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第6話

 セネクスがウルラに弟子入りしてから、三日が経った。

 その間、イヴォンヌはウルラの言いつけどおり、精霊たちとの対話を積極的に行い、少しでも多くの魔法の習得を試みていた。

 というのも、昨日のウルラの提案が事の発端だった。


 ***


「五日後に、対狂魔を想定した演習をしてみましょうか」


 唐突なウルラからの提案に当時のイヴォンヌは虚を突かれたが、その心を代弁するかのようにセネクスが「急だねぇ」と苦笑いしながら呟いた。

 それに対し、ウルラは擽るように笑ってみせた。


「そうでもないわよ。今回はともかく、二人にはもうすぐ狂魔との実戦をしてもらうつもりだから、何事も早いに越したことはないでしょう?」


 今回というのは、先程オーバンから、ケントラムとシルヴァーナの東にある鉱山大国・フォディナッカに狂魔が現れたという通達があったことを指している。

 そのためにウルラが駆り出されるというわけだが、今回の討伐にイヴォンヌとセネクスは連れて行かず、留守番させるつもりらしい。


「…俺ぁともかく、イヴォンヌ嬢にはまだ早くないか?」


 セネクスが難色を示したが、まだ魔法が二つしか使えないイヴォンヌもその考えに同意して、思わず頷きそうになったのを抑える。

 イヴォンヌがただ黙って二人のやりとりを見守っていると、ウルラが首をゆっくりと横に振った。


「経験に勝る知識はないわ。二人には五日後に、協力し合ってわたしを相手取ってもらうから」


 ウルラが笑顔でそう宣言するのを見る限り、どうやら取り付く島もなさそうだ。

 そうしてウルラはそのまま外へ出て、転送陣を光らせて目的地へと向かってしまった。

 残されたイヴォンヌとセネクスは二人、顔を見合わせる。


「…確か、習得してる魔法は二つだけだったっけか」

「そう、ですね…。身体強化と整理整頓です」


 イヴォンヌがそう答えるなり、セネクスは難しい声を出しながら天を仰いだ。

 その反応に少なからずショックを受けたが、イヴォンヌ自身も己の力量は分かっている。今の状態ではウルラとの実戦で話にならず、経験者であるセネクスの足を引っ張ることも。

 だから決意した。

 残された五日間で可能な限り魔法を習得し、師であるウルラを唸らせてみせると。


 ***


 そして現在に至るわけだが。


「ラ〜ウ〜ロ〜っ!」


 イヴォンヌは契約精霊のリスの力を借りて、ウルラのツリーハウスの基となっている、天まで届きそうな巨大樹の幹を這うようにして登っていた。

 ウルラが留守の間に、イヴォンヌは自分が契約しているリスと猫との「対話」をとことん行い、今や身体強化だけでなく、両者が有する魔法を数多く習得している。

 だが、どの魔法も戦いにおいては決め手に足りないとイヴォンヌは感じており、内心焦りが生じているのも事実だ。

 そこで、自分が契約している中で、唯一「対話」が全く進んでいない半精霊の少年とじっくり向き合うことを決めた。

 ウルラのツリーハウスにやって来てからというものの、ラウロはずっとイヴォンヌの呼びかけに応じようとしないどころか、食事の際も皆と顔を合わせないように時間をずらしている。イヴォンヌが洗い終わった後に台所に置かれた食後の皿を見ては思うところがあったが、彼の過去を知っている手前、直接物申すことはこれまで控えていた。

