小鳥の囀りが優しく耳に入り込んできて、微睡んでいた脳を刺激した。
そのお陰で、イヴォンヌは眠りから心地良い目覚めを迎えることができた。
瞼を持ち上げれば、丸くくり抜かれた窓から穏やかな陽射しが目を刺激してきた。
むくりと起き上がると、肩まで掛けていた綿毛布が寝間着から伸びる足元に向かってゆっくりと落ちていった。
昨晩、人生の大きな転換点を迎えるような出来事をこの身で経験したが、不思議と身体も心も軽い。
「ん〜っ…」
思い切り腕と背を伸ばした後、イヴォンヌはベッドの傍に置いていた室内履きを履いて、窓辺に歩み寄った。
自然の木をそのまま活かした壁から香る匂いを深く吸った後、イヴォンヌは窓を開ける。
そうすれば、近くの枝に止まっていただろう小鳥たちが飛び立ち、新鮮な空気が部屋に入ってきた。
「おはよう、せかーいっ!!」
辺り一面に広がる草原と森、そして青空が果てしなく続いているような光景を目にして、イヴォンヌは思わず窓から大声で叫んでいた。
無論、誰からも返事は返ってこない。
だが、非常に気持ちの良い朝を迎えることができた。
イヴォンヌが今いる場所は、ウルラが暮らしているツリーハウスだ。
森の中でも一際目立つ、天まで届きそうな高さがある巨木の洞を自然のまま活かしたこの家は、煉瓦の家でずっと暮らしてきたイヴォンヌにとっては斬新なものであったが、それと同時、この森の国であるシルヴァーナの魔女らしい家でもあるなと思えた。
自分は今、小さい頃から憧れていたシルヴァーナに身を置いている。
昨日着いた時は泣き疲れてそれどころではなかったが、今は胸内が高揚しており、少しでもその高鳴りを抑えるために胸に手を当てる。
ここから、自分の新たな魔法使いとしての生活が始まるんだと。
そう意気込んだところで、イヴォンヌのお腹からくぅ、と空腹の合図を告げる音が鳴った。
そういえば、昨晩は夕飯を食べ損ねていた。
そろそろ食事をしようと思い、部屋着から普段着に着替えて、充てがわれた部屋を出、ぼこぼことした手摺でできた螺旋階段を降りて居間に向かえば、上からウルラがキッチンで食事の準備をしているのが見えたので、イヴォンヌは慌てて駆け下りていった。
「師匠、すみません!」
「おはようイヴォンヌ。よく眠れたかしら」
「はい!…ではなくて!」
弟子入り初日から師匠に朝食の準備をさせるなんて、言語道断だ。イヴォンヌが慌てていると、ウルラは「気にしなくていいのよ」と苦笑いした。
「料理は好きなの。取り上げられちゃうと、拗ねちゃうかも」
そう悪戯っぽく言われてしまえば、イヴォンヌもそれ以上は何も言えなかった。
そうして鍋の中身を覗き見れば、色とりどりの野菜やソーセージが入ったポトフが作られており、食欲を刺激するコンソメの香りがイヴォンヌの鼻腔を刺激した。
「わぁあっ…」
「グラノーラもあるけれど、どっちがいい?」
「ポトフでお願いします!」
ウルラに尋ねられたが、目の前でこんなにもほくほくとした食欲をそそってくるスープを作られては、選択肢は一択しかない。
ウルラはイヴォンヌの反応に微笑むと、肉と野菜をバランス良くよそって、イヴォンヌにスープ皿を手渡してくれた。
「さぁ、いただきましょう」
「はーい!」
二人で食卓につき、明るい朝食の時間が始まった。
***
数刻後、腹が十分に満たされたイヴォンヌは、片付けこそはとウルラに申し出て、食器洗いをしている。
ウルラには魔法で片付けられると言われたが、修行の一貫だと我を通して、ここばかりは譲らなかった。
鼻歌を歌いながら、イヴォンヌは洗剤を泡立てつつ皿を磨いていく。
一方のウルラは、食後のハーブティーを飲みながら読書をしており、ゆったりとした時間を過ごしていた。
数多くの狂魔を処する鴟梟の魔女の穏やかな一面を見ることができたことを意外に思いつつもイヴォンヌが作業をしていると、玄関の外から青白い光が窓を通して目を刺激してきた。
なんだろう、とイヴォンヌが不思議に思ったのも束の間、バーンと勢い良く玄関の扉が開かれた。
「よぅ、ウルラー!様子見に来てやったぞ〜」
朗らかな大声と共に現れたのは、小柄なイヴォンヌが見上げるほどに背の高い、白い獣の耳を生やした獣人だった。
その魅入られそうになるほどの綺麗な耳と髪、そして尻尾から、白狼族の青年だと察する。
そして、その顔は。
(…い、イケメンっ…!)
