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8 厳重注意と老婆心故の忠告

 そうして廊下を出る事しばらく。彼の部屋から遠ざかりバルコニーに着くと、彼女は手すりに肘を置き、やれやれと首を振るう。


「アルマさんだっけ、悪かったよ。不快な思いをさせたね。軍の命令に背いて、あの子を隠蔽して生かしておきたいだの、私の勝手な思いが、他者を不快にさせたのは頭も上がらないよ。あれだけ釘を刺せば人間的な行動をするだろう。だが、この件は君の意見を尊重しようとは思う」


 要約すれば、自分に生かす権利も殺す権利もあるのだと。その判断を委ねると……。アルマの顔は一瞬にして強ばった。


 ……そんなの本当に勝手だ。


 完全に自分は巻き込まれているだけ。

 超常力が最も強い火曜の天使と称されようがだ。そんな小娘一人に生死の判断を委ねるなど身勝手極まりなく腑に落ちない。


「会ったばかりの人の死を委ねるなんて随分と勝手ですね」


 一呼吸置き、アルマは思ったままを告げる。それをしかと聞いたのだろう。カサンドラは切れ長の瞳を丸くするが直ぐにはつらつとした笑い声を溢した。


「君、言いたい事をはっきり言えて良い子だね。気に入ったよ」


 相手は軍人だ。きっと無礼だと怒鳴られると思ったが、まさかそこを褒められるとは思いもしなかった。

 アルマは眉をひそめて、柵にもたれかかるカサンドラを射貫く。


「まぁ、これは本当に自分勝手な願いなんだ。あの子が心からそれを望んでいるか知らないが、私は惨めなあの子にただ生きて欲しいと思った。機甲マキナは随分と非人道的な作られ方をしている。現在、戦線最前を歩む機甲はしよう軍人が自ら望んでその姿を選ぶ事が殆どだ。だが、あの子は機甲の製法が確立される前の試作段階の成功者。贄のようにあの身となった、数少ない成功例らしい。あぁなる前はごく普通の少年さ」


 あまりに惨め過ぎる。だから、院長に匿って欲しいと無理を言った。この修道院ならば、あの子の心を救えるかも知れないと思ってね。

 ……カサンドラは続けてそんな言葉を語った。


 あの子──と、テオファネスを示す言葉は、先程の冷ややかな叱責が嘘のように優しかった。そしてその切れ長の瞳も温かで。


 そう、まるで愛おしい弟でも見るような目だ……。


 自分にも弟が居るので、ひと目見ただけでなんとなくそう見えてしまう。そんな優しい眼差しのまま、彼女は青々とした初夏の空を見上げて深い息をつく。


「他に頼る方法が見当たらなかったんだ。しかし、随分前にこの旨の手紙を送付したが……院長もなかなか切り出せず、今日の今日君に言ったらしいね。まぁ事実、大人の事情に一番のとばっちりを受けてるのは君に違わない」


 申し訳無い。と、カサンドラは吐息交じりに言って、胸に手を当て、見とれる程に綺麗な礼をした。


「卑怯かも知れないが……判断を君に委ねるしか無い」


 ややあって顔を上げたカサンドラは小さく言う。


「……言いたい事は分かりました。でも、軍人さんってずるいですね。私が断れば彼を処分するのでしょう。そんな内情まで説得するみたいに聞かされて、結局は私の意思に左右させる。酷すぎですよ。寝覚めの悪い結果になる事が分かれば、断れる筈が無いじゃないですか」


 きっと本音で言っても怒られやしないだろうと思った。なので、はっきりと言ってやればカサンドラは今一度詫びを入れた。


「本当に君はさっぱりしていて良い子だね。自分の部下に欲しい程だよ」


 軍隊なんて入る気も無ければ、国籍だって変える気も無い。「嫌です」と、きっぱり言えば、彼女ははつらつとした笑い声を上げた。


「君が引き受けてくれるのであれば、必ずその分の報酬を渡す。金に使い道が無いもんで、一生の安泰を約束するくらいに渡せるよ」


 それでどうだい? と聞かれて、アルマは目を細めた。


「……お金なんて別にどうでも良いです。でも、そこまで申し出るなら、貰えるものはしっかり貰いますよ。私、ただの羊飼いの生まれですから。腐食したの柵を新調する費用や毛刈りの季節に人を雇って、手間を減らすだの親孝行もできそうですし」


