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第7話

 ウルラのツリーハウスの下、新鮮な草木の香りと共に焼けた肉の匂いが鼻腔に入り込んできて、イヴォンヌの気持ちを落ち着かせるだけでなく、食欲をそそり立たせた。

 足が地面にちょうど着くくらいの横倒しになった幹の上に座ったイヴォンヌの前には、背中から一層炎を滾らせるサラマンダーがいる。

 そのさらに向こうにはセネクスがいて、鼻歌を歌いながらサラマンダーの上にある丸太のような猪肉を長い串の持ち手を掴んで、焼きムラがないように回していた。


「ウルラ嬢やイヴォンヌ嬢が絶対にしねぇような、ザ・漢料理って感じだろ?」

「…そうですね」


 笑顔を向けながら尋ねてくるこの魔法使いの先達者兼弟弟子に、イヴォンヌもつられて笑う。

 確かに、こんな豪快な焼き肉料理をウルラはしないだろう。あのオーバンですら想像ができない。いや、そもそもオーバンは料理をするのだろうか。むしろできない気がする。


「ふふっ」


 想像して可笑しくなって笑えば、セネクスが安堵したように息を吐いた。

 その後、程よく焼けたと判断したセネクスが猪肉を切り分けて皿に盛り、腰から下げていた塩胡椒を振り掛けてイヴォンヌの目の前に差し出してきた。


「ほれ、食ってみな」

「…ありがとうございます」


 イヴォンヌはその皿を立ち上がって受け取った。

 まさか、自分を食べようとした猛牙猪が逆に食べられるだなんて、誰が想像できようか。これぞ皮肉だな、なんて思いながら串を刺して口の中に含めば、今までに食べたことのない肉汁の旨味と柔らかな食感が口内に広がり、イヴォンヌは瞳を大きくして輝かせた。


「おいしい!!」

「だろ〜?…昔よく野営の時にやったってもんよォ。懐かしいねぇ」


 頬が落ちそうになるイヴォンヌだったが、セネクスの言葉に引っ掛かりを覚えて、一度食事を進める手を止めた。


「野営って…セネクスさん、兵隊さんだったんですか?」


 純粋に湧いて出た疑問をぶつけてみれば、セネクスは肉を削ぐ手を一瞬止めた後、目を瞑り、その後燦々と輝く星空を見上げた。


「…俺ァ昔、こう見えてもリータスの魔法師団の師団長だったもんでね」

「リータスって、確か…」

「ちっせえ国さ。下にケントラム、右にシルヴァーナ、上にニクシアに挟まれたな」


 セネクスが指をそれぞれに差しながら解説するが、イヴォンヌの記憶では、たしか漁業が盛んであり、造船技術がケントラムよりも発達している国であったはずだ。その国の名物であるパエリアは絶品だと言われている。


「今でこそ平和な国になったが…昔は北からの魔化精霊の襲撃がすごかったってもんよ」

「魔化精霊?」


 聞き慣れない言葉にイヴォンヌが首を傾げて尋ねれば、セネクスの口角が下がった。


「魔族との契約で捧げられて、逃げ延びたは良いものの魔力が汚染されちまった精霊のことさ」

「……そんなことが」

「魔化精霊となれば理性もなく、暴走する心のままに破壊衝動に駆られる。…リータスはシルヴァーナみてぇに大きくなかったから、しょっちゅう被害をこうむってた」


 もう三百年以上も前の話だがな、とセネクスは続ける。


「俺ァそんな魔化精霊討伐の任を担っててな。北の寒〜い地帯で、こうして部下たちと火を囲っては、よくふざけ合ったものさ」


 懐かしいねぇと喉の奥で笑い、懐古するセネクスの表情を見て、イヴォンヌはセネクスと初めて顔を合わせた時のことを思い出した。


『過去に狂魔に太刀打ちできなかっただけでなく、一線を退いてからもう数百年と経つ。…そんな俺がどれだけ戦えるかは分からんがな』

『…もう、若い魔法使いがいなくなっていくのは、見たくないもんでね』


(…ああ、そういうことか)


