ゴンッと、鈍い音が響いた。
そして、頭突きされたラウロだけでなく、頭突きしたイヴォンヌの額からも血が流れる。
何が起きたか分からないと茫然自失するラウロを、イヴォンヌはさらに掴み寄せた。
「ふざけるな!」
イヴォンヌは沸き立った感情のままラウロに向かって一喝した。
「何が『ケジメをつける』よ。カッコつけたフリして、目の前のことから逃げたいだけじゃない」
「……」
「それこそ負けてるのよ!」
大きく見開かれたラウロの目には、風吹く草原のように爽やかなはずの黄緑色の瞳を怒りで燻らせ、顔を歪めるイヴォンヌが映っていた。
「あなたはそれでいいの?!師匠に好き勝手言われて、自分の人生の価値付けされて、それを認めるなんて。……違うでしょ。もっと泥臭く抗ってみせなさいよ!」
「…っ」
「根性見せろ、ラウロ!!」
言いたいことを全て言い切ったイヴォンヌは肩で息をした。
その瞳は感情の昂りにより潤んでいる。
そんなイヴォンヌを見て、ラウロは頭突きされたことに対して文句を言えず、ただただ目を丸くしていた。
イヴォンヌの言った通りだったからだ。
受け入れ難い現実から逃れたくて、このまま自分が死ねば楽になれるとさえ思っていた。
だが、それではイヴォンヌの指摘の通り、ウルラに蔑まれたことを認めているも同然だ。
そして、ここで己が問いかけてくる。
――それでいいのか、と。
「…はっ」
まさか、自分が殺そうとした魔女に二度も諭されるとは思わなかったラウロは思わず軽く笑った。
「石頭が」
「頑固なあなたの目を覚ますのには丁度いいでしょ」
「そうかもな。…イヴォンヌ」
初めてラウロから呼ばれた自分の名前に、イヴォンヌは思わず目を見開いた。
ラウロはそんなイヴォンヌをしっかり見据えて告げてくる。
「これまでのこと、悪かった」
「……え」
「オレはお前の生き様を見ると言っておきながら、殺そうとしたクズだ。…そこは否定しない」
「…ラウロ」
「謝って許されるとも思っていない。だが、もう死んで詫びようとも思わない。…図々しいとは分かっているが、協力してくれないか」
あの魔女に、何が何でも一矢報いたい。
そう真っ直ぐと言ってきたラウロに対して、イヴォンヌは瞳を丸くし、しばし瞬かせた。そして。
「…え、どうしたの、ラウロ」
「は?」
「師匠の攻撃受け過ぎちゃって、頭おかしくなった?…わ、サブイボ出てきた!」
「……おい」
いきなりのラウロの態度の豹変ぶりに、思わず思ったままを伝えて身震いすれば、ラウロが苛立ったように声を掛けてきたが、そんなやりとりをする二人の前方から「お前さんがた」と焦ったようなセネクスの声が耳に入ってきた。
「あんまり悠長に話してる時間はねぇぞ。そろそろ俺の魔法も限界だ!」
促してくるセネクスに、イヴォンヌとラウロは顔を見合わせる。そして、頷き合った。
「でも、師匠に一撃って、どうすればいいんだろ」
「…忘れたのか。オレは最高位精霊の血を引いているんだぞ」
そう言ったラウロがイヴォンヌの持つクリスタルワンドに手を翳すと、彼自身が眩い光を纏い、やがて光そのものとなって、人の輪郭を無くしていった。
そして、光が杖に吸収されるようにして引き込まれていくと、今度は杖も光り出し、その形を大きく変えた。
「わっ…?!」
光が収束した時、イヴォンヌの手にはクリスタルワンドの代わりに、背丈ほどある弓があった。
「…これなら届くだろ」
「わー?!弓が喋った?!」
「オレだよ、いちいち驚くな」
初めての経験におっかなびっくりするイヴォンヌに呆れながら声を掛けるラウロは、そのまま「よく聞いてくれ」と続けた。
「自分の持てる魔力全てを矢にする想像をしろ」
「魔力を?」
「そうだ。全力でウルラを貫く勢いでイメージしろ」
「えええ?!」
あまりにも殺意が高いラウロの説明に、イヴォンヌがさすがにそれはできないと焦りの色を見せれば、ラウロは「あのな」と再び溜息混じりに声を吐き出した。
