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第49魔:伊達巻

「竜也君、起きて。もう朝だよ」

「ん? んん~……あと五分……」

「もう、しょうがないなあ」


 チュッ


「んなあっ!? 冴子! お前今、何した!?」

「フフフ、竜也君が起きないのが悪いんだよ。どう? 目は覚めた?」

「あ、ああ、そりゃ、まあ……」

「じゃ、早く着替えて学校行こ」

「お、おう」


 冴子と付き合い始めてから一ヶ月程が経った。

 とはいえ、付き合う前も冴子とはいつも一緒にいたし、生活自体には今までと比べて然程変化はない。

 ただ、些細なことだが、一つだけ変わったことがある。

 冴子が俺を起こしに来る時間が、付き合う前よりも遅くなったことだ。

 それでも学校には十分間に合っている。

 何故なら俺と冴子は部活に入っていないので、朝練がないからだ。

 福与が一緒に俺を起こしに来ていた頃は、福与の朝練の時間に合わせていたので、少し早めに家を出ていた(俺にとって、冴子と福与と俺の三人で登校するのは、日常の一部になっていたので、それに対して不満に思ったことは一度もないが)。

 俺と冴子が付き合う前、福与が俺の家に来なくなった時は、冴子は今まで通りの時間に俺を起こしに来ていた。

 それが付き合い始めてからは、その時間が遅くなった。

 そのことが何を意味しているのかは、俺にはわからない。

 わざわざ理由を聞くのも野暮な気もしたし、恐らく冴子なりのケジメの様なものなのではないかと、勝手に解釈したからだ。

 もちろん福与とは今まで通り友達だ。

 だが、俺と冴子は『恋人』になった。

 そのことを明確にするために、冴子は敢えて、起こしに来る時間を遅らせたのではないだろうか?

 まあ、これはただの憶測に過ぎないのだが(単に合理的に考えた結果かもしれない)。


 俺と冴子が廊下を歩いていると、向こうから咥え煙草の師匠が歩いてくるのが見えた。

 俺が起きる時間が遅くなったのに、何故か今でも師匠とは毎朝廊下で会う。

 ひょっとして、師匠って四六時中家の中を行ったり来たりしてんのかな?

 ……ヒマなのかな?


「オウ竜也。今日もお熱いねえ。ヒューヒューだよ!」

「そのネタはこの時代でも既に古いだろ! 平成生まれには絶対伝わらないぞ!」

「はっはっはっ! でも、そんな様を見せつけられちゃ、そうも言いたくなるってもんだぜ」

「うっ」


 確かにそう言われると、ぐうの音も出ない。

 何故なら冴子が俺の腕に、ギュッと抱きついているからだ。

 傍から見たら完全にバカップルである。

 まさかあんなに大人しかった冴子が付き合い始めた途端、こんなに甘えん坊になってしまうとは思わなかった。

 こんな話、聞いてないぞ!(嫌だとは言ってない)

 ちなみに俺と冴子が付き合い始めたことは、速攻で桜紋会や学校のみんなにバレた。

 まあ、隠すつもりはなかったから、別にいーんだけどさ。


「おはようございます師匠さん」

「ほいよ。冴子ちゃん、うちのバカ弟子を、末永くよろしくな」

「任せてください。竜也君は、私が必ず幸せにします」

「……」


 何だこの、娘を嫁に出す父親と、娘の彼氏みたいな遣り取りは……。

 俺が嫁の立場なの?




 師匠と別れてから玄関に向かうと、玄関の前で意外な人物に会った。

 俺の兄貴だ。


「兄貴」

「竜也か、久しぶりだな」

「うん、こんな時間に出掛けるなんて珍しいね。何かあったの?」

「まあ、ちょっとな」

「……ふーん」


 兄貴と俺は四つしか年は離れていないが、兄貴は既に若頭として桜紋会を切り盛りしている。

 兄貴は普段家にいないことも多く、生活リズムも俺とはバラバラなので、顔を合わせること自体、随分久しぶりだ。

 眼鏡をかけているし、いつもピシッとしたスーツを着ているから、パッと見は真面目なサラリーマンの様にも見えるが、眼だけは常に氷の様に冷たいので、それも含めて見ると、やはりカタギには見えない。


「……一応お前の耳にも入れておくか。先日センセイが返り討ちにした、仁凍会じんとうかい握井あくいという代打ちの男が、姿をくらましたらしい。センセイに敗けたことが原因で代打ちをクビになりかけたらしく、センセイのことを相当恨んでいたそうだから、もしかすると握井はセンセイの命を影から狙っているのかもしれない。俺達もそいつの行方を捜してはいるが、お前も怪しい男を見掛けたら、すぐに俺に教えろ」