 だが、ずっとこのままでは良くないというのはイヴォンヌ自身もよく分かっている。

 そのため、イヴォンヌはラウロの魔力の気配を感知して、強行突破に出ようと考えた次第だ。


「…げ」


 ラウロは太い木の枝の上、頭の後ろで手を組んで昼寝していたようだ。

 下から四つん這いになってよじ登ってくるイヴォンヌを見たラウロが呆気に取られたと同時に引いた声を出したのを、イヴォンヌは聞いた。


「今日こそあたしと話しなさーいっ!」

「嫌なこった」


 イヴォンヌの時間をかけた木登りの努力も虚しく、あと少しでラウロのいる枝に辿り着けるといったところで、ラウロはそこから飛び降りてしまった。


「あっ!」


 危ない、とイヴォンヌが言おうとしたところで、ラウロの身に風が集い、まるで身に纏うように彼の周りを吹き始めた。

 ゆっくりと下降し、地面にすとんと着地するなり、ラウロは未だ幹に留まるイヴォンヌに目もくれずウルラのツリーハウスから離れていった。

 その先は、ウルラの結界が及ばない、野生の獣が多く生息する森だ。


「…って!」


 考えている暇はない。この登ってきた労力と時間を無駄にする猶予はもうないのだ。

 イヴォンヌは即座に猫の契約精霊を出すと、リスと交代させた。


宙ひねりフェリスカーサス!」


 イヴォンヌも呪文を唱えると、躊躇いもなく両手両足を巨木から手放し、宙に身を投げる。

 この呪文は高所から飛び降りて着地する際のものであり、飛行呪文のないイヴォンヌにとっては最短で落下できるありがたいものであった。


「よっと!」


 歩き去ろうとするラウロの後ろでイヴォンヌが猫のように四つ足で着地すれば、その音で振り返ったラウロが不愉快極まりないといった具合に表情を歪めた。

 そんなラウロに構わず、イヴォンヌは身を起こしてラウロを指差す。

 だが、イヴォンヌが何かを言う前に、ラウロは駆け出してしまった。


「ちょっ…待ちなさーい!」

「誰が待つかよ、粘着魔女め」


 足早に逃げるラウロを、イヴォンヌが追う。

 そんな様子を、セネクスがツリーハウスのデッキから眺めていた。


「…若いねぇ」


 子供が元気な事はいいことだと、年寄りらしいことを考えたセネクスは、この時までは内心穏やかに笑っていた。

 だが、ラウロの向かっている先が変わらずツリーハウス周辺に張られている結界外であることに、やがてセネクスは引っ掛かりを覚える。


「そういやあの二人…間違って契約しちまったんだっけか?」


 ウルラから聞かされたイヴォンヌとラウロの関係性を、ボソボソな顎の髭を触りながらセネクスは思い返す。六百年と生きてきたが、そんな事例は聞いたことがなかったと最初は興味深く思ったものだ。

