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6 その心〝人でなし〟

 ──自然治癒は、花の力を陽光によって水に転写したレメディーを用いる事。それから、薬草から抽出した精油やハーブチンキを用いた安眠療法など。


 レメディーとは偽薬だ。

 所謂プラセボ効果……。

 言わぬ方が効果があるので、この部分においては一切語らぬようにアルマは一生懸命に言葉を選ぶ。


 療養所時代の名残か、これらはエーデルヴァイスになった時点で叩き込まれるので心得はある。それでもあまり覚えが良い方でないので細やかに覚えていない。ここは自分でも調べつつ……分からぬ事は院長に相談すれば良い。

 また、赦しの力による干渉で心の影の解放などについても少しばかり話をした。


 しかし、ストレス障害の疑いあり。と書かれていたものの、見るからに彼は健常に見えた。何せこうも人に気遣う事も出来るからだ。本当に精神が壊れていたのであれば、人に気遣う事もできないだろう。


 程度を知り、アルマは心底安堵する。このくらいであれば、自分でもどうにか対応できるだろうと思えたからだ。

 そうして一通り話し終えて、テオファネスの方を向くが、彼は置物のように表情も変えずに、テーブルの薬草辞典を眺めていた。


「……と、不眠などは、こんな療法になると思いますけど、何か質問はあります?」


 全体的にさんくさいといえばさんくさいだろう。

 特に花のレメディーにおいては、エーデルヴァイスになったばかりの頃は「そんな馬鹿な」と思った程だ。

 だがこれで、子供のかんしやくが落ち着くので事実効果はあるに違わない。

 しかし、彼は何も答えず薬草辞典を呆然と見つめたままだった。


「テオファネスさん?」


 流石にいかなものかと声をかけると、ようやく彼はアルマに視線を向ける。


「……ねぇ。一応、カサンドラ准士官からエーデルヴァイスの事って聞いたけど。本当にそれで俺は本当に救われるの。人間に戻れるの?」


 ……君の力って本物なの。と、静かにかれてアルマは深く息をつく。


 確かに、赦しの力と言われたって信じぬ者からしたらそうだろう。そう、気の持ちような部分もある。


 だが、人間に戻れるか。と、いう部分においてはお門違いだ。

 機械に浸食された身体を人に戻せるかなんて、それは間違いなく自分たちにできる所業ではない。


「……とりあえず信じて下さい。信じぬ事には救われません。こんなでも私、霊峰の天使に選ばれたのです。症状が出ている時や深い嘆きや苦しみを表に出さぬ限りは力を使えませんけど、必ずしも痛みや苦しみから解放します」


 〝困った時に言え〟と教わった言葉だ。

 時折、懺悔に来る人の中にはこの力を信じぬ者もいる。しかし、これを断言してしまえば大抵は引き下がるものだ。


 納得してくれただろうか? アルマは一つ息をついたと同時──彼はズッとアルマに詰め寄り、覗き込むように視線を合わせてきた。

 その表情の変化にアルマはギョッとしてしまった。彼は、今にも泣きそうな笑みを浮かべていたからだ。


 テオファネスの目を見入って直ぐ、途端にゾクリと背筋に嫌な悪寒がした。


 そう、が見えてしまったからだ。


 彼の瞳の奥には途方も無い程の影が蠢いている。スゥと、背後から黒煙のようなものが上り、それは幾つもの手の形を作り、彼の首筋に絡まり始めた。


 これこそが人の持つ痛みや苦しみ恐怖の正体。

 そして自分たち、霊峰の天使に選ばれた乙女だけが見える〝人の心の影〟だ。


 ……一見、健常にしか見えなかったが、これは確かにかなり拗らせている。


 否、今まで見たものとは凶悪さの桁が違う。懺悔に来る人だの孤児院に来たばかりの相当なワケアリの子供など、こんなものはとっくに見慣れてしまっているので、そうそう畏怖は抱かないが、初めて怖いと思ってしまった。


 ましてや、その手の一つが自分の方へと伸びてくるのだから……。


「やめ……」


 アルマは自分に伸びる影を手で払おうとするが、その途端──本物の彼の手に手首は掴まれてしまった。


「……それ本当に信じていいの? その言葉を裏切ったりしない? 俺さ、君らがだって事くらいしか知らないんだけど」


 エーデルヴァイスは

 まさかそこを言われると思いもしなかった。アルマは震えたまま目を丸くみはる。


「本当にそうなの? それでさんくさい力が使えるならさ、万が一俺を救えず、今の言葉を裏切った時に?」


 ねぇ。と今にも泣きそうな顔を近付けて薄ら笑い。しかし、その声は妙に艶やかだった。

 目は全く笑っていない。

 まるで、人がまるっきり変わってしまったかのように見えてしまう。


 ───怖い!


 アルマが一際大きく震え上がった時、影の手が頬を撫で、首筋を伝いデコルテに届く。その途端に、アルマの指先に青白い電流が迸った。

 一拍も経たぬうち、乾いた音と共にバチバチとした電流の音が鳴り響く。条件反射で手が出てしまった。しかし、畏怖が勝って罵りの言葉なんか出てこない。


 純潔を奪って良いか──など、会って間もない乙女にく事か。否、ありえない。

 元人間。果てしなく理知的に見えたのに、やはり彼は人でなしだ。


 畏怖と憤激に震えたアルマは今にも泣きそうな形相でテオファネスを睨み据える。

 次第に彼に纏わり付く影は薄まり、煙のように消え失せた。


「え……」


 頬を押さえて顔を上げた彼のそうごうは、血の気が消え失せ蒼白としていた。


「あれ……俺……君に……」


 先程の事は無自覚な様子だった。

 しかし、分かっているのだろう。悲壮的なおもてで深謝の言葉を何度も吐く。


「ごめん、俺、君に怖い思いを……」


 本当にごめん。と、彼は怯えたアルマに手を伸ばす。とっさにアルマはその手を叩き逃げるように距離を取る。


「──っ、最低! 私に触らないで、この人でなし!」


 去り際に自然と出た言葉は喉がキリキリする程の痛みを伴った。


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