 きっぱりと言うと、カサンドラは「益々気に入ったよ」とクスクスと笑みを溢した。


「まぁ、休暇や十二月のホリデーくらいは様子を見に来るよ。幸いにも現在シュタール北西の軍事開発研究所にいるもんでな。ここからは車で半日程だ。そうそう……」


 そう言いつつ彼女は胸のポケットからペンとメモ用紙を取り出すと何か綴り始めた。


「困った事があれば、この住所……カサンドラ・アンガミュラー宛に手紙を送ると良い。差出人はザフィーア修道院で構わんよ。名は書かずとも良い。私がこの修道院に寄付を行っているのは知ってるからね。怪しまれる事は無い。幸いにも山脈近辺は戦場になっていないから、恐らく三日もすれば手紙が届くだろう」


 ビリ……と、メモ用紙を破ると、カサンドラそれをアルマに手渡した。渋々といった調子でアルマはそれを受け取り、彼女を見上げて頷く。


「で……一応テオファネスの事だが」


 まだ何かあるのか。アルマは再び目を細めると、「そう身構えるな」と、カサンドラは少し戯けた調子で切り出した。


「あの子を用心するに越した事はない。浸食を受けていようがに変わりないからな」


 どういう事か……。

 意図を理解出来ず目をしばたたくと、カサンドラは大きなため息をついた後、短い後ろ髪を掻き分ける。


と言えば分かるかい?」


 ……つまり力を奪う事が出来る。

 それが安直に結び付き、アルマは頬を赤くする。


「あの子は頭も身体も現行型と比較すれば浸食率が低い。そういった部分は何ら人と変わらない。礼拝堂に走って行く君を見て〝太陽みたい〟なんてぼやいてたもんでな。君のようなれんおなに慣れてないから、惹かれかねないと思っただけさ。まぁ、あの性格だ。押しが強いとは考えられん。要らん心配かもしれんが、それでも男だ」


 老婆心故の忠告と言って、カサンドラは綺麗に笑むが、アルマは目を細める。


 ……太陽みたい。あのぶっきらぼうそうな顔でそんなたとえをしたとは滑稽に思える。しかし、なんとなくくすぐったく思えてしまう。


 自分はガサツらしい。見た目なんて普通も普通。エーデルヴァイスの装束を纏っていなければ、パッとしない田舎娘に違いない。そんな言葉は全くもって無縁のように思う。


 しかしれんと──その言葉で直ぐに結び付いたのは隣部屋の同僚アデリナだ。


 〝孤児の初恋泥棒〟なんて呼ばれるアデリナを見てしまえばきっと彼はイチコロになってしまうのではと慄いた。

 いやはや、これは風紀を乱しかねない。


 だめだ、そんなのは良くない。子供が淡い恋心を抱くとは違う。相手は大人の男だ。それも、凶暴な影を飼い「裏切ったら純潔を奪って良いか?」なんて縋り付くように脅す程。最悪としか言いようもない。


 絶対にアデリナには会わせたくない。否……出来ればエーデルヴァイス全員に会わせたくない。


 半身が人間ではなくなりつつあるとはいえ、あの整った容姿だ。そんな彼の姿をはんすうしていればふと、アルマの頭の中に──夢の中で乙女を襲う夢魔が過った。


 いくら哀れな背景を持つとは言え、本来はとんでもなく爛れた人だった可能性も無きにしも非ず。不潔だ。と、途方もない妄想が広がり、アルマは顔を赤くしてプルプルと震え上がる。


「絶対、良くない……」


 ぽつりと独りごちるが、今度は聞いていなかったのだろう。どうした。と、言わんばかりにカサンドラはアルマの方を向き「悪いけど頼んだよ」と穏やかに言うだけだった。

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