礼拝が終わったのはいつも通り、午前六時過ぎだった。
「それでは今日も良き一日を……」
院長は朗らかに言って礼拝堂端の部屋に姿を消すと、前の席に座していた五人の乙女たちが静かに立ち上がり、出口へ向かって行った。
尊厳な礼拝堂内では私語厳禁。彼女らはアルマと目は合わせて微笑むものの、無言でスタスタと歩んでいく。
先頭を歩む栗毛の少女は日曜のゲルダ。十九歳で最年長。彼女が現在乙女たち仕切るのリーダーだ。
その少し後ろを歩むのは月曜のカトリナ・水曜のイリーネ・木曜のユリアだ。カトリナは十四歳であとの二人は十五歳。アルマよりも二つ三つも年下だが、普段は非常にかしましい三人娘である。
その証拠と言わんばかりに居残りになるアルマに三人ともニコニコと手を振っている。言葉が無いだけ静かだが、所作だけで賑やかだ。
そして最後をとぼとぼと歩むのは、土曜。
十二歳のエーファだ。
彼女は一ヶ月程前に赦しの力を発現させ、エーデルヴァイスの一員になった。
元は、四年ほど前から孤児院に居た少女だが、彼女はどうにも人見知りが激しく寡黙だった。
雪のように白い髪にクリクリと丸い琥珀に似た金の瞳……と、見てくれこそ愛らしいが、表情が乏しすぎて何を考えているかも一切分かない。子供らしい明るさなど無い。そんな性質なので、リーダーであるゲルダがよく気遣っている場面を見る。
彼女は先の四人のようにアルマの方は
「……本当に大丈夫かなぁ、あの子」
直ぐに響いた呆れたような声に、アルマは隣の席に目をやった。
──緩く波打つ
もはや孤児院に居る男児達の初恋泥棒と言って過言でない。同時期にエーデルヴァイスになった事もあって一番の仲良しだが、この美貌には同性であるアルマも感嘆する程。本当に同じ十七歳かと思えてしまう。
彼女は育ちが良い。アデリナはエーデルヴァイス唯一の貴族階級出身者……隣の領地を治める子爵家の次女だ。容姿端麗・身分まで素晴らしい。何から何まで羨ましい存在である。
羨望と恨めしさを混じった視線を送りつつ「私語厳禁」と、アルマが発すれば「バレなきゃいいのよ」と返された。
見かけに反して砕けた彼女の性質はとても好きだ。そんなアデリナは
「アルマってさぁ、本当によく寝るわね……消灯時間は守ってるの?」
「いくらなんでも、その三つ編みは雑でしょう」と笑い飛ばされてアルマは「後で直すし」と頬を膨らませる。
「消灯時間はしっかり守ってるってば。と、いうか、それより早く寝てるし。でも、どうしてアデリナは起こしてくれないのよ?」
不満げに言えば、アデリナは薄紅の瞳を細めて心底呆れた顔をした。
「起こしてるわよ? だってあんた本気で起きないんだもの」
「目を無理矢理こじ開けるとか、ベッドから無理矢理引き摺り落とすくらいしていいから……本当に起こしてよ」
「嫌よ流石にそこまでは面倒臭い。私、アルマのお母さんじゃないんだから。と、いうか、あんた力を失った後、絶対にお嫁さんに行けないわよ?」
ギクリとした。確かに言う通りだろうと思った。こんなだらしない配偶者など誰も欲しくないに決まっている。
エーデルヴァイスは国では非常に、尊き扱いをされている。なので、どんな階級の出だろうが縁談が多く来る。
縁談が来るのは十八を超えてから。貴族の子息や商人他、玉の輿縁談が多い。
実際に、十九歳のゲルダの元には何通かの縁談が既に来ているらしい。本人ははぐらかす態度を取るので、あまり聞かぬようにしているが……。
そう。天使とはたいそうな呼ばれ方は
……十七歳。当然恋に憧れる。
恋をして、素敵な人のお嫁さんになりたいに決まっている。それはアルマも持つ憧れに違いなかった。
「頑張る……」と、ふて腐れて返したと同時だった。