透き通った空を思わせるような双眸が印象的な、鼻筋の通った美貌の持ち主だった。
イヴォンヌが思わず見惚れている一方で、ウルラは若干嫌そうに目を細めた後、軽く息を吐いた。
「…オーバン。いつも言っているでしょう。ノックくらいしてちょうだい」
「ん?あー。わりぃわりぃ」
反省している様子もなく笑ってみせる白狼族の青年・オーバンに、ウルラは呆れの視線を送ったが、そのオーバンの瞳がイヴォンヌを捉えたかと思うと、彼はきょとんとした表情をしてみせた。
「…お?」
「ん?」
「お…おおぉお?!」
そしてイヴォンヌに近づいてきたかと思うと、彼女の視線に合わせて腰を屈めてきた。
その顔が近くなったことで、イヴォンヌはどきりとする。
「ウルラ、オマエ、ついに…!」
「?」
「弟子をとったのかぁ〜!!」
「わぁっ?!」
感心しただけでなく安堵したような声色とは裏腹、イヴォンヌは力任せに肩をボンボンとオーバンに叩かれてしまい、若干の痛みを覚えた。
「オマエ、名前は?」
「えっと、イヴォンヌです…」
痛みを堪えつつ名乗れば、オーバンは天井を軽く見上げた後、顎に手をやって考え込むような仕草をとった。
「イヴォンヌ…イヴォンヌ…」
「…?」
「そんな魔法使い、オルタスにいたっけか…?」
聞き慣れない単語に、イヴォンヌまでもきょとんとしてしまった。オルタスとは、なんぞやと。
「…オルタスとは、『資格』を持った魔法使いが要務を受けたり、加盟国を自由に行き来するために設立された、魔法使いの連盟よ」
イヴォンヌの疑問を汲み取ったウルラが解説してくれたお陰で、なるほどと得心がいった。
そういえば、自分がまだオリリ村にいた時、両親に「魔法使いの学校には行かないで」と頼まれたことを思い出す。イヴォンヌの場合は金銭的な事情で魔法使い専門の学校に通うことができなかった。
通常であれば、魔法使いはその道の専門である学校に行き、卒業することで正式な魔法使いとして国から資格を与えられる。
そのことはイヴォンヌも知っていたが、どうやら話を聞くに、卒業後はオルタスに所属することが義務付けられているらしい。
「オーバン、彼女は学校に行けなかったから、オルタスの魔法使いではないわ」
「あー。やっぱりかー。俺基本的に人の顔覚えてっからなぁ」
どうやら、このオーバンという男もオルタスに所属している魔法使いのようだ。
しかし、狂魔討伐の功績を残し続けているウルラに気さくに話しかけている彼は、一体何者なのだろう。
「あの、師匠、この人は…」
「無理に覚えなくていいわ。覚えようとしなくても、勝手に頭の中に嫌でも入ってくるから」
「おい、扱いひでぇーな!」
「事実でしょう?」
誰に対しても適切な距離感を保って接しているように見えるウルラが、こうして少々乱暴な物言いになりつつもオーバンに打ち解けている。その態度を見るに、やはりこのオーバンという獣人は只者ではないのだろうなとイヴォンヌが察していると、オーバンが再びイヴォンヌに視線を向けてきた。
「…けどまぁ、確かに、あのウルラが弟子にしたヤツの実力は気にはなるな」
「え?」
そう言うなり、オーバンは左手を右肩に置いて肩慣らしするように腕を回し始めると、それを見たウルラが珍しく焦ったような表情をして立ち上がった。
その瞬間、イヴォンヌの中で嫌な予感が生まれた。
「ちょっと待って、オーバ…」
「どっせーい!!」
その予感がイヴォンヌの中で生まれたのも束の間、イヴォンヌの身は轟音と衝撃、そして白い煙に包まれて、気付けばツリーハウスの外に身を投げ出されていた。
***
数刻後、イヴォンヌはムスッとした顔をしつつ、ツリーハウスの中でウルラから治療を受けていた。
