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第5魔:だからいいんじゃない

 ピンポーン


 ん?

 誰だろう?

 今日は午後から沙魔美の買い物に付き合うことになっているので、そろそろ家を出なければいけないのだが。

 新聞の勧誘かな?


「はーい。どちら様でしょうか。――ッ!?」


 ドアを開けて目の前にいた人物を見て、俺は鳩が沙魔美のビンタを喰らったような顔になった。


「お休みのところすいません。今度お隣に引っ越してきた者です。これ、つまらないものですが……って、アレ!? 堕理雄君!?」

「……菓乃子かのこ


 そこには俺の元カノが立っていた。




 彼女の名前は本谷もとや菓乃子。

 俺が高校の時、付き合っていた元カノだ。

 菓乃子とは高校三年間ずっと同じクラスで、席も隣になることが多かったから、自然と仲良くなった。

 そして三年生の秋ぐらいに、どちらからともなく付き合い始めた。

 ただ、常に成績がトップクラスだった菓乃子と違って、俺の成績は中の下くらい。

 既に国立大学への推薦を貰っていた菓乃子と同じ大学に通うべく、俺なりに猛勉強したのだが、結果は敢え無く轟沈。

 菓乃子は国立大学へ、俺はFラン大学へと旅路は別れた。

 その後はよくある話で、なんとなくお互い気まずくなり、段々と疎遠になっていった俺達の関係は自然消滅――。


 それなのに。

 何故今、俺の目の前に菓乃子が立っているのだろう。

 俺は訳がわからず、ただただ菓乃子の顔をボーッと見つめていた。


「ひ、久しぶりだね堕理雄君。まさか引っ越し先のお隣さんが、堕理雄君だなんて夢にも思ってなかったから、ビックリしちゃった」

「あ、ああ、俺もビックリしたよ……。でも、菓乃子はどうしてここに? ここは、あんま菓乃子の大学からも近くないだろ?」

「うん、そうなんだけど……。私、どうしても一人暮らしがしたくてね。でも大学の近くは、どこも家賃が高くて。折り合いをつけると、このアパートがちょうどよかったの」

「ふーん、そうなんだ」


 どうしてそこまでして、一人暮らしがしたかったのかな?

 確か菓乃子の実家も、大学からそれ程距離は離れてなかったはずだ。通学が辛いからって理由じゃなさそうだが、何か事情があるのだろうか?

 まあ、今の俺に、そんなことを聞く権利はないのだが。

 それにしても、改めて見ると菓乃子もすっかり大人っぽくなったな。

 高校の時はいつもスッピンで、どちらかというと素朴な女の子だったが、今は髪も茶髪にして、うっすらとだがメイクもしている。

 頬のラインも、いささかシャープになったようだ。

 菓乃子と最後に会ってから一年ちょっとしか経っていないが、大学に入ってからの一年間というのは、女にとっては蛹から蝶に羽化するのに十分な年月のようだ。


「何だか大人っぽくなったね、堕理雄君」

「え、そう?」


 菓乃子も同じことを思っていたのか。

 自分ではまったくそうは思わないが、菓乃子の目にはそう見えるのかな?


「それを言ったら、菓乃子のほうがずっと大人っぽいよ。その髪もよく似合ってるし」

「ふふ、ありがと。でも、私のはただの背伸び。堕理雄君は、ちゃんと内面から大人になってる感じがする。まるで、数え切れないくらいの修羅場をくぐり抜けてきたみたいに」

「ハハハハ、そんなことないよ……」


 女の勘スゲー。

 それとも俺の顔に、歴戦の老兵みたいなシワが刻まれているのだろうか。


「……今の彼女さんの影響もあるのかな?」

「えっ!?」


 今何と言った!?

 今の彼女!?

 なんで俺に彼女がいるってわかったんだ!?

 今のも女の勘か!?

 女の勘怖いッ!

 女はみんな魔女なのかッ!?


「……なんで俺に彼女がいるってわかったのかな?」

「ふふ、大したことじゃないよ。――それ」

「あ」


 菓乃子は俺の首に下がっているネックレスを指差した。

 誕生日に沙魔美から貰ったものだ。

 そういうことか。

 俺は高校時代、こういったアクセサリーを身につけるのが好きじゃなかった。

 周りがチャラついて、指輪やらピアスやらで自分を着飾るようになってからも、俺だけは頑なにそういったものから一歩距離を置いていた。

 菓乃子もそれを知っているから、俺がネックレスを下げているのを見て、新しい彼女の影を感じたのだろう。

 実際このネックレスが、俺が生まれて初めて身につけたアクセサリーだ。


「いや、あの、これは……」

「ふふ、別にそんなに隠そうとしなくてもいいじゃない。悪いことじゃないんだし。よかった、堕理雄君が幸せそうで」

「あ、ああ、うん。まあ……ね」

「――でも、ちょっと彼女さんが羨ましいな」

「えっ」

「どうも、私が伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンです」

「キャアア! ど、どちら様ですか!?」

「――!!」


 マズい。

 マズいマズいマズいマズいマズい――!!

 いつからいたのかわからないが、今の現場を伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンに見られてたのか!?

