「あ、堕理雄君……」
「お、おう、菓乃子。奇遇だね」
「うん……」
気まずー。
そりゃ同じアパートの隣同士なんだから、こうして部屋を出たところでバッタリ出くわすこともあるだろうが、先日の沙魔美との長時間に及ぶ
まあ、そうなることも沙魔美の計算だったのかもしれないが。
とはいえ、いつまでも気まずいままじゃ、この家に住み辛くなる。
ここは一つ、何でもなかったかのように、フランクに話し掛けてみよう。
「あれ? 菓乃子、随分いっぱい買い物袋持ってるけど、どっか行って来たの?」
「あ……ああ、うん。ちょっと池袋に行ってきたんだ」
「ふーん。何を買ったの?」
「あー、まあ、ちょっと……」
「っ! ゴメン、突っ込んだこと聞いちゃって」
「ううん、別にいいんだけど……」
しまった。
いくらフランクにとは言え、女の子の買い物を詮索するなんて、デリカシーに欠けてたな。
もしかしたら下着とかを買ってたのかもしれないし。
「じゃ、じゃあ、私はこれで……」
「あ、ああ、またな」
菓乃子はそそくさと自分の部屋に消えて行った。
まあ、しょうがないか。
どちらにせよ、俺と菓乃子の間に流れる気まずさは、一生消えるものじゃないだろうしな。
さてと、そういえばコンビニに行こうとしてたんだった。
……行くか。
「キャアアアアアアアア!!!」
なっ!?
菓乃子の声だ!
何かあったのか!?
俺はドア越しに、菓乃子に向かって叫んだ。
「どうした菓乃子!? オイ!! 聞こえるか!?」
「あ……ご……あ……」
「くっ! 菓乃子!!」
俺はドアを蹴破ろうかと思ったが、幸いまだ鍵を掛けていなかったらしく、ドアは抵抗なく開いた。
勢いよくドアを開けたせいで思いっきりドアの角に足の小指をぶつけたが、激痛に耐え、俺は菓乃子の部屋の中に入って行った。
すると――。
「堕理雄君ッ!」
「ッ!?」
菓乃子が俺に躊躇なく抱きついてきた。
えっ!?!?
沙魔美程の大きさはないが、形の良い胸の、ふにゅっとした感覚が俺を襲う――。
「か、菓乃子……! マズいよ、こういうのは……!?」
「ご……ゴキ……」
「へっ?」
「ゴキ……ブリが……そこに……」
「あ……ああ! ゴキブリかあ!」
そうだった。
菓乃子はゴキブリが、俺にとっての沙魔美並みに苦手なのだった。
高校の時もクラスでゴキブリが出たことがあり、大騒ぎになってたっけ。
見れば、流し台の下あたりに、カサカサと黒い物体が蠢いている。
「よ、よし菓乃子。俺がやっつけるから、スプレー的なものとかないかな?」
「ま、まだ引っ越したばかりで買ってなくて……その……」
「そうか。じゃあしょうがないな。そしたら……」
丸めた雑誌とかで引っ叩くか?
でもそれだと逃げられるかもしれないし、潰した後の始末も大変だな。
どうしたものか。
「ここはこの、伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンにお任せあれ」
「なっ! 伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサン! お前生きていたのか!?」
「あ! この間の木端微塵に弾け飛んだ人!」
そりゃ伝説の神獣なんだから、あれくらいでは死なないのかもしれないな。
最早、何故当たり前のように菓乃子の部屋に入って来ているのかはツッコむまい。
ゴキをどうにかしてくれるなら、御の字だ。
「よし、伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサン、頼むぞ!」
「御意」
伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンは、例によってサラ毛をニョキニョキと伸ばし、ゴキを絡め取った。
よし!
後はそれをティッシュでくるんで、ポイすればフィニッシュだ!
……ん?
