それから幾何か。礼拝堂に辿り着いたアルマはここでも体当たりで扉を開いた。
自分が扉を開く音は厳かな空気を切り裂くよう。高潔な花を讃える歌はピタリと止まり、そこに居た六人の娘は一斉に扉の前で息を切らすアルマを見る。
──雪のように白々としたワンピース状の装束にふんわりとしたケープ。裾には花を象るレースがふんだんにあしらわれており、金糸の
彼女らは皆、アルマと同じこの装束に身を包んでいる。
だが、祭壇を背後にして立つ者だけは、いかにも修道女らしい黒装束を纏っていた。ふくよかな体躯の初老女性──彼女はこのザフィーア修道院を取り仕切るマルゴット院長だ。
見るからに人の良さそうな
「あらあら、今日も顔を見ないと思ったら、アルマはまたもお寝坊ですか」
今日も今日とて咎め口調は極めてやんわりとしている。それでも一応怒ってはいるのだろう。少し顔が赤いのが何よりも証拠に違いない。
「ご、ごめんなさい院長……」
息も切れ切れに詫びると、院長はつかつかとアルマの前まで歩み寄り、大袈裟なため息を吹き付けた。
「まったく貴女って子は……今日も身だしなみがなっていません。〝天使〟と称される乙女の自覚を持つように。さぁ自分の席に着きなさい。まだ朝礼は終わっていませんからね」
──貴女は礼拝後に残るように。と、咎めるように言って、院長が再び指揮を執るなり賛美歌は仕切り直された。
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霊峰ザルツ・ザフィーアの麓町、ヴィーゼンは肥沃な牧草地がどこまでも広がっており、戦時中という感覚が皆無に等しい。
しかし、この地は霊峰含む山脈が国境となりシュタール帝国とフェルゼン公国に面している。
フェルゼン公国は永久中立国。一切の争いに加担しない事を宣言しており、自衛以外せず、古くから互いに大きな干渉無し。
だが、シュタールにおいては同盟国とはいえ帝国同士。
現在は共闘関係だろうが、小国を滅ぼし吸収し合うを何度も繰り返して栄えてきた者同士だ。
それが隣り合う場所……歴史的観点で言えば、決して争い無縁とは言い切れないが、それも数世紀も昔の話である。
なぜに戦火に揺れないか。めぼしい資源も無い事やあまりに田舎過ぎて人口が少ない事もそうだが、それ以外に、この地には「確かな神秘」が実在するという理由がある。
──遙か昔、未知の病に冒された青年が「生きたい」と霊峰に祈り続けた所、天使が舞い降りたそうだ。
その天使はこの礼拝堂にある
そんな彼女は青年に寄り添い、〝赦しの力〟と呼ばれる神秘の力と献身的な治癒で、青年を救い出したそうだ。
そうして共に過ごす時間の中で、二人は互いに惹かれ始めた。
やがて愛を知り、深く愛し合った成れの果て……彼女は純潔を失ったと同時に神秘の力を失った。
これが天界の神々の怒りを買い、彼女は高山に咲く高潔なる赦しの花──エーデルヴァイスに姿を変えたという。
だが、伝承はそれで終わらない。その後、霊峰を臨む場所には彼女と同じ力を持つ乙女が出現するようになった。
数は決まって七人。
誰かが力を失えば、また別の少女が能力を持つ。これを何世紀も繰り返してきたのだ。そう。それこそが、このザフィーア修道院に集められた〝ヴィーゼンの天使〟と呼ばれる七人の純潔の乙女たち。通称エーデルヴァイスだ。
皆、元々そんな力も持たぬごく普通の少女だったが、十二歳・十三歳……と、二次性徴の訪れと共に赦しの力を発現させた。
しかし力はそれだけでなく、水・雪・雷……などと、天に纏わる超常力を併せ持つ。
とはいえ、これら力は永遠でない。二十歳を堺に自然消失する。
加えて、霊峰で花となった天使同様に、純潔を失えば力を失ってしまう。だからこそ〝力があるうちはその身を守る為に修道院に入っている〟と言って過言でない。
……そう、アルマ自身も赦しの力を持つ天使、エーデルヴァイスの一人である。
しかし、天使とはたいそうな呼ばれ方だとアルマ本人もよく思う。なぜに七人か。これにおいては、聖典に描かれた七曜の天使が由来するとの説がある。人である時点で完璧でない。だからこそ各々に役目があるのだろうとの事だ。
月曜は「神託」
火曜は「戦い」
水曜は「癒やし」
木曜は「慈悲」
金曜は「美」
土曜は「孤独」
日曜は「導き」
それぞれが、己の曜日を示す貴石を数珠状に連ねた祈り用具を先代から引き継いでいる。アルマの祈り用具の貴石は
また、火曜に宛てられる者は、赦しの力と併せ持つ超常力が異常に強い。
その強さは、人を殺傷出来る程と言われている。
それは現在の火曜の天使、アルマも同様だった。
……とはいえ、これは発現させた時から手足を動かすと同じように、自由自在に操り自然と制御出来るので、特別危険視されていない。
超常力は果てしなく使い道が無い。一つあげるなら花壇の水やりだけだ。
懺悔に来た人に寄り添う為の赦しの力を使う場面の方が修道院生活では多かった。
半世紀ほど前まで、ザフィーア修道院は精神疾患者を救う為の療養所を併設していたそうで、エーデルヴァイスは患者に寄り添っていたらしい。
そうして半世紀前の国の産業発展の開花時期……療養所は孤児院になった。
産業発展により経済上昇した事は良いものの、仕事と家庭の両立が叶わず子供を修道院に預けるようになった事が発端となったと言われている。また、産業の発展途上は乗り物に安全性は確立されておらず、悲惨な鉄道事故や自動車事故が頻発した。
よって、親を喪う不幸な子供が多くなり、孤児院の需要が高まった事もあるだろう。
そして近年の尤もな理由は戦乱孤児だ。
大戦は三年目に入り、現在ベルシュタインだけで数多くの戦乱孤児がいる。当然、どこの教会も修道院も戦乱孤児を受け入れていて、ザフィーア修道院も例外でない。
しかし田舎街なので、その数は少なく、現在孤児の人数は十二人程度だった。
そう。今のエーデルヴァイスの務めは、孤児院の管理を主にしており普通の修道女と変わらない。赦しの力を使う事だって極稀で。
────確かにそういう力はあるでしょうが、ただの人間に違いないのに。国からも「天使」だの、たいそうな存在として祀り上げられてさ、私……ただの羊飼いの娘なのに。
伝承のように、純潔を失ったとしても花になりやしない。力を失う事は事実らしいが、どう足掻いたって天使ではなく人間に違わないのだ。
何せ自分達は突然、力を発現させただけ。そもそも人間から生まれているのだから。
アルマは歌いながら、壇上正面の