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第5話

 温かな日差しが窓から入り込む中、食卓に着いていたイヴォンヌは目を瞑り、広げた手の上にある胡桃に意識を集中させていた。

 その向かいでは、ウルラが頬杖をついてイヴォンヌの様子を見守っている。


「…格納ストル


 イヴォンヌが静かに呪文を唱えると、手の中にあった胡桃がぱっと消えた。

 胡桃の感覚がなくなったことで目を開けたイヴォンヌは、しばし呆気に取られていたが、やがてその顔を綻ばせる。


「やった!やりましたよ、師匠!」

「ええ、おめでとう。イヴォンヌ」


 喜びを隠せないイヴォンヌにウルラが賛辞を贈るのに合わせるように、テーブルの上でイヴォンヌの様子を見守っていた契約精霊のリスが、音は聞こえずとも拍手をしてくれた。


取り出すエクスィミート!」


 気を良くしたイヴォンヌが別の呪文を唱えれば、宙に再び胡桃が現れて、ころんころんと再び手中に収まった。


「わ、わぁああ!」

「これで時空間魔法による物の整理は完璧ね」

「ありがとうございます!」


 朝食を食べ、全員分の後片付けを終えたイヴォンヌがウルラに教わったのは、つい先日、ウルラがイヴォンヌに見せてみた初歩的な時空間魔法だった。

 教わる、というよりも、イヴォンヌの場合は既にその魔法を唱えられる条件が揃っていたのだという。

 イヴォンヌの契約精霊であるリスが、その時空間魔法を使える術を知っていたので、イヴォンヌは「対話」によってその方法を聞き出した。


「イヴォンヌ。精霊と契約して、魔法を一つ覚えただけで止まってはいけないわ」


 数刻前に、ウルラに言われたことを思い出す。

 これは魔法使いの道に入ったばかりの初心者が誰でも陥る失敗だという。

 特に精霊に詳しく、高位精霊以上との契約を望む者が、中位以下の精霊を軽視してしまい、魔法一つ習得しただけで次の精霊と契約を結んで、各々の精霊の持つ魔法を引き出せないことが多くあるのだという。


「どんな精霊にも、たった一つとは限らず、様々な魔法の可能性を秘めているの。だから、一度契約したからって蔑ろにせず、『対話』を積み重ねて精霊を知っていくことが大事よ」