 契約した魔法使いが死ぬまで解かれない、精霊自身が縛られてしまった約束。

 ――嫌な予感が、セネクスの胸中を過った。

 イヴォンヌはただラウロと対話することしか考えていないようで、ラウロに倣うようにして結界の外に出てしまった。

 シルヴァーナは自然豊かな森の国だ。

 ウルラが住むこの辺りはウルラの魔力の影響で人に害を及ぼさない野生動物が寄ってきては昼寝をしたりしているが、領域外にはそんな動物を狙う食物連鎖の上がいる。


「…まさか」


 長年の経験で、半精霊の少年が直向きな魔女に対して良からぬ思惑を抱いていることに、セネクスは気付いた。


 ***


 どれだけ時間が経ったか分からないくらい、深緑の葉々が天上に生い茂り、陽の光すら遮る暗い森をイヴォンヌは駆けていた。

 猫の精霊の魔法のお陰で、暗い場所でもイヴォンヌの視界はしっかりとしていた。自分の少し先には、まだラウロの背が見える。


「待ちなさい、ラウロー!」


 ずっとそう呼び止めてみるが、ラウロは答えも振り返りすらもしない。

 だが、横倒しになった大きな幹をラウロが飛び越えた拍子に、イヴォンヌはラウロの姿を見失ってしまった。

 その幹に飛び乗り、辺りを見渡すが、ラウロは見当たらない。恐らく近くの場所に身を隠したのだろう。


「魔力感知を正確にできるようになったあたしに、隠れんぼは無意味だよ〜?」


 自分でも少々意地悪かな?とイヴォンヌは思いつつも、目を閉じて神経を研ぎ澄まさせてラウロの魔力の気配を探った。

 実際、ラウロはすぐに見つかった。

 どうやら西の方角に向かって身を潜めつつ向かっているようだ。


「み〜つけ…」


 た、と目を開けてラウロの後を追おうとしたところで、イヴォンヌは広がった光景に身動いだ。


「……え」


 右も左も、どこを見ても、見上げるほどの大きさの猪たちが、イヴォンヌを囲っていた。

 口から鋭く剥きでて涎を垂らしていく犬歯に、イヴォンヌはまさか、と頭の中である獣の存在が思い浮かんだ。

 猛牙猪もうがしし。それはシルヴァーナに存在する、まるで狼のように群れをなして大型の草食動物だけでなく人をも襲う凶暴な肉食獣だ。


「ウソでしょ…」


 イヴォンヌは自分の置かれた状況に気付いて愕然と呟く。

 ラウロを追うことで頭がいっぱいで、周囲の環境にまで気が回らなかった。どうやら、気付けば森の奥深く、この血肉に飢えた獣たちの巣窟に自ら足を踏み入れてしまったらしい。


「!…ラウ」


 ラウロのいた方角を振り返る。彼は無事かと。

 だが、イヴォンヌの心配は杞憂に終わった。

 彼は木の上に登って枝に腰掛け、じっとイヴォンヌを見下ろしていた。

 そして、その静かな瞳で見下ろしてくるラウロを見て、イヴォンヌはただの杞憂ではなかったと悟る。

 ――嵌められた。


「…最っ低」


 いくら自分がしつこくしたからって、ここまでする必要があるのかと思うくらいの嫌悪感しか自分になかったのだろうか。

 ラウロ自身が契約を解けないから、他の力を頼ってイヴォンヌとの契約を解こうとしているのに、今更気づいた。

 自分を殺すことを考えた少年を睨みつつ歯を噛みしめれば、イヴォンヌの背後にいた猛牙猪が飛びかかってきた。


「っ空裂く爪ラキーマ!」


 すかさず危険を察知したイヴォンヌがクリスタルワンドを取り出してその先を猛牙猪の顔に向ければ、大きな猫が引っ掻いたような爪痕がその獣の顔を抉った。

 だが、それでも猛牙猪が怯まずにイヴォンヌに噛みつこうとしたため、咄嗟に身を翻して地面を転がる。


「うぐっ…」


 地面の固さと落ちている枝のせいで身体中に痛みが走ったが、痛がっている暇はない。

 倒れているイヴォンヌを今にも食わんとする猛牙猪たちが、次々と襲いかかってきた。


反発する盾レプリシオ!」


 咄嗟にワンドの先を横薙ぎに振るえば、分厚い雲のような塊がワンドの跡を辿るように出てきた。そして、突進してきた猛牙猪たちを包みこんだかと思うと、その力が大きければ大きいほど弾力を伴って弾き返した。

 一匹は近くの木の胴体に当てることができたようで、「ギィイッ」という悲鳴と共に木が倒れるのがイヴォンヌの耳孔に入り込んできた。


(…あと、五匹っ…)


 自分が食べられないようにするために、今習得している魔法を使って、なんとかこの場を凌がねばならない。

 だが、一番攻撃力のある空裂く爪ラキーマを、猛牙猪はものともしていなかった。そうとなれば、今のように反発する盾レプリシオを使って、隙を見て逃げるしかない。

 体勢を立て直し、頭の中で算段を立てて、イヴォンヌが活路を見出そうとした、その時だった。

 ――まるで地を這うような、ひどく低く唸る声が、イヴォンヌの後ろから鼓膜だけでなく全身を震わせてきた。


「…え?」


 振り返れば、目の前で立ちはだかっていたどの猛牙猪たちよりも遥かに大きな猛牙猪が、血走った瞳でイヴォンヌを捉えていた。

 七匹目がいた。しかも、この群れのボスらしい。


(…っこの大きさ相手だと、反発する盾レプリシオが突き破られる…!)