ウルラが辛うじて防御壁を張ってくれたお陰でオーバンの馬鹿力を直に受けずに済んだが、それでもイヴォンヌの様相はボロボロだった。
ツリーハウスの壁には人五人分が優に通れるほどのドデカイ穴が空いてしまっている。
後でウルラが魔法で直すそうだが、それでもこれだけの威力のある攻撃をまともに食らっていたら、即死は免れなかっただろう。
「いやぁ、わりぃわりぃ。まさか身体強化しかまだ使えないとは思わなくてよ」
わはははは、と当の本人は頭を掻きながら謝罪してくるが、反省の色はここを訪れてきた時と同様、やはり見られない。
いくら容姿が整っているからとはいえ、やりすぎにもほどがある。
それはウルラも同じ思いだったのか、彼女はオーバンを体格の合わない食卓の椅子の上で正座させていた。
「昨日弟子入り志願したばかりよ。これまでの話から察して」
「俺がそういうの苦手だって分かってるだろ?」
「得意顔で言わないでちょうだい」
未だ豪快に笑い続けるオーバンに、ウルラが頭を抱えて深い溜息を吐いた。なんとなく、ウルラが彼の来訪を嫌がった理由が分かったし、イヴォンヌも彼のことをお陰様で忘れられなくなってしまった。
「…あの、師匠」
「ん?」
「この人…オーバンさんって、一体何者なんですか」
再度、じっとりと湿り気を帯びた瞳でオーバンを睨みつつイヴォンヌが尋ねれば、ウルラは腕を組んで口を開いてくれた。
「オーバン…彼は、獣人の魔法使い。そして、数多の魔法使いが所属するオルタスの創始者であり、連盟会長よ」
「え」
「そうだぞ〜。俺こう見えて肩書きは立派なんだぞ〜!なははは!」
予想だにしなかったウルラの回答とオーバンの正体に、イヴォンヌの身も思考も固まった。
まさか、だって、そんな。豪快すぎるにも程があるこの獣人が、魔法使い連盟の最高責任者だって、誰が想像できようか。
「ウソだ…」
「世も末よね」
信じられないと言わんばかりにイヴォンヌが呟けば、ウルラが頬に手をやって呆れのポーズを取った。
だが、そんなウルラの言葉に反応したオーバンが、途端神妙な顔つきとなった。
すると、今度はウルラがしまったといったように表情を若干歪ませた。
「世も末、といえば。ウルラ」
「…何かしら」
「まさか、弟子一人で足りると思ってないだろうな」
オーバンの纏う雰囲気が圧のあるものになったことで、自分には向けられていないと分かっているイヴォンヌでさえも緊張し、思わず背筋に力が入った。
ウルラがぐっ、と言葉に詰まったような顔をすれば、オーバンはその肩書きに相応しい鋭く貫くような視線でウルラを捉えていた。
「ウルラ、オマエの余命はあと長く見積もっても五十年だ」
「ええ、そうね…」
「…?」
それの何が問題があるのだろう、とイヴォンヌは内心小首を傾げる。
ウルラの二十代半ばの外見から判断するに、確かに五十年は妥当な数字だろう。
「そして現在、オルタスの狂魔討伐隊のメンバーもたった一人」
「…え?」
オルタスにそのような組織があることが初耳だったが、それよりも、そのたった一人のメンバーがウルラであるということはさすがに気付いた。
そして、イヴォンヌの中で嫌な予想が頭の中で湧いてきた。
「俺だって時間が空けば狂魔を退治するようにはしてるが、さすがに限界だ」
「…そうね」
「このままだと、後世の狂魔討伐隊はイヴォンヌ一人になるぞ」
「?!?!」
予感が的中してしまった。
告げられた絶望的過ぎる未来にイヴォンヌは驚愕するが、それよりも。
「ちょ、ちょっと待ってください。お二人とも」
「ん?」
「色々聞かせてください…。まず、どうして現在の狂魔討伐は師匠だけなんでしょうか?