 だとしたら非常にマズい。

 沙魔美にチクられたら絶対に誤解される。

 そして俺の命はもちろん、今日で人類の歴史も終わってしまう。

 沙魔美にチクられるのだけは、何としてでも阻止しなければならない。


「なあ伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサン! お前にシャンプーをプレゼントしたいんだけど、どのメーカーのが好きなんだ!?」

「えっ、堕理雄君、この方とお知り合いなの?」

「あー、まあ、ちょっとした腐れ縁でね。事情は後で説明するからさ」

「う、うん……」

「よし、伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサン、遠慮せず好きなメーカーを言ってみろよ」

「……SAB〇Nのが好きです」

「あーなるほど、SAB〇Nのね」


 それ結構高いやつじゃねーかー。

 くっ、だが全人類の命には代えられない。


「わかったよ! 今度SAB〇Nのシャンプー買ってくるから、くれぐれもこのことは沙魔美には……」

「……わかりました。私も……うっ!」

「!? どうした!? 伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサン!?」

「うっ、うっ、うがああああ!!!」


 伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンが断末魔の叫びを上げると、伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンの全身にヒビが入り、次の瞬間、木端微塵に弾け飛んだ。

 そしてその中から……。


 ――ガイナ立ちの沙魔美が出現した。


「ヒ、ヒイイイイイイ!!!」

「キャアアアアアアアア!!!」

「ご機嫌麗しゅう、堕理雄。今日はいい天気ね。ところであなたの辞世の句は、『うわっ……私の余命、短すぎ……?』でいいかしら?」

「あ……あ……あ……」

「堕理雄君!? この方ともお知り合いなの!?」

「はじめましてカワイイお嬢さん。私は堕理雄の彼女の、病野沙魔美です」

「――! あなたが……」


 ……終わった。

 600万年にわたる人類の歴史が今日。

 これは俺のせいなのか?

 だとしたらごめんね、アウストラロピテクス。

 せっかく君達が渡してくれたバトンを、俺は後世に渡せなかったよ。


「これは別に深い意味があって聞くわけじゃないのだけれど、お嬢さんは先程、『ちょっと彼女さんが羨ましいな』と仰ってなかったかしら?」

「えっ、聞いてたんですか?」


 胃が痛い……。

 今にも胃に穴が開きそうだ。

 頼む菓乃子、アウストラロピテクスのためにも、ここは上手く言ってくれ――!


「たまたま耳に入っただけよ。それで? どうなのかしら?」

「……確かにそう言いました」

「……へえ」


 ファーーーーー!!!

 ドンマイ、アウストラロピテクス!!

 今までありがとう!!

 そして、ありがとう!!


「でも別に、私が堕理雄君と付き合いたいって意味じゃないです」

「えっ?」

「えっ?」

「お二人の関係が羨ましいって意味です。だって今の堕理雄君、とっても幸せそうな顔してるんですもん。私と付き合ってた頃よりもずっと……。だから私がお二人の関係に割って入るなんてあり得ません。だってお二人は、こんなにもお似合いのカップルなんですから」

「ア、アラ、そうかしら」

「……」


 そうだな。

 菓乃子は昔からこういう子だった。

 誰かの幸せを、自分の幸せのことのように心から祝福できる子。

 だからこそ、昔の俺は菓乃子のことを好きになったんだ。


「だから病野さんが思ってらっしゃるようなことは、何も心配いりませんから安心してください。じゃあ、私はこれで失礼します」

「え、ええ」


 俺達に軽く会釈すると、菓乃子は自分の部屋に消えていった。

 沙魔美からも、ドス黒いオーラは消え去っていた。

 何とか、アウストラロピテクスにも顔向けできそうだ。




「でも堕理雄。まさかあなたこれで、アウストラロピテクスにも顔向けできそうだ、なんて思ってないわよね?」

「え……思っちゃダメなの?」


 とりあえず俺の部屋に沙魔美と入ったのだが、その途端、俺はベッドに押し倒されて上記の台詞を沙魔美に言われた。


「私はまだ全てを許したわけじゃないわよ。とりあえず、今あの女が堕理雄を狙ってないのは、百歩譲って認めるとしても、堕理雄とあの女が付き合っていた過去は、決して消えないのだから」

「……じゃあ、どうすれば許してくれるんだ」

「……堕理雄はあの女と、何回したの?」

「……ハ?」


 したって?

 アレをか??


「いや! そんなの覚えてるわけないだろ!」

「ふーん。少なくとも、覚えていられないくらいの回数ってことね」

「いや、それは、あの……」

「いいわ、ちょっと待ってて」

「?」


 沙魔美は自分のスマホを取り出すと、それにフッと息を吹きかけた。

 すると、スマホから禍々しいオーラのようなものが溢れ出てきた。


「沙魔美……それは……」

「静かにしてて」


 そう言うと、沙魔美はスマホに話しかけた。


「堕理雄とあの女がした回数は?」

「!」


 ピピッ


『堕理雄とあの女がした回数は、合計49回です』

「!!」

「なるほどね」


 何だそのチートアプリ!?

 もしかしてそれ、知りたいこと何でも教えてくれるのか!?

 これは今まで見た魔法の中で、一番エグい気がする……。


「私と堕理雄がした回数は、聞くまでもないわ。私は全部覚えてるもの。合計41回よ」

「あ……そうなんだ……」

「というわけで、堕理雄、私が言いたいことはわかるわよね?」

「いや、どうだろう……」


 わかりたくないというか……。


「今日は買い物に行くのはキャンセルしましょう。その代わり、あの女との回数を超えるまで、今からするわよ」

「えっ? 今から?」


 しかも9回も?

 それは流石に死んじゃうぜ。


「で、でも沙魔美、このアパート壁が薄いし……隣に聞こえちゃうよ」

「もちろんそんなの百も承知よ。だからいいんじゃない」

「……」


 助けてママー!

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