「なっ!? そんなの逆恨みじゃないか!」

「そんな正論が通じる相手なら、こんなことにはなっていない。お前もくれぐれも気を付けろよ」

「う、うん」

「ああそれと、前から言っていた通り、来週は先代の法事だからな。忘れるなよ」

「あ、忘れてた」


 先代というのは数年前に死んだ俺達のじいちゃんで、桜紋会の初代会長だ。

 ちなみに前に三途の川の向こうで、パラパラの練習をしていた人物でもある(39話参照)。


「まったく、お前はいつまで経ってもそうだな。……冴子ちゃん」

「は、はい!?」

「こいつはこんな頼りない男だから、冴子ちゃんがしっかり支えてやってくれ。頼む」

「か、かしこまりました!」

「フ、じゃあな。俺は先に出る」

「ああ、いってらっしゃい兄貴」

「いってらっしゃいませ! お義兄にい様!」


 ん? 今、お義兄様って言った?

 ……気のせいか。

 兄貴が玄関の戸を閉めてから、俺は冴子に言った。


「しっかし冴子も、兄貴にだけは未だに緊張すんだな。やっぱ怖いか?」

「ううん、怖いわけじゃないんだけど……。何て言うのかな……いつも冷静すぎるっていうか」

「ああわかる。俺も兄貴がアタフタしてるとこは見たことねーもん。何かロボットみてーだよな。ま、兄貴が『ひっえ~、どどどどーしよー』とか言ってる様は、想像付かねーけどさ」

「フフフ、何それ」

「ハハハ。おっ、もうこんな時間だ。俺達も行くか」

「うん」


 俺はPHSの時計を確認して言った。

 ちなみに俺は腕時計を持っていない。

 基本的にアクセサリーの類が、全般的に好きではないのだ。




「おっ、今日もお熱いねえお二人さん。ヒューヒューだよ」

「お前もかよ福与!」

「えっ、何が?」

「……何でもねーよ」


 教室に入るなり福与にからかわれた。

 学校にいる時も冴子は俺にベッタリなので、さもありなんといったところだ。


「おはよう、福ちゃん」

「おはよ、冴子。冴子は今日も可愛いな」

「えへへ、ありがと。福ちゃんも今日も美人さんだよ」

「ありがとよ。なあ冴子、こんなやつとは別れて、アタシと付き合わねーか?」

「うーん、どーしよっかなー」

「……」


 何だこの茶番は。

 未だに俺は女子のこういうところが、イマイチ理解できない(一生理解できそうもないが)。

 ちなみに俺も最近知ったことなのだが、どうやら冴子には前からファンクラブが存在していたらしい。

 確かに冴子は可愛いし、性格も優しいので、そのこと自体は意外ではない。

 ただ一つ厄介なのは、俺がそのファンクラブ会員から、命を狙われているという噂が流れていることだ。

 何でも今までは幼馴染ということで、冴子の近くにいてもギリギリ許されていたそうなのだが、彼氏となったら話は別だそうだ。

 会員内では俺のことは「見掛けたら斬れ」と、逸刀流の様な物騒な御触れが出ているそうで、学校にいる時の俺は、気が気じゃない

 まさか師弟揃って命の危機に晒されるとは、何とも深い師弟愛である。

 更にもっと驚くことがあったのだが、何と我が校が誇る破壊王キングオブデストロイの福与にも、ファンクラブが存在しているらしい!

 そんなバカな!? と俺も訝しんだが、会員のほとんどがM男だという話を聞いて、合点がいった。

 ま、そういうことなら、ね……。


「何だよ竜也、その眼は」

「い、いやいや、何でもねーよ」

「ふーん。ところでわかってるとは思うけど、もしも冴子を悲しませるような真似をしたら、アタシがアンタの頸椎と心臓と股間と喉仏と盲腸を潰すから、覚悟しときな」

「盲腸は別に潰されてもいーよ! 最悪無くても死にはしないし!」


 これは余談だが、作者は昔、虫垂炎に罹って手術で盲腸を切除した経験がある(実話)。

 虫垂炎は尋常じゃないくらい痛い上、腹膜炎を併発すると命に関わる恐れもあるので、みんなもお腹に異様な痛みを感じたら、すぐにお医者さんに行こう(警告)。


「……まあ、しっかりやんなよ」

「お前は俺のお袋かよ」


 そういえば、もう一つだけ俺の生活に変化があった。

 福与が俺に、一切暴力を振るわなくなったことだ。

 前までは、シティーハ〇ターのヒロイン並みに、毎日俺をボコボコにしていたというのに。

 これも冴子と同じく、福与なりのケジメなのだろうか?