それに、オルタスがあるのに他の魔法使いの協力が得られないなんて、一体どういう…」
イヴォンヌは頭を抱えながら、不足されている説明の補足を求めれば、言いにくそうに視線を逸らしているウルラに代わって、オーバンが口を開いた。
「対狂魔戦では、魔力量が勝敗を決する。魔族と契約した狂魔に対抗できる魔法使いで明確に魔力量が勝っているのは、現状、オルタスには俺とウルラしかいない」
「…え」
「それと、魔法使いの寿命は平均千年と言われている。けど、ウルラの場合は出自が特殊で、その半分程度しか生きられないんだ」
「え、え?」
「ウルラの年齢は今、450を過ぎている。加えて、狂魔討伐の後進が全く以て育ってない。…つまりだ」
「…近い将来、狂魔討伐者がいなくなるだけでなく、むしろ狂魔が溢れ返ってしまうと…?」
ここまでのオーバンの説明を踏まえてイヴォンヌが顔を引き攣らせながら導き出した結論を言えば、オーバンは眉間に皺を寄せたまま腕を組んで、うんうんと頷いた。
「まあ、命懸けの戦いになるから、オルタスでも嫌がるヤツらしかいねぇんだけどな。…だがもう、背に腹は代えられねぇ状況だ」
「……」
「俺は連盟会長の仕事があるから、狂魔討伐の専門家にはなれねぇ。イヴォンヌが弟子に来てくれたことは幸いだが、早急に実戦と魔力量を上げる修行に取りかかってもらう必要がある」
「は、え…」
「ちなみに、狂魔に勝る魔力量を得るには、むっちゃ急いでやっても百年修行する必要があるな」
「はぁあああ?!」
思っていた以上に深刻な状況を突き付けられてイヴォンヌが素っ頓狂な声を上げた後、勢い良く自分が師事するウルラを振り返れば、彼女は思いっきり視線を背けた。
…状況を整理しよう。
現状、狂魔討伐をしている魔法使いはウルラとオーバンの二人。
オーバンに至っては、オルタスの連盟会長という要職に就いていることから、狂魔討伐に専念することは不可能。
その代わりにウルラが狂魔討伐専門の魔法使いとしてたった一人で動いているが、余命あと五十年ほど。
だが、狂魔に敵うための魔力を貯蓄する修行に少なくとも百年はかかるだけでなく、仮に魔力量で勝っている魔法使いがいたとしても狂魔との戦いは命懸けになるから、誰も立候補する者はおらず。
もし、近い将来ウルラが亡くなることがあれば、その重責を全てイヴォンヌが一人で背負うことになる。
「…師匠」
「……」
「さすがに危機感を持つべきではないでしょうか?!」
弟子にしたばかりのイヴォンヌに諭されて、さすがのウルラもぐうの音が出ないようだった。
「優雅にハーブティー飲んでるヒマないじゃないですか!」
「あ、あははは…でも、息抜きは必要でしょう?」
「オマエ、そうやって何度も問題を先延ばしにしてきただろ」
さすがにもう正座から足を崩したオーバンが呆れた表情で頬杖をつきつつ指摘すれば、ウルラももう何も言えないようだった。
そんなウルラを見つつ、オーバンは空いた手で指を鳴らせば、食卓にドシンと、山になった書類が鎮座した。
「オーバン、それは…」
「オルタスに所属する、五百年以上は生きている実力ある魔法使いたちの情報だ」
「……」
「ウルラ、今からオマエには、この中から討伐隊のメンバーを見繕ってもらう。そいつらには、俺の権限でオマエに弟子入りさせる」
「…今から?」
「当たり前だろ。もう時間がねーんだ。その書類に召喚魔法を施してるから、気になったヤツがいたら面談しろ」
ウルラは億劫そうな顔を浮かべると、書類をそれぞれの手に取って見比べて、溜め息を吐いた。
「…嫌がる人を無理矢理連れて行くのは、わたしのポリシーに反するのだけれど」
「言ってる場合か。これは連盟会長としての命令だ。今日は休み返上して、弟子を探してもらうぞ」
そう身を乗り出して指をさしてくるオーバンにウルラは閉口するが、オーバンの隣に立ったイヴォンヌが腰に手を当てて、「師匠」とはっきりとした口調で告げる。
「あたしは師匠ではないので、たった一人で狂魔を退治するのは無理です」