「き、気を付けます…!」


 最初にリスの精霊と契約し、次に出会った猫の精霊から教えてもらった魔法が同じ身体強化であったために落胆した過去を思い返しながら、イヴォンヌは肝に銘じる。


「…でも、リスと猫、他にはどんな魔法が使えるんだろ…?」


 そうイヴォンヌがうーんと考え込めば、小さく笑ったウルラが「知りたい?」と尋ねてきた。


「わたしが言っちゃうとネタばらしになって、後々の楽しみが無くなってしまうかもしれないけれど」

「あ、う…。ちょ、ちょっとだけ…!」


 イヴォンヌがウルラの厚意に親指と人差指で摘むような仕草をしてみせると、ウルラはテーブルの上にいるリスの頭を撫でた。


「例えばこの子…リスの場合は、魔力による危険察知を高めることができるわ」

「というと…オーバンさんのように狂魔を感知できるようになるということですか?」

「そうね。感知範囲はオーバンほどではないけど、ケントラムの中心街二つ分の範囲はできるようになるでしょうね」

「へぇ…!」


 自分の契約したこのちっぽけなリスにそんな秘めた力があるとは思わず、イヴォンヌは驚喜した。


「それから猫は、夜目が良くなる魔法もあるの。光を使わなくて済むから、潜入捜査に使う魔法使いが多いわね」

「おおっ…」

「あとは、魅了かしら。意中の男性を誘惑するのに、よく魔女が使ったりするわ」

「……」


 だが、最後に教えてもらった魔法を聞いて、イヴォンヌは思わず師であるウルラと自分の胸部を見比べ、乾いた笑いを出した。


「どうかした?」

「いえ、なんでも…」


 机の上に頬杖をつくだけでその豊満な部分も乗ってしまうウルラならともかく、成長する気配すらない自分のそれを見て、思わず縁遠い魔法だなと思ってしまった。

 そんな矢先、木が軋む音を立てさせながら、階段を降りてくる音がイヴォンヌの耳を打ってきた。


「…お、ウルラ。師匠っぽいことやってるじゃないか」


 降りてきたのは、オーバンだった。先程食卓を囲った時のラフな装いとは異なり、魔法着をきっちりと着こなしている様は、さすがオルタスの連盟会長といった風情だ。


「当然でしょ。昨日は誰かさんのせいで、教えることもできなかったんだから」

「はは、悪かったって。そんな拗ねんなよ」


 揶揄してくるオーバンに対して拗ねてみせるウルラは、オーバンの前ではさながら妹のようだなとイヴォンヌは感じた。

 ——昔馴染みとは聞いているが、二人の関係性は一体どのようなものなのだろう。

 オーバンはよくウルラのツリーハウスに泊まることもあるようだし、ウルラもそんなオーバンのためにわざわざ個別の部屋を用意している。

 ただの魔法使い仲間というには、距離が近いような気がしてならない。


「…さて、ウルラ。昨日のオマエの頼み事を実行するために、この場を借りてもいいか?」

「良いわよ」


 そんな疑問が浮かんだのも束の間、オーバンがこの食卓を使うということでウルラが席を立ったため、イヴォンヌも倣って椅子から降りる。

 だが、ウルラが何か思いついたように天井を見上げつつ人差し指を立てた。


「イヴォンヌ。せっかくだから、あなたも同席するのはどうかしら?」

「あたしが…ですか?」


 その提案にイヴォンヌは瞳を瞬かせる。

 確か今日はウルラの弟子入りに唯一前向きな考えを示してくれた魔法使いが、オーバンに用があると言って再び面談すると聞いていた。

 込み入った話であれば自分は邪魔なのではないかとイヴォンヌは考えたが、「お、それはいいな」とオーバンが軽く頷いた。


「未来の弟弟子だ。どんなヤツか見ておいて損はないぜ」

「いやいや、ひよっ子の私が姉弟子名乗るには畏れ多すぎますって!」


 昨日の話では、ウルラに渡された書類の魔法使いは全て齢五百を超えていたはずだ。そんな魔法使いの先達者に向かって、たかだか十と数年生きただけの、しかも魔法のまの字もまだ使えていない自分がたった数日早いからというだけで先輩面するのは如何なものだろうかと、さすがのイヴォンヌも苦笑いする。

 だが、そんなイヴォンヌを見て、ウルラとオーバンは困り顔でお互いに見合った。


「それがなぁ…そうでもねぇんだよなぁ…」

「むしろイヴォンヌが叱る立場になると思うのよね」

「へ」


 二人の意図が分からずにイヴォンヌは間の抜けた声を口から溢すが、「まぁ、会ってみりゃ分かるだろ」とオーバンが言った後、彼は手にしていた一枚の紙に召喚魔法をかけた。

 イヴォンヌは腑に落ちないまま、とりあえずオーバンの隣の席に座り直せば、先程まで自分が座っていた向かいの席に見知らぬ魔法使いが白い煙と共に現れたのを確認した。


「…よぉ、ウルラ嬢。昨日ぶり」


 褐色肌に紫がかった黒髪と無精髭が特徴的な、中年の顔立ちをしている魔法使いだった。

 低く渋い声色は、聞いているこちらの心を落ち着かせるようなものだったが、どこか自分の中心部分を見透かしてきそうな灰色の双眸は鋭利な刃物のようで、イヴォンヌは思わず背筋を正した。


「俺が指名したのは連盟会長だけだったが…まぁ、随分と賑やかなお出迎えなこって」

「オマエの条件を飲むと決めたからな、セネクス。顔合わせも兼ねてだ」

「…へぇ」


 オーバンから視線を横にずらし、セネクスはイヴォンヌを観察するように目を細めた後、じっと見てきた。


「どうも、お嬢ちゃん。お名前は?」

「…イヴォンヌです」

「イヴォンヌか。…ったく、まだこんな若いってのに…」


 オーバンに対する声色とは打って変わって、少し高めに優しくイヴォンヌに名を問いかけてきた後、どこかやるせなさを感じさせてくるセネクスに、イヴォンヌは意外さを覚えた。