何をしてるんだ伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサン……。
何故ゴキを口元に持っていってるんだ……。
まさか……まさかそんなわけないよな伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサン……。
ああ……そんな……ああ……あああああ。
パクッ
バリバリバリバリ
ゴクンッ
「えーーー!?!?」
「えーーー!?!?」
「フウ、さあ、これでもう安心ですよお嬢さん」
「キャアアア!!! 近寄らないで!!!」
パーン
「ぶべら」
菓乃子に思いっ切りビンタされた伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンは、鼻血を出しながら三回転半程ブン回った後、うつ伏せにブッ倒れた。
そして、震える手で、自分の血をインク代わりにして字を書き始めた。
ダイイングメッセージ?
でも、そんなの犯人は菓乃子に決まってるけど?
伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンが書いた字を覗いてみると、次のように書かれていた。
『堕理雄タイキック』
「は?」
「デデーン。堕理雄タイキック」
「さ、沙魔美!?」
「沙魔美さん!?」
タイのキックボクサーの格好をした沙魔美が、ワイクー(※試合の前の舞)を踊りながら、部屋に入って来た。
「沙魔美……」
「覚悟はいいわね堕理雄?」
「待ってくれ沙魔美……これは本当に浮気とかじゃないんだ……」
「そうなんです沙魔美さん! 堕理雄君は本当に、私の部屋のゴキブリを退治しようとしてくれただけなんです!」
「問答無用!」
スパーン
「たわば」
尻に思いっ切りタイキックを喰らった俺は、四回転程ブン回った後、菓乃子が池袋で買ってきたと思われる買い物袋に激突した。
そして買い物袋の中身が床にぶちまけられた。
「あああっ! 見ないで!」
「「えっ」」
それは屈強なイケメン二人が、抱き合っている絵が表紙の本の束だった。
ざっと30冊以上はありそうだ。
「あ……あ……違うの……違うの……」
菓乃子は呆然としながら、フラフラとクローゼットに寄りかかった。
すると、その拍子にクローゼットの扉が開き、中から似たような本が雪崩のように大量に出てきた。
「「あっ」」
「違う……違うの……これは……」
ジーザス。
池袋に行ってたのは、そういう訳だったのか。
池袋はそういう本、多いもんな。
そして菓乃子が、どうしても一人暮らしがしたかった理由もこれか。
実家じゃ気兼ねなく、こういう本は読めないだろうし。
しかし何故俺と付き合う女の子は、こうもことごとく腐っているのだろう。
この分だと、中学の時に付き合ってたあの子も、今では腐乱しているかもしれない。
「菓乃子さん……」
「……沙魔美さん……」
「いや、菓乃子氏!」
「ファッ!? 菓乃子氏??」
「これからは私のことは、沙魔美氏と呼んでくれないかしら!」
「え……もしかして」
沙魔美氏はとてもイイ顔でサムズアップをしながら、胸の谷間から
どこに仕舞ってんだよ。
それに沙魔美氏って……。
いつの時代のオタクだよ。
だがそれを受けて、菓乃子氏もとてもイイ顔で、サムズアップを返した。
そして二人は、固い握手を交わした。
こうして二人は、腐レンドになったのでした。
めでたしめでたし(吐血)。
「というわけで、堕理雄氏」
「おい沙魔美氏、俺も『氏』で呼ぶのはやめてくれ」
「私はこれから菓乃子氏と、腐リートークに勤しむから、あなたは自分の部屋に帰ってていいわよ」
「ああ、そう……」
「ご、ごめんね、堕理雄氏! 沙魔美氏を取っちゃって」
「いや、気にしないでよ。ごゆっくり」
菓乃子まで『堕理雄氏』になってるし……。
コンビニに行く気力も失せたし、帰って昼寝でもしよう。
「ああそうだ、堕理雄氏」
「……何だよ」
「何なら今夜は、私が魔法で男になって、あなたを抱いてあげましょうか?」
「いや、それはマジで拒否します」
てか何で俺が、抱かれる側なんだよ。
抱く側でも嫌だけどさ。