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第39魔:疲れる

竜也たつや! コラ! 起きろ竜也!」

「ん? んん~……あと五分……」

「却下!」


 ドグホッ


「ゴッハァ!!」


 福与ふくよのかかと落としが、寝ている俺のみぞおちにクリーンヒットした。

 俺はあまりの痛みに、布団の中でのたうち回った。


「ってーな! 何しやがんだこの暴力女が!!」

「アンタがいつまでも起きないのが悪いんだろ。起こしてやってるだけ感謝しな」

「こんな乱暴な起こし方、聞いたことがない!」


 何なんだよこいつはもう!

 毎日毎日寸分の躊躇いもなく、急所に打撃を入れてきやがって!

 そんなに俺が嫌いなのか!?


 福与とはガキの頃からの幼馴染で、高校生の今でも毎朝勝手に俺の部屋に入って来て、無理矢理俺を起こす。

 ハッキリ言っていい迷惑だが、いくらやめろと言っても聞かないので、面倒くさいから諦めた。

 まあ、寝起きが悪い俺のことだ、こいつが起こしてくれなかったら、遅刻常習犯になっていたのは確実だろうから、文句も言い辛いのは事実なのだが。

 福与は茶髪に染めた髪をサイドテールにしており、制服は着崩し、ルーズソックスを履いている。

 テニス部の部活で日焼けした肌も相まって、今流行りのコギャルにしか見えない。

 本人に言わせればただのお洒落で、コギャルではないとのことだったが、俺にはその違いはサッパリわからない。

 今日も制服の隙間からたわわな巨乳の谷間がコンニチハしており、思春期の童貞チェリーブロッサムには刺激が強い。


「大丈夫? 竜也君?」

「あ、ああ、大丈夫だ。どっかの暴力女と違って冴子は優しいな」

「何か言ったかい?」


 ギロリ、と般若の様な眼で暴力コギャルに睨まれたが、華麗にスルーする。

 俺と福与のそんな遣り取りを見て、冴子はフフフっと微笑んだ。

 冴子も福与と同じく昔からの幼馴染で、毎日福与と一緒に俺を起こしに来てくれている。

 福与と違ってとても優しい性格なので、できれば冴子に起こしてもらいたいのだが、世の中はそんなに甘くないらしい。

 よわい18にして、既に人生の厳しさをひしひしと感じる今日この頃だ。

 高校生とは思えない程のドスケベボディの持ち主である福与とは対照的に、冴子はどちらかと言うとロリ体型で、黒髪のおかっぱがよく似合っており、いかにも清楚な大和撫子といった風貌だ。

 きっと将来は良いお嫁さんになることだろう。

 そんな見た目も性格も正反対の福与と冴子だが、何故か馬が合うらしく、まるで姉妹の様にいつも一緒に行動している。


「ホラ、さっさと着替えなよ。アタシテニス部の朝練あんだからさ」

「別に俺を待ってなくていーよ。先行けよ」

「何だって」


 またしても般若アイで睨まれた。

 ハイハイ、わかったよ。着替えりゃいーんだろ。

 俺は眠い目を擦りながら、嫌々制服に着替えた。


「それにしてもお前ら、若い女が毎日ヤクザの家なんか来て、怖くねーの?」

「何言ってんだよ。子供の時から来てんだから、今更怖がるわけねーだろ」

「うん。組員のみなさんも優しいし、全然怖くないよ」

「ふーん」


 俺の親父はこの辺を仕切ってる、桜紋会おうもんかいっていうヤクザ団体の会長だ。

 そのせいで子供の頃から近所の子供からは怖がられて、友達もほどんどできなかったが、何故か福与と冴子だけはそんな俺のことも普通の男として接してくれ、そのお陰で随分助けられた。

 まあ、組自体は四つ上の兄貴が既に若頭として後継者の任に就いているので、俺は将来ヤクザになるつもりはない。

 それよりも俺は、なりたいものがあるんだ。


 俺は食パンを齧りながら、二人と一緒に無駄に長い日本家屋の廊下を玄関に向かって歩いた。

 すると、向こうから咥え煙草のオッサンが歩いてくるのが見えた。

 師匠だ。


「何だ竜也、またカワイ子ちゃん二人に起こしに来てもらってんのか? このラノベ主人公が」

「やめてくれよ師匠。それより今夜、また稽古つけてくれよ」

「オウいいぞ。帰って来たらな」

「おはよー師匠」

「おはようございます師匠さん」

「ほいよ。福与ちゃん、冴子ちゃん、うちのバカ弟子をよろしくな」

「任せてよ」

「はい」

「なんでだよ師匠、二人は関係ねーだろ」


 師匠はうちの組お抱えの麻雀の代打ちだ。

 数年前からうちに居候してもらっている。

 ただ師匠の本名は誰も知らない。

 俺は『師匠』と呼んでいるし、親父達は『センセイ』と呼んでいる。

 そして同業者からは『夜叉やしゃ』と呼ばれ、恐れられている。

 その名の通り、敵を蹂躙し死肉を喰らう悪鬼のごとく麻雀が強く、賭博を主なシノギにしているうちの組は、師匠が代打ちになってから、破竹の勢いで勢力を拡大したらしい。

 俺も何度か師匠が戦っている背中を見たことがあるが、普段のボーっとしている様からは想像もつかない程、その背中は鬼気迫っており、師匠の相手は例外なく、いつも蛇に睨まれた蛙の様な顔をしていた。