 痛い思いをしなくて済む分ホッとした一方で、少しだけそれが寂しいと感じている自分がいることに、我ながら戸惑っているが、それがどういった感情に起因するものなのかは俺にもわからない。

 少なくとも、ご褒美が貰えなくて悲しんでいるM男とは違うと思いたいが……。




「ねえ竜也君、今日って今から何か予定ある?」

「ん? 別にないけど」


 放課後、冴子と二人で帰っている途中で、冴子から聞かれた。

 因みに冴子は今も俺の腕に、絶賛抱きつき中である。


「じゃあさ、ちょっとだけ私の家に寄ってかない?」

「え!? 今から!?」

「うん。ダメ?」

「いやいやいや! 全然ダメじゃねーけど! ……でも、俺なんかが行っていいのか?」

「フフ、いいに決まってるじゃない。彼氏なんだから」

「そ、そうだよな。彼氏だもんな」


 ……ついに来たか。

 もちろん冴子の家には、子供の頃から何回も行ったことはある。

 だが、彼氏になってからはまだ行ったことがなかった。

 昔から知っている冴子の両親に、どんな顔をして会えばいいのかわからなかったというのが本音でもある。

 まして俺はヤクザの息子だ。

 冴子の両親も、友達ならまだしも、彼氏となったら良い顔はしないのではないだろうか……。

 だがいつまでも会わないわけにもいかない。

 今の冴子からのお誘いは、そろそろあなたも私の両親に対してケジメをつけなさいよ、という無言の圧ではないだろうか?

 よし。

 良い機会だと思って、俺もしっかりと彼氏としてのケジメをつけるぜ!


「じゃ、じゃあ、どっかで手土産でも買ってくか」

「ああ、うちの親に気を遣ってるなら大丈夫だよ。今日うち、誰もいないから」

「はあっ!? そうなの!?」

「うん。今年は両親の結婚二十周年だから、二人でトリニダード・トバゴに旅行に行ってるの」

「随分マニアックな国に!?」


 あれ?

 ちょっと待って。

 てことは、大分意味合いが違ってくるぞ。

 てっきり冴子は両親に挨拶させるために俺を呼んだんだと思ったが、両親がいないのではその線はない。

 ではどの線があるんだ?

 ……そんなの、一つしかなくない?

 若い男女が、他に誰もいない家で二人きり。何も起きないはずがなく……。

 フオオオオオ!

 俺もついに、大人の階段を登ってしまう時が来たのか!

 冴子とはキスは何度もしたけど、その先はまだだったからな……。

 今こそ、こんな時のために常に財布に忍ばせておいた、コンドーサン新撰組エディションが火を噴く時だぜ!(火を噴いたら使い物にならない)

 今日は俺の天然理心流三段突きを見せてやる!


「竜也君? どうしたのそんなニヤニヤして?」

「え!? 俺今、ニヤニヤしてた!?」

「うん。あと天然理心流が何とか言ってたけど」

「あれ!? 俺それも口に出してたの!?」

「出してた。竜也君、新撰組好きなの?」

「あ、あー! 好き好き大好き! 特に近藤勇にはお世話になってるっていうか!」

「え?」

「いや! 何でもない! 気にしないでくれ! ハハハ……」

「フフ、変なの。じゃ、行こっか」

「……おう」


 俺今日、どんなパンツ穿いてたっけ?




「麦茶でもいい?」

「ああ、お構いなく」


 冴子が麦茶を持って来てくれた。

 久しぶりに来た冴子の部屋は前とほとんど変わってはいなかったけど、ラックの上に先週二人で行ったネズミーランドの写真が飾ってあり、それがいかにも彼氏彼女っぽくてドギマギした。


「よいしょ、と」

「え」


 冴子は俺に身体が密着するのではないかというくらい、俺のすぐ隣に座った。

 いや、実際言い逃れができないくらい密着している。

 今この場に公安警察が乗り込んで来たら、確実に『青少年男女密着罪』で現行犯逮捕されてしまうことだろう(そんな罪状はない)。


「あの……冴子?」

「んー? なあに、竜也君」


 冴子は普段のやや子供っぽい見た目からは想像もできない程、艶っぽい上目遣いで俺を見つめてきた。

 ナッハ!?