「オレとお前がたった今突貫で協力し合ったところで、百戦錬磨のウルラに敵うわけないだろ。そこのオッサンだって今防戦一方なんだ」
「…気持ちの問題ってこと?」
「そういうことだ。こっちが殺す気でいかないと、ウルラに到底一撃を加えることはできやしない」
ラウロから提示された話に、イヴォンヌは唾を飲み込む。
師匠に向けて渾身の一撃を放つ。その言葉通りのことをやり遂げなければ、イヴォンヌ自身が意気込んでいたウルラを唸らせるということは叶わない。
――だが、もし、自分の放った矢の当たりどころが悪ければ。ウルラに予期せぬ大怪我をさせる事態を引き起こしてしまったら。
「ぬぁああっ!」
そんな悪い想像もしてしまったが、イヴォンヌは弓に関しては初心者だし、そもそも掠りすらしないかもしれないので、傲慢な心配だと首を振って掻き消した。
「っおい、もう限界だ!!」
今もまだウルラからの槍の雨を防いでくれていたセネクスが葛藤していたイヴォンヌを振り返って避けるように合図をしてくる。
炎の壁が薄れた途端、貫通してきたウルラの槍をしっかりと捉えたイヴォンヌは、今度はセネクスと同じ方向に動いてはぐれないようにした。
「…あら、イヴォンヌ。面白いものを持ってるわね」
ウルラが弓を持ちながら避けるイヴォンヌを興味深そうに笑いながら話しかけてくるが、応じる余裕は今のイヴォンヌにはなかった。
「…イヴォンヌ。聞け」
そんな状態のイヴォンヌでも、弓となったラウロからの声はしっかりと頭の中に入ってきた。
「オレから最初の呪文を教える。お前に今からやってもらう呪文は――」
「……え?」
ラウロから伝えられた呪文にイヴォンヌは思わず耳を疑ったが、その間にもセネクスは三度目の炎の壁を展開し、三人を槍の手から防いだ。
イヴォンヌとラウロのやり取りを聞いていたらしいセネクスが、汗をかきつつも笑みを浮かべながら振り返ってくる。
「…ウルラ嬢への攻撃は、イヴォンヌ嬢とラウロ坊に任せるとすっかねぇ」
「!」
「チャンスはこの一度きりだ。合図を受けたらこの壁を消す。…上手く使えよ」
セネクスに後押しされ、腹を括ったイヴォンヌはとうとう目を瞑る。
そうして、自分の魔力を矢に具現化するイメージして目蓋を上げれば、鋭く光り輝く一本の矢が手の中に現れていた。
左手で弓柄を握り、弦を引いてその矢をウルラの魔力を一際強く感じる方向に向けて、イヴォンヌは構えた。
「いつでも大丈夫です!」
「ぃよし、キタぁ!」
イヴォンヌがセネクスに準備万端のサインを送れば、セネクスが炎の壁を薄めた。
槍は今も尚、容赦なくこちらへ降り注がれている。
標準を合わせるのも、呪文を唱えるのも、チャンスは一瞬のうちだ。
「!」
イヴォンヌが弓を構えているのを捉えたウルラの表情が、僅かばかりに驚きで揺れた。
そして、矢じりの先をウルラへ向けたイヴォンヌが、呪文を唱える。
「
そして、周囲の大気を大きく纏った矢が、弦を離したイヴォンヌから解き放たれる。
その勢いはさながら大砲から放たれた砲丸のようであり、イヴォンヌ達を襲ってきていた槍を悉く薙ぎ払った。
「ひゃっ!」
想定以上の勢いだったそれに、小柄なイヴォンヌは耐えきれず、後ろに弾き飛ばされた後で尻もちをつく。
「っウルラ嬢ぉ!」
セネクスの焦った声にイヴォンヌが驚いて見上げれば、ウルラはその眉を僅かに歪めた後、すぐに杖の先を振るって防御壁を張り、イヴォンヌの矢を受け止めていた。
だが、あのウルラの魔法をもってしても、イヴォンヌの矢の勢いは止まらず、未だにその壁を貫かんとチリチリと音を立てている。
ただならぬ雰囲気をイヴォンヌはその身に感じると同時に、今何が起きているか頭の中で理解が追いつかなかった。
ただ、イヴォンヌの黄色の魔力とウルラの赤紫色の魔力がぶつかり合い、稲妻のような歪な波が中心から発生している。
だが、それも束の間だった。
ウルラが目を瞑れば、彼女を護るための壁に亀裂が走っていく。
そして彼女が目を開けると、その亀裂は瞬く間に広がっていき、勝った矢は防御壁に歪な穴を空けてウルラの頭目掛けていった。