 ――カッケェ。

 俺はその背中に心底惚れた。

 俺もいつかこの人みたいな麻雀打ちになる。

 そう決意し、何ヶ月も掛けて頼み込んだ末に、ある条件と引き換えに、弟子入りを許可してもらった。

 その条件とは、『いつか師匠を超えること』。

 望むところだった。

 弟子入りを志願した時から、元よりそのつもりだ。

 その日から俺は、呼び名を『センセイ』から『師匠』に変えた。

 そして、師匠直々の地獄の稽古が始まった。

 稽古は牌効率等の基本的なことから、イカサマのテクニックまで多岐に渡り、その内容は苛烈を極めたが、夢に向かって一歩ずつ進んでいることが実感できたので、まったく苦ではなかった。

 俺の人生は、所謂平凡な幸せとは無縁のものだったが、その代わり毎日が刺激的で、充実していた。




「そうだ二人共、最近ジャ〇プで始まった、ワ〇ピースって漫画知ってるか? あれメチャクチャ面白いぞ。その内、日本を代表する漫画になると俺は思うね」


 学校に向かう道すがら、俺は二人に言った。


「ふーん、アタシは漫画はあんま読まないから、知らないな」

「私は読んでるよ。とっても面白いよね」

「へえ、冴子が言うなら、アタシも読んでみよっかな」

「オイ、なんで冴子の言うことだけ聞くんだよ! 俺ってそんな信用ないのか?」

「麻雀しか頭にない男を信用しろって方が無理だろ。悔しかったら麻雀以外のことにも目を向けてみなよ」

「? 例えば?」

「……もういい」

「え? 何だよそれ」


 福与はたまにこういうことがある。

 そんなに俺が麻雀をやってることが気に食わないのか?

 お前は俺のオカンかよ。


「じゃ、アタシはテニス部の朝練があるから、またクラスでね」

「おう」

「またね、福ちゃん」


 ちなみに俺達は、クラスも高校三年間ずっと一緒だ。

 ここまで来ると、腐れ縁というよりは、最早呪いの様な気さえしてくる。


「冴子、もしもそのバカにいやらしいことされたら、アタシがこいつの頸椎と心臓と股間を潰すから、すぐに言うんだよ」

「入念だな!? 一個で十分だろ!?」

「フフフ、わかったよ福ちゃん」

「わかっちゃったの!? 俺の急所が三ヶ所もロックオンされているのに!?」

「だってそもそも竜也君は、私にいやらしいことなんてしないでしょ?」

「え……まあ、な」


 そんなにキラキラした眼で見られると何も言えねえ……。

 まあ確かに、俺にそんな勇気はねーけどさ。


「ハハッ、それもそーか。じゃーね」

「朝練頑張ってね」

「本気出して後輩に怪我させんなよ」

「消すぞ」

「ヒッ」


 怖すぎる!

 福与のほうがよっぽどヤクザじゃねーか!

