるいは冴子さんのほうが、親父の手をずっと握りしめていたのかもしれない。


「……親父」

「……お父さん」

「おお、堕理雄と沙魔美ちゃんも来てたのか。遅くまでご苦労さん。真衣も、よかったなお姉ちゃんによしよししてもらって」

「こ、これはッ! そういうんじゃないよ!」


 我に返って恥ずかしくなったのか、真衣ちゃんは急いで沙魔美から離れた。

 対して親父の口調はいつも通りの人を食ったようなそれだったが、顔にはくっきりと疲労の色が見て取れた。

 当然だ。

 親父も冴子さんにずっと付きっ切りで、朝から飲まず食わずで今まで一緒に戦ってきたのだろうから。

 だが、親父がこうして出てきたってことは……。


「親父、冴子さんは……」

「残念だが、まだ苦戦中だ。あともう少しってとこまでは来てるんだがな」

「……そう」


 じゃあ、なんでそんな冴子さんを置いて、親父は先に出てきてるんだよ?


「実は冴子に、ある助っ人を呼んできてほしいって頼まれてよ」

「え? 助っ人?」


 親父が俺の疑問を先読みしたのか、聞いてもいないのに、外に出てきた目的を言った。

 助っ人?

 出産に助っ人っているの?

 昔でいう、産婆さんみたいな人でも呼んだのか?

 今でも産婆さんているのかな……。


「さっき電話したんで、そろそろ来る頃だと思うんだがな。…………お、来たか」

「……!!」


 そこに現れた人物を見て、俺は思わず絶句した。


「よう、久しぶりだね竜也」

「……ああ。本当にな」

「お! お義母様!!」


 ――それは俺のお袋だった。




「久しぶり、沙魔美ちゃん、堕理雄も。お正月以来かな?」

「え、ええ」

「……なんでお袋がここに」

「なんでって、こいつに呼ばれたからさ」


 お袋は親指で、親父を指差した。

 親父はこれ以上なくばつが悪そうな顔をしている。

 さもありなん。

 実にこの二人が離婚してから、これが久方ぶりの再会なのだ。

 しかもその場所が、親父の再婚相手の出産現場になろうとは……。

 彼氏の父親の再婚相手の出産に立ち会った人類は沙魔美が初だろうが、元旦那の再婚相手の出産に立ち会った人類も、お袋が初だろう。

 しかし、助っ人がお袋だったとはな。

 冴子さんがお袋を呼ぶように、親父に頼んだってことか……?

 なんでまた……。

 いや、考えられることは一つだろう。

 この正念場で冴子さんにとって一番頼れる存在が、お袋だったってことだ。

 それは親父達の過去を夢で見てきた俺ならわかる。

 そして、お袋にとっても冴子さんは、この世で最も大切な人の一人なのだ。


「……久しぶりだね真衣ちゃん。ていっても、前に会った時は、まだ真衣ちゃんは赤ちゃんだったから、アタシのことは覚えてないよね?」

「え? ……ええ……はい」


 真衣ちゃんはどういうリアクションをすればいいのかわからないようで、しどろもどろになって眼を泳がせている。

 さもありなんその2。

 自分の母親の出産現場に義理の父親の元妻が現れたら、誰でもこんな風になるだろう。

 しかもその元妻が母親の幼馴染で、自分が赤ちゃんの時に、一度会ったこともあるとなったら尚更だ。

 何なんだこのカオスな空間は?

 俺はまたしても、新手のスタンド使いの攻撃を受けているのだろうか?


