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第7魔:たまらないんじゃない

 さて、そろそろ昼飯にするかな。

 今日は金曜日でいつもなら午前中だけは履修している講義があるのだが、たまたま休講だったので、夕方のバイトまでは家でゴロゴロしているつもりだ。

 面倒くさいから、今日はカップ麵でいいか。


 俺はお湯を沸かしながら、沙魔美のことを考えていた。

 実はここ三日程、沙魔美から一切連絡がない。

 大学の抗議でも、一回も落ち合っていない。

 こんなこと、付き合ってから初めてだ。

 いつもなら四六時中、トークアプリやら、電話やら、魔法やらでちょっかいをかけてくるのに、それらがピタリと止んでいる。

 ひょっとして、愛想を尽かされた?

 沙魔美の性格上それはないと思いたいが、そろそろ俺からも連絡を入れてみるか。

 俺はカップ麵にお湯を注ぎ、それをテーブルに置いてから、スマホに手を伸ばした。

 すると、テーブルの上のスマホがブルブルと震えだした。

 沙魔美か!?

 でもおかしいな、俺は今、スマホをマナーモードにしてないけど、なんで震えてんだ?

 アレ!?

 何だか段々、スマホの震えが大きくなってる気がする!?

 ウワッ!

 最早暴れ馬のごとく、スマホがテーブルの上を走り回ってる!?!?

 アア!

 カップ麵零れちゃった……。


 これはもしや。


 スマホは急にピタリと止まり、次の瞬間、木端微塵に弾け飛んだ――。

 そしてその中から……


 ――もちろん沙魔美が出現した。


「助けて堕理雄! ピンチなの!」

「まあ、お前がそこまで言うのならやぶさかではないが、スマホは直してくれるんだよな? てかお前なら、そんな出方しなくても普通にワープして来れただろ」

「アラ、せっかくだから登場は派手なほうがいいじゃない」

「そんなことのために俺のスマホは犠牲になったのか……」

「心配しなくても、帰りは普通にワープするわよ」

「はっ? 帰るってどこに?」

「もちろん私の家よ」

「えっ」




 実は俺は、沙魔美の家には一度も行ったことがなかった。

 俺の住んでるボロアパートとは比べ物にならないくらいの高級マンションの一室を借りて、一人暮らしをしているというのは聞いていたが、一度も家に呼んでくれたことはない。

 俺もいくら彼氏とはいえ、呼ばれてもいないのに押し掛けるのもどうかと思い、お呼びが掛かるまで待っていたのだが、まさかこんなタイミングでその機会が訪れるとは。

 俺は期待と不安が半々で(いや、どちらかというと不安のほうが大きかったが)、沙魔美と共に、沙魔美の住んでいる部屋に入って行った。


「入って、どうぞ」

「いや、そういうのはいいから」

「散らかってるけど気にしないでね」

「ああ、そうだな……」


 辺りは本当に散らかっていた。


 原稿で。


 これは何の原稿なんだ?

 ……もしかして。


「あ! 堕理雄君も来てくれたの?」

「なっ! 菓乃子……なんでここに」

「私が呼んだのよ。菓乃子氏は私のチーフアシスタントとして、本当によくやってくれているわ」

「えへへ、そんな、私なんてまだまだだよ」

「……沙魔美、この原稿は所謂、アレか?」

「ええ、女性向けの薄い本よ」


 ガッデム。




「明後日がこの本を売るイベント当日なのだけど、まだ原稿が半分も終わってないので、今から堕理雄も手伝ってちょうだい」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺は嫌だぞ、いろんな意味で! それに今日はバイトもあるし」

「その点は心配いらないわ。私が魔法で堕理雄の分身を造って、バイトに向かわせるから」

「そういう問題じゃないだろ! それに菓乃子の前で魔法の話は……」

「あ、堕理雄君。私ならとっくに、沙魔美氏が魔女だってことは知ってるから、気を遣わなくて大丈夫だよ」

「あ、そうなんだ……」


 そりゃそうか。

 あんだけ目の前で、超常的なことが起きればな。


「さあ、無駄話はこのくらいにして、さっさと作業に入ってちょうだい」

「いや、俺はまだ了承してないぞ! それに、それこそ魔法を使えば、こんなのすぐ終わるじゃないか」

「あなたそれ本気で言ってるの!? 神聖な原稿に魔法を使うなんて、許される訳ないじゃない! 監禁するわよ!!」

「どさくさ紛れて監禁しようとするな」


 何だよその謎のこだわりは。


「……でも俺、漫画なんか書いたことないし……。それに明後日本番なのに、印刷は間に合うのか?」

「大丈夫よ、堕理雄にはトーン貼りとかの、簡単な仕事しかさせないわ。それに懇意にしてる印刷所があるから、何とか明日の朝九時までに入稿すれば、現地まで直接配送してくれるように話はついてるわ」

「……へえ。そんな印刷所とパイプがあるくらいだから、結構キャリアは長いのか?」

「そうね。こう見えて一応、大手の壁サーなのよ。サークル名『腐海の魔女』のサークル主、『ナットウゴハン』先生と言えば私のことよ」

「……」


 名前クソダセーーー!!!!