「…っ」
ウルラは咄嗟に避けたが、その矢は右肩を掠め、空高く飛んでいき、やがて消えていった。
あっという間の出来事だった。
呆けているのはイヴォンヌだけでなく、セネクスもだった。
あのウルラが、肩から血を流し、それが腕を伝っている。
「…三人とも、よくできました」
傷を横目で確認したウルラは地面にゆっくりと降りてきた後、先程の攻撃の苛烈さが嘘かのような穏やかな微笑みを向けてきた。
***
「えぇえええ?!」
ウルラがラウロの傷の手当てをしている最中、セネクスに告げられた衝撃の事実に、イヴォンヌは腰を抜かしそうになるほど、おっかなびっくりした。
「スクロペトゥムって、そんな危ない魔法だったんですか?!」
「おうよ。通常なら魔力の塊みてえなもんを火力高めにぶつける魔法だが、相手の魔力量に自分の魔力量が
「そ、そくし…」
「俺が猛牙猪を仕留められたのも、そのお陰よ」
「……」
「低位から中位くらいの精霊なら最後に教えてくれる魔法なんだが、さすがは最高位精霊だなァ。容赦がないねぇ」
絶句するイヴォンヌに対して、セネクスは腹を抱えて笑っていたが、笑いごとではない。
そんな危険な魔法を師であるウルラに放ってしまったイヴォンヌは、わなわなと身震いした後、堪らなくなってウルラに向かって土下座した。
「師匠ー!ごめんなさーい!!」
「そこまで気に病まなくても大丈夫よ。大事には至らなかったんだから」
ウルラが苦笑いしながらイヴォンヌを宥めるが、イヴォンヌは「でも…」と涙ぐみながら顔を上げた。
そんなイヴォンヌの頭を、ウルラが優しく撫でる。
「むしろ、それくらいの威勢で挑んでもらわないと困るわ。…なにせ、今後相手にするのは、本気で殺しにかかってくる狂魔なのだから」
その言葉にイヴォンヌはハッとする。これはあくまで演習だったが、本番では命の取り合いになるということが、頭から抜け落ちていた。
そのことにイヴォンヌが恥じていると、ウルラからの治療魔法を受けて回復し終えたラウロが「はっ」と鼻を鳴らした。
「お前だって、本気で殺す気で来てただろ」
「あら。そうでもしないとあなたは反省しなかったでしょう、ラウロ」
「……」
「身体の痛みも、心の痛みも、感じるのは自分だけではないのよ。そのことを肝に銘じて、これからイヴォンヌに償っていきなさい」
ウルラがしっかりとした口調でラウロに告げれば、ラウロは気まずそうに俯きながら「…言われなくても、そのつもりだ」と小声で呟いた。
その言葉を聞いたイヴォンヌは、今度は感激で身を震わせる。
「…ら」
「は?なんだよ」
「ラウロがデレた…!!」
「お前な…」
やいやい言い合う二人の子供たちの様子を見たウルラは穏やかに笑って見守っていたが、その隣に並んだセネクスが声を潜めて話しかけてくる。
「…あの時、イヴォンヌ嬢が呪文を唱えた時、魔力が桁違いに跳ね上がってた」
「……」
「下手したら、狂魔狩り筆頭がいなくなるとこだった。…危なかったなァ」
セネクスの鋭い指摘に、ウルラは俯き、先程の出来事を思い返す。
イヴォンヌのウルラを唸らせたいという思いと、ラウロの一矢報いたいという気持ちが共鳴したことで、実はイヴォンヌの魔力量がウルラのそれを僅かに上回っていた。
ウルラが咄嗟に防護壁に魔力吸収の魔法を組み込まなければ、その矢は自分を貫いていたことだろう。
「…条件は、イヴォンヌとラウロの気持ちの一致ね」
ウルラがそう言って当事者達を見遣れば、まだ言い合いを続けているようだった。
正義感の強い駆け出しの魔法使いと、最高位精霊の血を引く気難しい少年。二人が気持ちを常に合わせられるようになるのは未だ先のようだが、ウルラは笑みを溢す。
「未来は明るいわね、セネクス」
「…ったく、危機感ねぇな」
「あら。わたしがいなくなったら、あなたがあの娘達を引っ張ってもらうくらいは考えてるわよ」
「指導者代理ってかァ?…荷が重いねぇ、そりゃぁ」
悪戯っぽく笑うウルラに、セネクスは軽く息を吐きながら肩を竦めてみせた。