 お前は本当にあの冴子か!?

 そんな眼で見つめられたら俺……もう……。


「さ、冴子!」

「っ!」


 俺は冴子の肩を掴んだ。

 そしてキスをしようとした。

 ――その時。


「え?」


 俺は冴子の肩が震えているのに気付いた。


「……冴子」

「だ、大丈夫! 私は大丈夫だから! ……ね?」

「……でも」


 ……バカだ俺は。

 俺の知る限り、今まで冴子に彼氏がいたことはない。

 つまり冴子も俺と同じく、男女でこういう経験をするのは初めてなのだ。

 まして女の子は、男以上に初めての時は怖いに決まっている。

 きっと冴子が過剰にベタベタしてきたのは、その怖い気持ちを無理矢理誤魔化すためだったのだろう。

 それなのに俺ときたら、そんな冴子の気持ちにも気付かず、一人で突っ走ろうとして……。

 クソッ。

 こんなんじゃ、彼氏失格だ。


「……冴子、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」

「! ……竜也君」

「俺達はまだ始まったばかりじゃないか。時間はたっぷりあるんだから、俺達なりのペースでやってこうぜ」

「ダメ! それじゃダメなの!」

「え? なんで?」

「…………不安なの」

「? ……不安?」


 何が?


「……竜也君は、やっぱりまだ福ちゃんのことが好きなんだと思う」

「は!? ちょ、ちょっと待ってくれよ!」


 どうしてそういう話になるんだ!?


「前も言ったじゃねーか! 俺は福与のことなんか、何とも思ってねーよ!」

「それは噓! 私にはわかるもん!」

「はあっ!?」


 まったく意味がわからない。


「どーしてお前にそんなことがわかるんだよ!」

「わかるよ! 私は子供の頃から、ずっと竜也君のこと見てきたんだもん! だから福ちゃんが竜也君に暴力振るわなくなってから、竜也君が寂しそうにしてるのもわかってるもん!」

「え」


 急に図星を突かれて、俺は心臓をギュッと掴まれた様な気持ちになった。


「そ、そんな……そんな……ことは……」

「あるでしょ? だから私は凄く不安なの。いつかきっと、竜也君の気持ちが私から離れていっちゃうんじゃないかって」

「……冴子」

「だから……だから私……」


 冴子は、大粒の涙を拭おうともせず、ただただ泣いていた。


「冴子」

「え?」


 チュッ


「!」


 俺は冴子にキスをした。

 付き合い始めた日以来、俺の方から冴子にキスをするのは初めてのことだった。


「ごめんな冴子。確かに俺は、少し寂しいと思っているかもしれない」

「……竜也君」

「でもそれは断じて、俺が福与を好きだからじゃない」

「!」

「福与は大事な幼馴染だ。だから前より接する機会が減って、寂しいと思っていることは事実だと思う。でも、俺が本当に好きなのは冴子だけだ。これは神に誓って断言できる。だから不安になるなんて、悲しいこと言うなよ」

「……竜也君」

「冴子」

「竜也君、竜也君、竜也君」

「冴子、冴子、冴子」

「うぅ、うわあ~ん! 竜也君! 竜也君大好き!」

「俺も、冴子が大好きだ」


 俺達はまたキスをした。

 だがそのキスは、今までのような触れるだけのキスではなかった。

 俺と冴子は、どちらからともなく互いの舌を絡ませ合い、吐息は次第に熱を帯びたものに変わっていった。

 そして……。


「え、竜也君!?」


 俺は無言で冴子をお姫様抱っこし、そのままベッドに歩いていき、ベッドの上に冴子を押し倒した。


「冴子」

「……竜也君」

「……いいだろ?」

「……うん」


 覚悟を決めたように目をつぶった冴子に、俺はまた唇を近付けた。


 その時。


 ピロロロロロロロ


「「!?」」


 俺のポケットの中から、PHSの無機質な音が鳴り響いた。

 だっっっっれだよこんな時に!?

 いや、そもそも電源を切っておくべきだった。

 これでは、近藤局長に顔向けができない……。


「ごめん冴子! 今切るから!」

「う、ううん。大丈夫だよ。大事な用事かもしれないし、出ていいよ」

「あ、そ、そう」


 俺はアタフタしながらPHSを開いた。

 発信者の名前を見ると、そこには『師匠』と表示されていた。

 っ!