 イヴォンヌの中で点と線が繋がり、セネクスという魔法使いが垣間見えた気がした。


「…おいおい、イヴォンヌ嬢」


 込み上げてくるものがあって、イヴォンヌがその衝動に耐えきれずに視界を歪ませていると、セネクスが揶揄するように声をかけてきた。


「っなんですか」

「そんな顔してっと、せっかくの漢料理が不味くなっちまうってもんさ」

「わかってますよ、そんなこと」


 指摘されて恥ずかしくなったイヴォンヌが自棄になりながら串焼きに齧りつけば、セネクスは至極満足そうに笑った。


「…セネクスさんって、大の博打好きでなければ、良いおじさんなのに」

「そう言うなよイヴォンヌ嬢。生きとし生けるもの、皆欠点はあるものだろ?」

「セネクスさんの場合、度が過ぎてますけどね」


 泣き腫らした顔で笑って言い返せば、セネクスはやれやれと肩を竦めた。


 ***


 程なくして、セネクスの料理を満腹食べたイヴォンヌは、今日の出来事による感情の起伏の激しさや不慣れな魔法の連発により疲弊しきっていたのか、座っていた幹にそのまま横になって眠りに落ちてしまった。

 そんなイヴォンヌを後で部屋まで運んでやるかとセネクスが思ったところで、近づいてくる足音があったので、炎の短刀を手にしたセネクスはその足音の主に向かって牽制のために投げた。