「…イヴォンヌ」
「自分の実力は、自分が一番分かってますから」
昨晩、狂魔の襲撃に遭った時、イヴォンヌは手も足も出なかった。
これから修行していくとはいえ、果てしなく掛かりそうな時間を考えると、魔法の先達者がいないと厳しい状況であるということは、誰よりも痛感していた。
「だから、あたしのためにも…ううん、未来のことをしっかり考えて、あたし以外にも弟子を作ってください」
そう真っ直ぐに思いを伝えれば、ウルラは虚を突かれたのか、しばし瞳を丸くした後、観念したように息を吐いた。
「…わかったわ。こればかりは、ずっと後回しにしてきたわたしの責任でもあるから」
そう答えてウルラは席に着き、書類を一枚一枚確認していった。
そんなウルラの様子を見たオーバンが、感心したようにイヴォンヌを見上げた。
「やるじゃねーか」
そう言ってにかっと歯を見せて拳を突き出してくるオーバンを見てイヴォンヌは一瞬意図を図りかねたが、やがて合点がいくと、イヴォンヌはその拳に自らの拳をこつんと当てた。
「…意気投合したところで悪いけれど」
そんな二人の様子を一瞥したウルラが、目を通した書類を二つに分けつつ、二人に話しかけてきた。
「今日はこの後、イヴォンヌの道具を揃えようとケントラムのバザールやお店に行く予定だったの」
「なんだ、そうだったのか」
「ええ。でも、そんな楽しみも取り上げられてしまったのだから、あなたが責任をもってその娘の道具を見繕ってちょうだい」
じっとりとした目で嫌味を交えつつオーバンを見遣るウルラを見た彼は、面白おかしそうに笑い飛ばしてみせた。
「おいおい、俺は連盟会長だぞ。こう見えて忙しいんだからな」
「どうせいつもの『計画的休憩』って言葉を使ってサボっているくせに」
「なはは、よくご存知で」
「わたしに弟子をせっつくんだから、代わりにそれくらいはしてよね」
「あいよ、わかったわかった」
オーバンはやれやれと呟いた後、今度は優しくイヴォンヌの肩を叩いてきた。
「それじゃイヴォンヌ、行くか」
「え?」
「ケントラムの中心街に」
どうやら、今日はオーバンと一緒に出かけることになるらしい。
オルタスの連盟会長ともあろう方と、まだ末端の魔法使いである自分が一緒に出かけても良いのだろうかと迷っていると、ウルラが「遠慮する必要はないわ」と告げてきた。
「一度殴り飛ばされてるんだもの。たかってやりなさい」
そういえばそうだった。
今日の情報量が多かったせいで薄れていたが、自分、この人に何の前触れもなくぶっ飛ばされたんだということを思い出すと、なぜだか遠慮は要らない気がしてきた。
「一番高い魔法具買ってもらいます!」
「おいおい、ホントに容赦ねーなオマエら」
オーバンは苦笑いしつつも、さすがに先ほどイヴォンヌに行ったことはまずかったとは思っているようなので、特段文句は言わなかった。
「それじゃ行こうぜ、イヴォンヌ」
「はい!」
オーバンに促されてイヴォンヌが返事をし、玄関の外に出ようとしたところで、「そういえば」とウルラが振り返ってきた。
「ラウロは上手くやってる?」
(…ラウロ?)
ウルラの口から発せられた聞き慣れない名前に誰のことだろうとイヴォンヌが首を傾げていると、オーバンは左上を見遣った後、頬をポリポリと指で掻いた。
「んー…正直、馴染んではいねぇが、時間が解決してくれるはずだぜ」
「…そう。彼の力を借りることができれば、狂魔討伐の未来も少しは明るくなるのだけれど」
「オイオイ、ラウロはまだ子供だぜ?」
「それを言うならイヴォンヌの方がまだ若いわよ」
「まあ、それはそうだが…」
二人が何やら話し込んでいるが、おそらく自分には関係のないことだろうと思ったイヴォンヌは、今から向かうだろう初めての土地に、どのような輝かしい魔法具が取り揃えられているのだろうかということに思いを馳せた。
後に、二人が話題に上げているラウロという少年が、自分の人生に大きく関わってくるとは知らずに。