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13 もう一つの憂慮と無関心の決意

 ──六月二十日、晴れ。


 怒濤の一日目。不眠と聞いていたけれど、移動に疲れたのか二十一時には眠そうにしていた。

 就寝前のカモマイルのお茶に、失意を薄めるスイートチェスナット。恐怖心を鎮めるロックローズと安らぎを与えるアスペン。これら花のレメディーをそれぞれ一滴ずつ処方。ラベンダーの精油を焚き、この近隣の事についてなど他愛も無い話をした。その数分後、就寝を確認。


 ……私が怯えた所為もあるだろう。影を見せないようにすると言われたので、当分は赦しの力は使えそうに無い気がする。


 けれど、何も赦しの力を使わずとも、緩やかな治癒で不眠や心のほつれの改善される事もある。これで影が少しでも薄まる事を祈る他無い。

 思いの外、彼は人間的。こちらの話をきちんと聞いてくれるので、扱いにくくは無さそうだ。

 だからこそ〝人でなし〟と言ってしまった事はちゃんと謝るべきだろう。自分の中で言葉が纏まって、少し時間が経過してから切り出してみようと思う。


 ---


 やりとりの中で聞いた亡国スピラスの事。機甲マキナになった経緯などを細かく綴った後、アルマはそっとノートを閉じて、一つ息をつく。壁にかけた時計の針を見れば、消灯時間二十三時の十五分前を示している。


 ────まともに対峙出来るのは自分だけ。 


 今朝から今までをはんすうしつつ、アルマは部屋のカーテンを開いて窓辺に頬杖をつく。少し窓を開けると、冷ややかな夜風が舞い込むが、初夏らしい濃い緑がたっぷりと含まれており心地が良く思えた。


 しかし、夕方礼拝は本当に大騒ぎになった。それを思い返せば、ドッと疲れが押し寄せるもので、アルマは目を細める。


 子供たちを散歩に連れて行く際に、アデリナとゲルダ、それからエーファに軽く話をしたが、院長がテオファネスが機甲マキナである事や、孤児として迎え入れた理由を語った時の皆の顔の青さといえば、本当に酷いものだった。


 初めこそ自分だって同じような反応をしたが、それ以上だった。


 特に十四・五歳のカトリナ・イリーネ・ユリアの三人娘のどよめきは騒々しく、穏やかな院長が強く叱責した程だった。 


 ──本当に大丈夫なのか。いくら力の強いアルマでも危険ではないか。心底心配そうな表情を貼り付けてゲルダとアデリナは院長に問いただしたが、これにおいてはアルマから大丈夫だと答えた。


 機甲マキナの特性を見せられやしたが、存外気弱。その上、人間的で心を少しばかり患わせている。初日見た限りでは、彼が暴走はゆうだろうと思えた。


 それでも、万が一が起きてしまえば、誰の手にも負えない。

 だからこそ、無干渉でいて刺激を与えないで欲しいと「私の為にも」と、アルマは皆にそう告げた。それで皆納得した様子だったが、アデリナとゲルダだけはやはり心配そうな視線をアルマに送っていた。


 一つも不安が無いと言えば嘘になるが、口に出した所で何も変わらない。きっと、なるようにしかならないだろう。ならばいっそ、前向きに考えて彼の心を健常にすべきと考え、このようにノートを付け始めたのである。


 ……とはいえ、あまりマメな気質ではない。いつまで続けられるかも分からぬが、それでも経過観察できれば良いと思っただけである。


 しかし、テオファネスの問題よりも、アルマの中ではエーファの事が引っかかっていた。


 彼女だけは騒々しさの中で終始表情一つも変えず、人形のようにジッとしていたからだ。

 エーファは一ヶ月も経たぬ前、エーデルヴァイスになったので、当然のように孤児時代を長く知っている。既にその時から、話しかけても無反応なので、彼女に意見を聞く事も必要以上に話しかけるのも止めた。


 しかし、十二歳だ。話が分からぬ訳でないだろう。表情も崩さず、言葉も出さず……異質としか形容しようもない。

 誰かしらとその話を幾度かしたが、彼女は〝そういうもの〟だと思い完結している。まして、エーデルヴァイスの中で最も長くエーファを知るゲルダにおいても、彼女の事はさして知らないとの事だ。それでも以前はここまで酷くなかったらしい。


 今更のように思うが、こうも感情が乏しいと精神状態が心配になる。だが、彼女から影なんて微塵も見えないので、あれが彼女にとって尋常であり健常とうかがえる。


 ────正直、新参の孤児の方が意思疎通ができるから未だマシな気もしてきた。


 アルマは深いため息をつき、細めていた目を伏せた。


 思えば、今日は目を合わせただけでエーファはゲルダの陰に隠れてしまった。

 きっと怖がられているのだろうと容易く想像出来る。でもなぜか。そんなものは分からない。持つ力の強さしか浮かばないが、そんなもんは滅多な事で出したりしない。

 果たして、怯える程に自分は恐ろしいだろうか……。


 アルマは瞑目したままムッと眉を寄せる。

 同僚だ。出来れば誰しもと仲睦まじい関係でいた方が良いに決まっている。

 しかし、人である以上、価値観の違いから思考のズレも生じるものだ。きっと、誰もが誰も仲良くする必要なんて無い。そう言い聞かせて、アルマは吐息を吐きながら瞼を持ち上げる。


 ────そうだよね。自分よりずっと年下の子にカリカリしたって仕方ないでしょうし。 


 苛立つ自分を宥めるよう「なるべくあの子には無関心でいよう」と、独りごちて。アルマは窓を閉めた。

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