 敵わない。助からない。

 他に、他に手立ては。

 でも、どうすれば。


「…っ!」


 思考を走らせる中、一斉にイヴォンヌに飛びかかってくる猛牙猪たちに、イヴォンヌは悲鳴すらあげることができなかった。

 望みが絶たれ、目を瞑って両腕で頭を庇った、その時だった。

 熱風が、布で覆われていない手と頬を撫で上げた。火傷しそうな熱さを感じてイヴォンヌが思わず目を開けば、豪炎の壁がそそり立っている。

 そして、猛牙猪たちの苦悶の鳴き声が響き渡った。


「…ふーっ…間一髪ってとこか」


 聞き覚えのある声と共に、肩に手が置かれた。

 振り返れば、安堵したように息を吐くセネクスと、その後ろに背から炎を猛らせ続ける大蜥蜴がいた。


「せ、セネクスさん?!」

「無事で何よりだ、イヴォンヌ嬢。災難だったなァ」


 驚くイヴォンヌの頭を撫でると、セネクスとサラマンダーの登場により形勢が変わったと勘付いた猛牙猪の群れのボスが、距離を保ちつつこちらの様子を窺っていた。

 そんな猛牙猪を見たセネクスは、にやりと口角をあげる。


「…なあ、イヴォンヌ嬢」

「はい?」

「ウルラ嬢がいねぇ分、たまには巨大肉のご馳走ってのもいいよなァ」

「え」


 まさか、食べる気だろうか。この人食い猪を。

 イヴォンヌが目を点にして呆気にとられているのも束の間、セネクスは「サラマンダー」と自らの契約精霊に呼びかけた。


「久々の狩りだ。一発で仕留めんぞ」


 そう言うなり、手の平の上に燃え滾る短刀を出した。

 あの巨体相手にそんな小さな得物で太刀打ちできるはずが、とイヴォンヌが止めに入ろうとするが。


その命、燃え尽きろスクロペトゥム


 その隙もなく、セネクスが呪文を唱えた。聞き覚えのある呪文にハッとしたのも束の間、炎の短刀は真っ直ぐに猛牙猪の胸に飛び込んでいき、その分厚い毛で覆われた毛をものともせずに貫いた。

 一瞬の出来事だった。どうやら猛牙猪の心臓を一突きという洗練された技を、セネクスがやってのけたようだ。

 絶命した猛牙猪のボスは、その巨体を音と煙を立てて大地へと倒れていった。

 そして、静寂が訪れる。

 助かった。

 イヴォンヌはそう思った途端、足から地面に崩れ落ちていった。


「し、死ぬかと思ったぁ…!」


 セネクスがいなければ、自分はあの猪たちの餌食になっていただろう。

 今になって、イヴォンヌは手が震えてきた。


「…ありがとうございました、セネクスさん」

「いいってことよ」


 ほれ、立てるか?と手を差し出してくるセネクスの厚意に甘え、イヴォンヌはその手を取って立ち上がる。

 助かった、その安堵感を得ると同時に、イヴォンヌは様々な感情が胸中で渦巻いた。

 また、何もできなかったという無力さと、自分を殺そうと画策していたラウロに裏切られたという喪失感。

 ここ数日の間、自分なりに努力を重ねてきたつもりだった。

 それでも、また自分で身を守れなかったことを突き付けられて、全く進歩できていない気がしてならなかった。

 安堵よりも次第に大きくなってくるその感情に、イヴォンヌは泣きそうになるが、負けじとこの状況を招いた少年を睨み上げる。


「…!」


 そうすれば、ラウロはバツが悪そうな表情をして、視線を逸らした。

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