「さてと、無沙汰の挨拶はこの辺にして、いっちょお姫様を助けてきますかね」


 お袋は大袈裟に腕まくりをし、無邪気に笑ってみせた。


「……福与」

「何て顔してんだよ竜也。早く行くよ。話は後だ」

「……ああ、頼む」


 親父とお袋は、並んで待合室から出て行こうとした。


「あ、あの! 福与さん!」


 そんなお袋の背中に、真衣ちゃんが呼び掛けた。

 お袋はゆっくりと振り返って、真衣ちゃんの眼を見た。


「何だい? 真衣ちゃん」

「……お母さんを、よろしくお願いします」

「……フフ、任せてよ」


 お袋は真衣ちゃんに、満面の笑みでサムズアップを返した。

 そしてこんどこそ親父とお袋は、待合室から颯爽と出て行った。

 真衣ちゃんはそんなお袋の背中に、いつまでも無言で頭を下げていた――。




「ギャーーーッ!!! オギャーーーッ!!! オギャーーーッ!!!」

「「「!!」」」


 親父とお袋が出て行ってから、少しした頃だった。

 待合室までも聞こえるくらいの、大音量の産声が俺達の耳に届いた。


「あ……ああ……うぐ、う…………ぶえええ~~~ん!!!」


 真衣ちゃんは緊張の糸が切れたのか、産声に負けないくらいの大声で泣き出した。

 沙魔美はそんな真衣ちゃんを、横からそっと抱きしめた。

 ……フウ。

 何とか無事産まれたみたいだな……。

 本当にお疲れ様でした冴子さん。

 ……あと、親父とお袋もな。


「あ、お父様、お義母様!」


 程なくして、親父とお袋が待合室に戻って来た。

 その途端、赤子の様に泣いていた真衣ちゃんがピタリと泣き止み、お袋に訊いた。


「福与さん! あの……お母さんと、赤ちゃんは……?」

「大丈夫。母子共に健康。……元気な女の子だよ」

「……そうですか」


 それを聞くと、真衣ちゃんはまた泣き出した。

 ……女の子か。

 これで俺には真衣ちゃんとマヲちゃんに続き、三人目の妹が出来たわけか。

 まさかこの一年足らずで、三人も妹が出来るとは。

 一年前の俺に言っても、絶対に信じないだろうな。

 ……それにしても。


「お袋、今の今までなかなか産まれなかったのに、よくこんなすぐに産ませることができたな。何か魔法でも使ったのか?」


 魔女でもないのに。


「ハハッ。まあ、ある意味魔法みたいなもんだね。魔法っていうか、呪文かな」

「呪文?」

「オイ福与! こいつらの前では言うなよ。ハズいだろ」


 親父が必死になって、お袋を口止めしている。

 こうなると、聞いてみたいような、聞くのが怖いような……。


「お義母様! どんな呪文だったのか、是非お聞かせくださいな!」


 KY魔女が、空気を読まずに切り込んでいった。


「勘弁してよ沙魔美ちゃん……。別に聞く程のもんじゃねーって……」

「いいじゃないか竜也、減るもんじゃないし。なに、大したことじゃないよ。アタシは冴子にこう言ったんだ、『竜也って、尻の右側にだけ、ほくろが3つもあるよな』ってね」

「まあ!」


 ……うわぁ。

 聞きたくなかったな、俺は。

 両親のそんなデリケートな話は……。

 真衣ちゃんも俺と同じ気持ちなのか、俺と同様の複雑な表情をしている。


「そしたら冴子が大爆笑してさ。その途端にスポーンと赤ちゃんが出て来たよ。アッハッハ」


 アッハッハじゃねーよ。

 この場でそんなに爆笑してんの、お袋だけだぞ。

 ……と、思ったら、沙魔美も同じくらい爆笑していた。

 流石未来の義理の母娘。

 この二人、血は繋がってないのに、こういうとこはそっくりだ。


「あー、笑った笑った。さて、今日はもう遅いし、アタシ達は退散しようか、堕理雄、沙魔美ちゃん」

「え、あ、うん」

「そうですねお義母様」

「竜也、真衣ちゃん……冴子をよろしくね」

「……ああ」

「あ、あの、本当にありがとうございました、福与さん!」

「いーってことよ。明後日の午後辺り、落ち着いた頃にまたこの三人でお見舞いに来るからさ。そん時にまたね」

「はい! お待ちしてます!」


 勝手に俺達のお見舞いの日取りも決めたのは若干腑に落ちなかったが、明後日は俺も沙魔美も大学の講義は午前中しかなかったはずだし、まあ、ちょうどいいか。

 まるで夜中にチョロッとコンビニに買い物でも来たみたいな雰囲気のお袋の背中に、俺は呆れを通り越し、一周回って尊敬の念すら抱いてしまっていた。




「ふわぁ~あ」


 沙魔美と家に帰ってきた俺は、大きな欠伸を一つ噛み殺した。

 流石に眠い。

 今横になったら、2秒で寝れる自信がある。


「ねえ堕理雄」

「ん? 何だよ」


 できれば早く寝たいから、話があるなら明日にしてほしいんだけど。


「今朝の『肘川コンドーサン新撰組エディション穴開き事件』のことだけど」

「今朝の事件には、そんな名前が付いていたのか……」

「あれ実はね、穴を開けたっていうのは、嘘なの」

「……そうか」


 薄々そんな気はしていたよ。

 沙魔美はいつも周りに迷惑ばっかかけている性悪魔女だが、それでも最後の最後の、越えてはいけない一線だけは越えない分別を、一応は持っているからな(絶対越えないという保証はないが)。

 大方、俺の覚悟を試したかったとか、そんなとこが理由だろう。

 まあ、それはそれで、相当にタチの悪い嘘ではあるが。


「今回だけは許してやるが、二度とこんな嘘はつくなよ。いいな?」

「わかったわ。ごめんなさい。でも私、今日改めて決意したの!」

「……何をだよ」

「将来、何が何でも多魔美を産むってね! その時は、堕理雄はもちろんだけど、是非お義母様にも立ち会ってもらいたいわ! そしたら5分でスポーンよ!」

「5分でスポーンは流石に無理だろ……」


 でも、お袋なら5分とは言わないまでも、あっという間に多魔美を産ませることができるだろう。

 その時にお袋がどうやって沙魔美を笑わせるのかは、今から不安でしょうがないが……。


「そういうわけだから堕理雄」

「何だよ」


 またぞろ嫌な予感がするな。


「今から残りのコンドーサン新撰組エディションには穴が開いていないかを、一緒に確かめましょ」

「どこがそういうわけだからなんだよ!」


 え、待って。

 それって、だよね?

 俺、今日はもう、寝たいんだけどなあ……。

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