 どうしよう。

 自分の彼女がナットウゴハン先生だったという事実が、まだ受け入れられない。


「じゃあまずは、このページにトーンを貼ってちょうだい。もしくは監禁させてちょうだい」

「……トーンを貼らせてもらうよ」


 俺もつくづく甘い男だ。

 まあ、どの道こうなったら沙魔美は絶対に逃がしてはくれまい。

 それならさっさとやって、さっさと終わらせよう。

 どれどれ、この指示が書いてあるところに、トーンを貼ればいいんだな。

 そもそも今時アナログの原稿って珍しいんじゃなかろうか?

 これも沙魔美のこだわりなのか?

 ……おっと。

 いきなりメッチャエロいシーンきたこれ。

 え、待って。

 この屈強なイケメンの○○○にトーン貼るの俺?

 俺は今から自分の彼女が描いた、屈強なイケメンの○○○にトーンを貼らなきゃいけないの?

 俺、前世でよっぽど悪いことしたのかな?


「ホラ、手が止まってるわよ見習いアシ。チーフを見なさい。物凄い速さで、緻密な背景を次々描写しているわよ」

「えへへ、そんな大したことないよ」


 そう言いながらも菓乃子は、タイムラプスみたいな目にも留まらぬ速さと正確さで、芸術的な背景を原稿の上に紡ぎ出している。

 こんな時になんだが、元カノについても、今カノについても、まだまだ俺が知らないことは沢山あるんだなと再認識した。

 仕方ない。

 二人の前で、格好悪いところは見せられない。

 ここは覚悟を決めて、屈強なイケメンの○○○にトーンを貼るぜ。

 ……腹減ったなあ。




 時計を見れば、既に夜中の一時を回っていた。

 ここまで三人共、一切飲まず食わずで、ひたすらペンを走らせている(まあ、俺はペンは使ってないが)。

 流石にそろそろみんな疲労の色が隠せなくなってきている。

 沙魔美については、ここ三日一睡もしてないらしく、さっきからうわ言のように「脱稿したら監禁する……。脱稿したら監禁する……」と、ひたすら呪文を繰り返している。

 監禁を脱稿のご褒美にするのは、甚だ勘弁してもらいたいのだが……。


「……ちょっとだけいいかしら、ナットウゴハン先生」

「どうしたのチーフ?」

「このシーンなんだけど、もっと下からねめ上げるようなアングルにしたほうが、より耽美で、この時の二人の心情を表現してると思わない?」

「わかりみが深い。あなた天才よ。まって、今からこのページ全部書き直すから」

「お、おい沙魔美! もう時間ないんだぞ! そのページは、俺ももうトーン貼ったし……」

「私のことはナットウゴハン先生と呼びなさい見習いアシ。口答えは許さないわよ。時間がないからって妥協したら、作家は終わりよ。あなたは早く、そのページの○○○に、優しくトーンを被せてあげなさい」

「嫌な表現はやめてもらえませんか、ナットウゴハン先生……」


 もうどうにでもなれだ。

 こうなったら地獄の底まで付き合ってやるよ……。




 その後もナットウゴハン先生は、計四ページに及ぶ書き直しを断行し(その内一ページは、インクを誤ってぶちまけたことによる凡ミス)、結局脱稿したのはデッドラインの一時間前となる、朝の八時だった。

 チーフも限界だったらしく、今はソファで仮眠している。

 ナットウゴハン先生はデリバリー役の、伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンに原稿を託すと、こと切れたように倒れそうになった。

 危ない!

 間一髪、俺は肩を抱いてナットウゴハン先生を支えた。


「……ありがとう堕理雄」

「大丈夫か? ナットウゴハン先生」

「今の私はもう、ナットウゴハン先生じゃないわ。あなたの可愛い監禁師よ」

「そんな職業はないけどな。まあ、何にせよお疲れ様。今日はゆっくり休めよ」

「……ねえ堕理雄」

「ん? 何だ?」

「私もう、三日も堕理雄としてないわ……」

「……まあ、でもこういう状況じゃ、しょうがなかっただろ。明日のイベントが終わったら、二人でゆっくりしようぜ」

「……いや、ムリ。そんなに我慢できないわ。今すぐにしましょう」

「は? ここで?」

「そうよ」

「いや、でも……ソファで菓乃子も寝てるし。起きちゃったら、大変なことになるだろ?」

「バカねえ。その緊張感が、たまらないんじゃない」

「……」


 助けてママー!(二回目)

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