 福与と別れて冴子と教室に向かいながらも、俺の心臓は福与に対する恐怖でバクバクと早鐘を打っていた。


「本当、仲良いよね竜也君と福ちゃんは」

「ハアッ!? 冴子それ本気で言ってんのか!? どこをどー見たらそー見えるんだよ!?」

「でもお互い、気兼ねなく接してる感じがするもの」

「あいつのは『容赦なく』って言うんだよ」

「フフフ、そうかもね。……でもちょっと羨ましいな」

「ん? 何か言ったか?」

「ううん、何でもない」

「?」


 そう言ったきり、冴子は前を向いて黙ってしまった。

 俺は何となく気まずくなり、教室に着くまで冴子に何も話し掛けられなかったが、チラッと覗いた冴子の横顔には、ある種の覚悟が滲み出ているように見えた。

 だがこの時の俺は、その横顔の意味をまったくわかっていなかった。




「竜也! コラ! 起きろ竜也!」

「ん? んん~……あと六分……」

「朝より増えてんじゃねーか!」


 ボクシャッ


「ゴハッフ!!」


 福与のエルボードロップが、机で寝ている俺の頸椎にクリーンヒットした。

 俺は一瞬だけ、死んだじいちゃんが三途の川の向こうでパラパラの練習をしている風景が見えた。


「なんでパラパラなんだよ!?」

「は? 何言ってんだよアンタ。流石にやりすぎたか……」

「ああ、いや違うんだ。……いや、違わない。確かにやりすぎだ福与。危うくじいちゃんからパラパラを伝授されるところだったぞ」

「そうか、アタシは頸椎を狙ったつもりだったけど、どうやら頭も打ったみたいだね」

「俺の頭は正常だよ!」

「大丈夫? 竜也君?」

「あ、ああ、大丈夫だ。でも冴子、次からは俺が理不尽な暴力を受ける前に、破壊王キングオブデストロイを止めてくれると助かるな」

「フフフ」

「笑って誤魔化された!?」

「何言ってんだよ、とっくに帰りのホームルームは終わってんのに、いつまでも寝てるアンタが悪いんじゃないか」

「あ、そうなの?」


 周りを見れば、既に俺達以外のクラスメイトは全員下校していた。


「まったく、どうせ昨日も遅くまで麻雀の稽古してたんだろ? 熱心なのはいいことかもしんないけど、留年してもアタシは知んないからな」

「う、うるせーな、卒業はできるよ」


 ……多分。


「本当かねえ。ま、アタシはテニス部の練習があるからもう行くわ。ほいじゃなー」

「お、おう」

「また明日ね、福ちゃん」


 やれやれ、やっとうるさいのが行った。


「あれ? 冴子は料理部の部活、行かないのか?」

「う、うん……今日はちょっと用事があって……」

「? そうなんだ。じゃあ一緒に帰るか」

「……うん」


 俺はペタンコの鞄を手に取り、軽く伸びをしてから立ち上がった。


「ああ、そういえばこの前冴子が部活で作った唐揚げ、メッチャ美味かったよ。また作ったらくれよな」

「うん、いいよ」

「楽しみにしてるぜ」


 俺は廊下に向かって歩き出そうとしたが、何故か冴子はその場から動こうとはしなかった。


「ん? 冴子? 帰んねーのか?」

「……ねえ、竜也君。竜也君はさ…………好きな人って、いる?」

「え……」


 どどどどうしたんだよ急に!?!?

 好きな人!?

 そ、そんなの……。


「い、いるわけねーじゃん! そう言う冴子はいんのか?」

「…………いるよ」

「えっ!? いんの!?」


 ショック!

 いや、冴子も年頃だし、何よりメチャクチャ可愛いし、今まで男っ気がなかったのが不思議なくらいだが。

 そうかぁ……冴子もついに好きな人が出来たのかぁ……。

 何だか娘を嫁にやる、お父さんの気分だぜ。


「……そっか、冴子に好きになってもらえたそいつは幸せものだな!」

「……本当にそう思う?」

「当たり前じゃねーか! 冴子は可愛いし、どっかのキンデス(※キングオブデストロイ)と違って、おしとやかで料理も上手いしよ。絶対そいつも冴子のこと好きになるぜ」

「……そうかな」

「絶対そうだって! 何なら冴子のほうからそいつに突然抱きついちゃうのも有効だと思うぜ。やっぱこれからの女の子は、積極的にいくべきだと俺は思うんだよな。そうだ! そういう女の子を、『肉食系女子』って呼ぶのはどうかな? これ、何年後かには流行るかもよ」

「…………」


 ガバッ


「えっ」


 突然冴子に抱きつかれた。

 ぬあっ!?

 ななななな何が起きたんだ!?


「さ、冴子……?」


 冴子は耳まで真っ赤にして、俺の胸に顔をうずめている。

 こ、これって……。

 ドクンドクンと冴子の胸の鼓動が俺にも伝わってくる。


「……冴子」

「……竜也君」


 冴子は上目遣いで俺を見上げた。

 その瞳は、僅かに潤んでいる。


「……私の好きな人はね……」


 ドサッ


 !?

 何の音だ!?

 音のしたほうを見ると、そこには鞄を床に落とし、呆然としている福与が立っていた。


「福ちゃん……」

「福与……なんでここに……」

「いや……ちょっと、忘れ物して…………ごめん!」

「え!? オイ! 福与!!」


 何がごめんなのかまったくわからないが、脱兎のごとく走り去って行く福与を、俺は焦りや、後ろめたさや、他にもいろんな感情がないまぜになった、複雑な気持ちで見送っていた。







「堕理雄! 堕理雄ッ!! どうしたの堕理雄!?」

「ハアッ! ……沙魔美……俺……」

「凄くうなされてたわよあなた。何か悪い夢でも見たの?」

「夢、か……そうか、夢だったのか……」


 確かに悪夢だった。

 俺が高校時代の親父になって、お袋と真衣ちゃんのお母さんと、コテコテの三角関係になってしまうなんて……。

 今の夢が、史実なのか、ただの夢想なのかは俺にはわからないが、いずれにせよ親の甘酸っぱい青春時代を自分自身で追体験するなんて、これ以上なく恥ずかしい、ただの拷問だ。

 ……とはいえ、続きが気になるところで終わってしまった感は否めない。

 今の夢の続きが、見てみたいような、もう二度と見たくないような、何とも言えない気持ちだ。

 ……まあ、夢なんて見たいと思ったものが見られるわけじゃないから、その内また続きを夢で見たら、その時はその時だ。

 気長に待つとしよう。

 いや、待たないとしよう。

 しかし今は何時なんだ?

 時計を見ると、まだ夜中の三時だった。


「……こんな時間か。ごめんな沙魔美、起こしちゃって」

「ううん、私はいいのよ。じゃあ堕理雄」

「ん? 何だ?」

「よく眠れるように、今からとっても疲れることをしましょっか」

「え」


 別に疲れなくても、全然眠れるけど?

 でもまあ……せっかくだから……。

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