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12 心の影と彼の本質

 何が何だか。とでもいったおもてでテオファネスは首をかしげた。

 アルマは直ぐに話の続きを促すが、彼は首を横に振るう。


「何か、アルマさん急激に顔色が悪くなったから……」

「ああ、ええ。私たちエーデルヴァイスって人の心を蝕む影が見えるんです……だからこその赦しの力と……聞いてないですか?」


 テオファネスは唖然とした表情で頷いた。


「凄いね……そんなもん見えるんだ」


 ──でも、そこまで怯えた顔をするって、俺の影ってそんなに怖いの? と、続け様にかれて、アルマを間を開けて頷く。テオファネスはやれやれと首を振った。


「じゃあ、なるべく出さないように頑張る」

「え、それだと本末転倒です……」


 思ったままを言うが、彼は直ぐに苦笑いを溢した。


「多分、俺にビンタした時もソレが見えたんでしょ? アルマさんが何かを必死に払おうとしてたのは何となく覚えてる。多分〝影〟って事は人の弱い部分で間違いないでしょ?」


 確かに、弱い部分に違いなかろう。

 アルマは考えつつも頷くと、テオファネスは僅かに頬を赤く染め「気を付ける……」と恥ずかしそうに口にした。


「でもそれじゃダメです。だって、貴方の不眠の改善も院長から言い渡された仕事ですし。改善の為には根本の影と対峙しなくてはダメです。それを払うのが私の役目に違いなく……できるだけ詳しく話を聞き……」


 説得するように言うが、彼は顔を赤く染めたまま額に手を当てふるふると首を横に振った。


「だって、それで明らかな年下の女の子を怯えさせるとか、どう考えても最低じゃん。軍人云々じゃなくて〝男なら強くあれ〟ってきっと万国共通だろ? それにさ……会って一日だよ。弱い部分曝け出すとか恥ずかしいでしょ。俺だって流石に何から何まで話せる訳でもないし」


 ──さすがに勇気が要る。と、彼はアルマをいちべつすると、深く息をつく。


 確かにそれもそうだろう。初日から何から何までけたものでない。信頼関係を築くには時間が必要に違いない。

 それでも、まさか当人に気遣われると思うまい。アルマは自分の情けなさを心の中で呪った。


 だが、これまでの会話で一つだけ把握した事がある。

 間違いなく、戦争自体が彼に凶暴な影を背負わせたに違いない。


 憎悪に怒り感情、途方もない喪失感。アルマに想像出来たのはこの程度だが、きっとこれ以外にも様々な感情が交ざっているに違いない。そうしてできあがったののが、あの凶悪な影だ。


「とりあえず、アルマさん……」


 アルマは静かに切り出したテオファネスを見上げた。少し落ち着いたのだろう、頬の赤らみは薄れつつあった。


「部屋から出るなとかアルマさんの提示した約束は全部従うよ。カサンドラ准士官のおせっかいとはいえ、あの人が俺の事を気に掛けてここにやって来た事も分かってる。だけど君に一つ俺から頼みがあるけど……」


 そう切り出して一拍後──「その敬語、俺に使わなくて良いよ」と言って彼はやんわりと微笑む。


「……え?」


 アルマが目をしばたたくと、テオファネスは吊り上がった目を細めて微かに笑む。


「だって、俺にビンタした時にアルマさん完全に素が出てただろ? いいよあれで。そっちの方が俺も少しは気が楽だし」


 彼は軽い笑いを溢しつつ言うが、アルマは途端に胸がズキンと痛んだ。


 ──最低、触らないで、この人でなし! 頭に巡ったのはつい数時間前に己が放った言葉だ。


「最低」は未だ良い。しかし「人でなし」は……。


 いくら何でも、あれは酷い言葉だったように思う。まして、国も人権も奪われただの知ってしまうと……間違いなく傷付けたに違わない。


 早々にあれは謝るべきだ。しかし、切り出し方に惑ってしまった。彼はこうも笑っているが、本当は酷く傷付いていたら……。

 そう思うと、酷い罪悪感に押し潰されて、言葉なんて出てこない。そうこうしている間に、彼が口を開く方が早かった。


「あとさ。俺を呼ぶのテオで良いよ」

「へ?」


 途端に言われた言葉に理解が追いつけない。アルマが複雑なおもてで目をしばたたくと、彼は少し気まずそうに頬を掻き視線をらす。


「言語が同じでも、シュタール人の方が正しい発音ができるみたいなんだ。気を悪くしないで欲しいけど、耳が慣れないのかベルシュタイン人の〝ファネス〟発音に少し違うから」

「え、えぇ……確かにベルシュタインとシュタール少し発音に違いが」


 しかし、まさか略称で良いとは……。

 相手は三つも年上の男性だ。兵士云々の下りは納得したものの、男性は敬うものに違わない。それが当たり前のように根付いているので、さすがに抵抗を感じてしまう。


「じゃあ、私の事も敬称は付けずにアルマと呼んでくれれば……善処します」


 そう提案すると、彼はどこかどこか儚い優しい笑みをほんのりと浮かべた。


「分かったよアルマ。そうさせて貰う」


 しかし、こうも真っ向から優しく言われるのは居心地が悪い。

 自分が吐いた残酷な言葉がぐるぐると腹の底を這いずり回る心地さえもした。


 だが、どうにも謝罪は上手く切り出せなかった。その後アルマは「まだやる事があるから」と適当な理由をつけて、トレーを持つなり彼の部屋を去った。

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