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14 幼き天使と二人の問題児

 それから二日後──六月二十二日。

 アルマは、新参の孤児……と見せかけたテオファネスの担当者になってから寝坊もせずに、朝の礼拝に来るようになった。


 礼拝を済ませ、朝食を取り、洗濯を集めた後にテオファネスに食事を運びに行く事がルーティンになりつつある。

 丁度洗濯を集めた頃に孤児達も礼拝堂に行く時間なので、都合が良かった。


「あんた今のところ、起こしに行く前に起きてるし、良い傾向じゃない?」


 そんな風にアデリナに揶揄からかわれつつ、庭に洗濯を干しに行く最中だった。男児の罵声が聞こえて二人はピタリと立ち止まる。


 声がした方は、孤児院から礼拝堂へと伸びる通路だった。視線を向ければ、蔓薔薇のアーチの中に焦げ茶髪の男児二人に囲われたエーファの姿があった。


 この二人の男児──レオンとロルフは双子だ。現在十二歳と、エーファと同じ歳である。


 酒乱で盗人の父親に育てられた……と、とんでもない家庭環境で育った影響か、やや乱暴な気質で問題が多く。この孤児院ではまさにガキ大将の二人。結局、父親がお縄にかかった事で親族によりこの孤児院に入れられたのは戦争が始まる少し前。エーファが孤児院に入ったのと同時期らしい。


 アルマも何度か正装のポケットの中にカエルを入れられた他、足を引っかけられるなどの悪戯をされた事があるが、きつく叱責すれば逃げて行く事が殆どだ。

 それでも、度合いの酷さを理解すれば存外素直に謝る事もある。所謂、とてつもなく生意気な男児には変わりないが……。


「ねーねー、無視すんなよブス。お前さぁ、口もきけないのかよ? ぶつかっといて謝りも出来ないわけ?」


「本当ぉ、何様なの? お前さぁ、エーデルヴァイスになったとはいえ、同じ時期に孤児院に居たよしみじゃん。謝れば許してやるのに、俺らと仲良くする気もねぇの?」


 ぐいぐいと詰め寄り、一人はエーファの装束の胸ぐらを掴み、拳を振り上げる。しかしエーファは無表情のまま。まばたき一つもせずに男児をジッと見つめていた。


「ちょ、ちょっと流石にマズイでしょ……」


 青くなったアデリナが駆け出そうとするより前に、アルマは全力で走り出す。


「──何やってるのよ馬鹿!」


 甲高い罵声を上げて詰め寄れば、片割れはエーファの胸ぐらを離して、そばかすだらけの顔をこちらに向けた。

 そばかすだらけの方──レオンだ。もう一人のロルフは直ぐさまその場から逃げ出そうとする。


「──アデリナ! ロルフの方捕まえて!」


 何としてでも! と続けて叫ぶなり、アデリナは返事もせずに、逃げ去ったロルフを追い掛ける。

 逃げ遅れたレオンは簡単に捕らえられた。レオンの細い腕を掴み、顔を覗き込むなりにアルマは唇を拉げる。


「あんた、女の子に何て事をしようとしたのよ!」


「うるせぇアルマ! そもそもエーファがぶつかって謝りもしねぇのがいけないだろ!」


「それだけで暴力を振るって良いともで思うの!」


「殴るフリをしてびびらせたかっただけだよ! だけど、それでも頭こいつ、おかしいだろ!」


 ──喋りもしない。表情も変わらない。気持ち悪いんだよ! と、エーファに向かってレオンは吐き捨てるが、彼女の表情は微塵も変わらない。


 しかし一拍後──「そうかもしれない」と鈴と鳴るような愛らしい声が響く。


 間違いなく今エーファは喋った。

 喋った事に驚いて、アルマはレオンの手を離してしまった。途端に彼は逃げ出すが、あまりに呆気に取られてしまいアルマは彼を追うの忘れてしまう。


「ごめんなさい……」


 ただ一言だけそう告げて、エーファはスタスタと歩んでいってしまった。


 なぜに謝罪の言葉なのだろう。どうして謝ったのか。追い掛けて理由もける筈だが、先程に急発進で走った所為か、どうにも足が動かない。立ち尽くしたアルマはエーファの後ろ姿を呆然と眺め続けた。


 それから幾何か。ぜいぜいと息を切らしたアデリナが戻ってきたが、ロルフに追いつけなかったとの事。礼拝堂の中にも居なかったので、恐らく朝の礼拝も行かないだろうとの事で……。


 だが、どちらにせよ昼食時には戻ってくる筈だ。この件は院長に報告し、罰でも与えて貰わねばならない。そうして二人は院長室で報告に行った後、アルマは朝食の残りをたんまり用意して、テオファネスの部屋へと向かった。


 三階に着き部屋の扉をこうして、間もなくテオファネスが顔を出す。しかし、彼はアルマの顔を見るなりにきょとんとした表情で首をかしげる。


「アルマ……なんか朝から疲れてないか?」


「遅れてごめんなさい、ちょっと色々あったの」


「それは構わないが、何があったんだ?」


「孤児院にはとんでもない問題児が居るもんでね」


 ため息交じりに言うと、テオファネスは眉をひそめつつも、中に入るように促した。


「エーデルヴァイス最年少の子に暴力を振るおうとした男の子がいてね。〝殴るフリをするだけだった〟って言ってたけど。それって脅しに違いないでしょ。それも男の子二人でよ?」


 言葉にするなり、テオファネスは唇を拉るが、何か思い当たったようで、片方の眉を上げる。


「……気を引きたいから意地悪するんじゃないのか?」


 思いも寄らぬ言葉である。アルマは眉をひそめると「いやそれでも……」と、彼はおとがいに手を当てて眉を寄せた。


「フリだとしても最悪だな。一回怖い目でも合わせないと、こういうの分からなそうだよな」


 こんな見てくれな彼が言うと妙に物騒に聞こえてしまう。

 だが、その顔はどこか懐かしげに何かを見ているように映ってしまうもので……。


「何か身に覚えでもあるの? 女の子に意地悪でもした経験でもあったの?」


 サラリとけば、彼は「ないない」と即座に首を横に振るう。


「妹が二人居たもんで。何度かそういう場面を見てきただけ。生きていれば、十八と十五になる」


 妹が居たとは初耳だ。しかし、という部分がやけに耳に残る。

 気にはなるが、未だこれは聞くべきではないと思い正し、アルマは喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。


「……と、それより冷めちゃう前に食べて」


 仕切り直すように言って、テーブルにトレーを置けば、先に座った彼はアルマに隣に掛けるように促した。


「何だかテオ、思ったよりも調子が良さそうね」


 初めこそは、いかなものかと思ったが、二日でこの呼び方は慣れてしまった。それだけ彼が気さくで馴染みやすい人柄なのだろうか。

 否、見かけに反して存外気弱という部分もあるからだろうか。不思議に思いつつも彼に笑むと、テオファネスも口元を綻ばせながら頷いた。


「うん。夜中に何度か起きる事もあるけど、今までが嘘みたいに寝れるようにはなった。アルマの淹れたお茶とか寝る前に用意してくれる良い匂いのお陰かも知れない」


 ありがとう。と、穏やかに言って、彼は食前の祈りを捧げ始めた。


 ──アルギュロス最悪の兵器というが、彼は人と変わらない。意思疎通も出来て、素直に指示に従い、この二日間で困った事は特にない。エーファやあの問題児二人に比べれば、全く手もかからない。初日に見たあの凶暴な影が薄まり、やがて消え去れば良いが……。


 食事を始めた彼を横目に見つつ、アルマはほぅと息をついた。

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