礼拝堂に戻って来た院長が、手を叩いて二人の注目を集める。
「ほらほら、仲良しさんでも礼拝堂は私語厳禁です。アデリナ。貴女は孤児院に行きなさい。アルマの説教ができませんよ」
「はーい」と、間伸びした返事をしてアデリナは立ち上がる。
「じゃあねアルマ」
そう言って小さく手を振ると、アデリナは小走りで礼拝堂を出て行った。
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その後、アルマは院長の後について院長室に向かった。
礼拝堂内部にある院長室は尊厳さに満ちている。薄暗く冷え冷えとした空気が漂っており、明かりは聖母の偶像が祀られた小さな祭壇にある蝋燭のみ。
ガスや電気も普及しつつある現代だ。礼拝堂や院長室に来る都度、どうにも二世紀も三世紀も時間
「さてと。よく眠れる事は健康的で良い事ですが、貴女は天使としての自覚をきちんと持たねばなりません」
私は貴女が憎くてこんな事を言っているのではないです。と、穏やかに切り出すが、これはもう耳にタコが出来る程に聞いている。
確かに言う通りなので頷く他はない。この後といえば、その為に何をするか。どう考えるか、どうやって改善をしていくか。そう
しかし……。
「貴女、今年で幾つでしたっけ……」
いつもと違う言葉にアルマは空色の目を幾度も目をしばたたく。
「十七歳になりましたけど……」
「そうですか。若いとは言え、もう世間一般的には立派な大人ですよね? アルマ、責任ある務めを果たしてみませんか」
院長はやや緊張した
……これは説教だろうか。
これまで何度も院長の説教を受けてきたが、明らかに今までと様子が違う。
「情けない私に対する罰ですよね」
「言いましたよね? 貴女が憎くて説教する訳でないと。お寝坊も大概にして欲しいと思いますが、何度も言っているので分かるでしょう。今、私が話しているのは、火曜の天使であるアルマにしか頼めそうに無い事をお願いしようとしているのです」
「お願い?」
説教かと思えば違う。復唱すれば、院長は深く頷いた。
「……
院長の言葉は、これまでに無い重みがあった。
しかし、特殊な孤児とは……。
ふと頭に浮かぶのは、つい最近エーデルヴァイスに加入したエーファだった。あぁいったかんじで、全く喋らぬ表情も乏しい子供だろうか。確かにそれは特殊だし扱い辛い。だが、それならば自分でなくても良いだろう。
まさに適材適所。そういった事は面倒見の良いリーダーのゲルダに任せておけば大抵上手く収まるものだ。
「そもそも孤児は全員もれなく特殊じゃないですか。何も私でなくたって……」
自分でなくても良い。と、念を押すように言うと院長は重々しく首を横に振るう。
「いいえ。貴女にしか頼めそうにないのです。何せ、その方は……」
──人であって人で無い。と、院長が続けた言葉にアルマの脳裏に今朝の事が過った。
人であって人で無い者と会ったばかりだ。
片目の強膜が真っ黒な異国人の男……しかし、彼は子供でない。自分より、明らかに年上の風貌をしていただろう。
「まさかと思いますけど、それって子供じゃなくて
シュタール軍の。と、アルマがあっさりした調子で付け添えると、院長は丸い目を更に大きく開く。
「会われたのです?」
「はい。寝坊して走って礼拝堂に向かう最中に彼にぶつかりまして……美人な女軍人さんと一緒にいましたね。……異国人の方ですよね?」
あんな見てからではあるが、
「そうです。孤児という名目で大戦が終結する迄、彼をここに置く事になったのです。初めこそ断ったんですけど、あの女軍人のお母様もこの修道院に深い縁がある方でしてね……」
どこか懐かしむように院長は言って、ほぅと一つ息をつき、緩やかに唇を開く。