 その瞬間、俺は朝、兄貴に言われたことを思い出した。


『握井はセンセイの命を影から狙っているのかもしれない』


 いつの間にか俺は手に、べっとりと嫌な汗をかいていた。

 俺は慌てて通話ボタンを押した。


「もしもし! 師匠! 何かあったのか!」

「おお、竜也か。いやー、あったなんてもんじゃねーぜ」

「は?」


 PHSの向こうの師匠は、何とも吞気な声を出していた。


「実はよ、パチンコで財布の中身全部スッちまって、飲み代がなくなっちまったんだよ。わりーけど、また少しばかり金貸してくんねーか?」

「……」


 師匠は麻雀の腕は悪鬼クラスだが、パチンコはてんで素人以下だ。

 何でも、機械が相手だとイマイチやる気が出ないんだそうだ。

 じゃあやらなきゃいいのにといつも思うが、どーしてもやめられないらしい。

 天性のギャンブル中毒なのかもしれない。

 大方またいつもの街外れにある『クリボッタ』という、ボッタクリ店であることを隠す気もない店の前にいるのだろう。

 いつも客が師匠くらいしかいない、閑古鳥が114514匹くらい鳴いている店だ。

 それでも未だに潰れていないということは、それだけ師匠がその店の売上に貢献しているということなのだろう。

 なんでわざわざそんな店で打つんだよと聞いたことがあるが、


「椅子の座り心地がいいから」


 と言われた。

 ちょっとだけ、弟子を辞めようかと思った。


「……師匠。悪いんだけど、俺今、凄く忙しくて」

「そんなこと言うなよ! もう飲み屋のママに、今から行くって言っちまったんだよ!」

「なんで金がねーのに、そんな見栄張ってんだよ!」

「うるせーな! お前だって、どーせ冴子ちゃんと乳繰り合ってんだろーがよ!」

「なっ!?」


 何故それを……。

 マジでこの人、人間相手だと無敵だな。


「だからよ、ここは一つ……ん? 何だお前ら」

「え?」


 ドカッ


「がっ!」

「えっ!? ……師匠!? 師匠ッ!!?」

「……」

「師匠ッ!!!」

「オイ、誰かに見られる前に、さっさと連れてけ」

「!」


 PHSの向こうから、聞いたことがない、とても冷たい男の声がした。

 ……もしかしてこいつが。

 その直後、バキッという音と共に、通話は切られた。

 誰かがPHSを踏むなりして、壊したのかもしれない。


「……竜也君?」

「……」

「竜也君!」

「! ……冴子」

「師匠さんに何かあったの?」

「……ごめん冴子。俺大事な用事ができた。ちょっと出掛けてくる」

「私も行く!」

「は!? ダメだダメだ! 冴子を危険な目には遭わせられない!」

「でもそれは竜也君も一緒でしょ? もしもの時、一人よりも二人の方が、助かる確率は高いよ」

「そ、それは……」


 そうなのか?

 でもやっぱり、女の子を危ない世界に近付けるのは抵抗がある。


「竜也君が何を言っても私は行くよ。竜也君にもしものことがあったら、私も生きていけないもん」

「……冴子」

「早く行こ! 一刻を争うんでしょ?」

「あ、ああ」


 なかば押し切られるように、俺は冴子と共にクリボッタに向かって、息を切らせながら走った。

 辺りは俺と冴子が初めてキスをした日のように、すっかり日が傾いていた。

 今日国語の授業で、夕方の薄暗くなる時間帯を、逢魔時おうまがときというのだと教わった。

 その名の通り、今まで平和だった俺の人生を、物陰から悪魔が嘲笑っているかのような錯覚を、俺は覚えた。







「初夢がこれかよ!!」


 しかもメチャメチャ気になるところで目が覚めやがった!

 クソッ! もう一度寝れば、続きが見れるかな!?

 あれ?

 そういえば今日は、沙魔美が俺を起こさなかったな?


「くかー、すぴー、むにゃむにゃむにゃ……ウズベキスタン!(?)」

「……」


 爆睡してる。

 そっか。

 もう起こしてすらくれなくなったか。

 ハア……何だか虚しくなっちゃったな。

 ……寝るか。


「う~ん、むにゃむにゃ、これは美味しそうな伊達巻だてまきですね~。いただきま~す」

「え!?」


 沙魔美が寝惚けながら、俺のパジャマのズボンをずり下ろし始めた。

 ちょ、ちょま!

 ……。


 四扇五煙草六座頭!(?)

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