 このやりとりをする限りでは、セネクスがオルタスから警戒される理由を見出だせない。


「お前さんら二人、正気か」


 だが途端、ウルラとオーバンに向けるセネクスの声が尖った。


「ええ。イヴォンヌは、自ら志願してここにいるわ」


 だが、その圧をものともせずに答えたのはウルラだった。

 そのウルラの回答を聞いた後、セネクスは椅子の背もたれに深く寄りかかると、足を組んでふーっと身体に溜まった息を吐き出した。


「こんな子供しか志願できねぇほど、今のオルタスは落ちぶれてるのか」

「…そう受け取ってもらっても構わない。だからこそセネクス、オマエの力が必要なんだ」


 連盟会長に向かって煽るような文句をセネクスは言ってきたが、オーバンは動じずにセネクスを真っ直ぐと捉えた。

 セネクスは天井を仰ぎ、「あー…くそ」と鬱々とした気持ちを吐き出した。


「ただ単に借金帳消しして、狂魔との戦いの時にぽっくり逝ってやろうかと思ってたのによぉ」

「…はい?」


 予想だにしてなかったセネクスの腹づもりを聞いて、イヴォンヌから素っ頓狂な声が漏れる。

 そんなイヴォンヌに対して、ウルラがひっそりと後ろから耳朶を打ってきた。


「セネクスは博打狂なの。…オルタスに、莫大な借金をしているわ」

「……」


 まさかの嗜好に、イヴォンヌの目が点になる。

 つまり、セネクスがオーバンに掛け合おうとしている条件は。


「…今まで自分が依存してきたギャンブルの負債をオルタスに背負わせて、人生からとんずらしようとしている…と?」


 イヴォンヌの呟きに、オーバンが珍しく難しそうな顔を浮かべ、セネクスが笑顔を浮かべつつも顔を引き攣らせる。

 そんな様子を見たイヴォンヌは途端に腹の虫が煮えくり返り、バァンと音が出るほど両手を食卓について、顔を真っ赤にさせながら指差した。


「なっんて、無責任な大人なの?!」

「あ、はは…嬢ちゃん、落ち着いて…」

「いい大人のクセに、お金の管理も自分でできないなんて!恥を知りなさい!!」


 ようやくウルラとオーバンがセネクスを問題視する理由を理解できたイヴォンヌが一喝すれば、セネクスはお手上げと言わんばかりに両手をぷらぷらと力なく上げてみせた。


「おーおー…頼もしい嬢ちゃんだねぇ」

「借金を他人に押し付けて自分はぽっくり死のうとか考えてる大人に、未来のことなんか任せられない」

「……」

「師匠、こんなヤツを弟子にする必要ありません!しばらくはあたし一人でじゅうぶ…」

「待った」


 ウルラを振り返り、怒りのままに告げるイヴォンヌを制止したのは、他でもないセネクスだった。


「気が早いな、イヴォンヌ嬢。若いからってのもあるだろうが、最後まで話を聞け」

「……」


 五百を生きてきたという貫禄をみせるような声色に、イヴォンヌの怒りは途端に緊張に様変わりした。

 そんなイヴォンヌを見たセネクスが、喉の奥で笑う。


「気が変わったんだよ。…まあ、借金帳消しの条件は変わらないが」


 そこは変えようよ、とイヴォンヌは内心思ったが、セネクスから感じる圧力のせいで口に出すことは叶わなかった。


「過去に狂魔に太刀打ちできなかっただけでなく、一線を退いてからもう数百年と経つ。…そんな俺がどれだけ戦えるかは分からんがな」

「…やってくれるのか、セネクス」


 オーバンの静かな問いかけに、セネクスは頷いた。


「…もう、若い魔法使いがいなくなっていくのは、見たくないもんでね」


 そう独りごちるように呟いたセネクスに、オーバンは安堵したように「そうか、助かる」と頷いた。

 だがその一方で、冷静さを取り戻したイヴォンヌは首を傾げる。

 そういえば、先程の借金を帳消ししたいという考えでなく、なぜ戦いで自ら死ぬ意思を見せたのだろうと。欲深い人間であるならば、死ぬのではなく、生きて逃げることを選ぶのではないかと。


(…変な人)


 この時のイヴォンヌは、セネクスに対してただそんな印象を持っていた。

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