「っ!」

「何しに来た」


 その炎刀は少年の足下に突き刺さり、周囲の草を燃やす音を立てて消えていったが、目的を十分に果たしてくれた。

 現にラウロは、これ以上こちらに近付こうとはしなかった。


「…寝に来ただけだ」


 セネクスの鋭い声に対し、ラウロはぶっきらぼうに答えた。

 その回答にセネクスは「へぇ」とわざとらしく唸ってみせた。


「こいつァ驚いた。まさかイヴォンヌ嬢の命を狙っときながら、同じの屋根の下で眠ろうってか?」

「……」

「末恐ろしいねェ。罪悪感すらねぇとは」


 おお、怖い怖いとセネクスが身震いしてみせると、ラウロは「お前には関係ないだろ」と鼻を鳴らした。


「オレにとっては不本意な契約だった。…自由になりたいと思うのは、当然のことだろ」


 命を奪うことに未だ躊躇いを見せないラウロに、セネクスは鋭い視線を向ける。


「…確かにそうだが、お前さん」

「なんだ」

「自由になった後、どうするんだ?」


 その問いかけは予想外だったのか、ラウロは伏せていた睫毛を跳ね上げた。


「…どうするって…思うがままに生きるさ」

「へぇ。一人でかい?」

「そうだが」

「馬鹿か」


 即答してきたラウロを、セネクスはその一言で一蹴した。

 そんなセネクスの態度にラウロの眉毛がぴくりと動く。


「…お前も、死にたいのか」

「やれるもんならやってみな。俺ァ、ウルラ嬢や会長ほどじゃねぇがな。炎を扱うことくらい昼に見て分かってんだろうが」

「…っ」

「その無い頭でよく考えろ。樹木と風、それから炎。本気でぶつかったら、ここは焼け野原になっぞ」


 そしたらウルラ嬢ブチギレ間違いねェな〜とケタケタ笑うセネクスに対し、ラウロは舌打ちした。

 そんなラウロに対し、セネクスの表情は神妙なものに変化する。


「…ラウロ。お前に足りないものは想像力だ」

「なんだと?」

「掲げるものは立派でも、その先のことを考えなきゃ、破綻すっぞ」

「……」

「ま、老いぼれの説教はこのくらいにして、あとはウルラ嬢に任せるさ」


 セネクスがそう言うと、ラウロは両の拳を握り締めた。

 唇を噛みしめ、視線を下の方で左右に彷徨わせている。

 そんな矢先、場に似つかわしくないぐぅうう〜という、唸るような腹の虫が鳴った。

 セネクスはある程度食べていたため、その主はラウロだ。


「オイオイ、すっごいタイミングだなァ」

「っうるさい」

「言っとくが、俺ァ『働かざる者食うべからず』主義だ。この肉の成果は果敢に挑んだイヴォンヌ嬢と仕留めた俺への褒美ってもんよ」

「…寝に来ただけだ。たかるような真似はしねぇ」


 羞恥で顔を染め上げて脇を足早に抜けていくラウロを見て、セネクスは笑う。

 ちょうどラウロが階段を昇り終え、ツリーハウスに入ろうとしたところで、玄関横にある転送陣が一際光り輝いた。

 そうしてその光が収束する頃に現れたのは、ウルラだった。


「…あらラウロ。珍しいわね」

「誰が出迎えなんかするか。寝に戻って来ただけだ」


 声をかけたウルラにつっけんどんな態度を取った後、ラウロはそのままツリーハウスの中へと姿を消していった。

 そんなラウロの背を見送ったウルラがデッキから見下ろせば、サラマンダーに大きな肉を食べさせているセネクスが片手を上げて挨拶をした。


「よぉ、ウルラ嬢。お疲れさん」

「ありがとう、セネクス」


 ウルラは階段から降りてきながら、まじまじと残った巨大すぎる肉の塊を見遣る。


「なんというか…すごくワイルドね」

「たまには良いだろと思ってなァ。イヴォンヌ嬢も喜んでたぜ」

「あら、それは良かった」


 ウルラは少し笑うと、静かな寝息を立てるイヴォンヌの横に腰掛けた。

 イヴォンヌの顔色を見たウルラは違和感にすぐに気付いたのか、すぐにセネクスに向き直って「何があったの?」と真っ直ぐに尋ねてきた。


「ラウロが、イヴォンヌを殺そうとした」

「……そう」


 真実をありのままに伝えれば、ウルラはただ悲しげに俯いた。そんなウルラに対し、セネクスは「驚かねぇんだな」と呟きながら、皿によそった串刺しの猪肉を手渡す。


「予測はしていたの。…わたしが留守の間に、ラウロが別の形でイヴォンヌを狙おうとするのを」

「…そうか」

「正直、わたしはラウロがイヴォンヌに何もしない方に賭けていたわ。…賭け事は、あなたと同じで向いてないかもね」

「オイオイ、俺ァこう見えて当てる時は当てるぜ?」

「あら。それでも負債額の方が多いでしょ」


 ウルラが受け取りつつ答えれば、セネクスはぐうの音も出ないようで苦笑いしていた。


「イヴォンヌを助けてくれてありがとう、セネクス」

「…そのために俺を弟子に選んだのかと思ってたんだが」

「あら、バレてた?」

「まァな」


 くすくすと笑うウルラだが、途端、纏う空気が一変した。


「…でも、そうね。この際だから、ラウロには少し仕置きが必要かしら」


 そう言って猪肉が刺さった串を手に持って垂直に立て、目を細めて言ってみせるウルラに、セネクスは悪寒戦慄したような感覚に陥る。

 森のように深いウルラの緑の瞳の奥に、触れては火傷してしてしまいそうな熾烈な炎が煮え滾っているように見えた。


「演習の予定を早めるわ。明日行いましょう」


 そう告げるウルラに、セネクスは「あ、これ終わったな」と内心で思い、笑顔を引き攣らせた。

 あの少年は、怒らせてはいけない魔女を怒らせてしまった。

 そのことにイヴォンヌやセネクスも巻き込まれることとなったが、反論の余地もないウルラの静かな声色に、セネクスは息を吐きつつ頭を掻く。


(…やっちまったなァ、ラウロ坊)


 この食べ方もなかなか良いわね、と言いつつ猪肉を口に含むウルラを見つつ、この魔女の仕置きはただで済むものではないだろうことを考えると、明日のラウロに少々同情はしたが、彼はそれだけのことをしてしまった。

 イヴォンヌが今眠れているのは幸いなことだったかもしれないと、セネクスはそれだけは安堵の思いを抱いた。

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