──貴方に出会った日の事を私は、今も鮮明に覚えている。
ひんやりとした空気。肌寒い初夏の朝だった。
礼拝に遅れた私が、軍用車に乗せられて修道院にやってきた貴方にぶつかって……。
***
そこまで書くと、アルマはペンを置きほぅと小さなため息をついて立ちあがり、窓辺に向かう。
同じことばかり考えるべきではない。
それは分かるが……時折、思い出しては頭から離れないのだ。
だから淡々と文字にしたためれば、少しは心が落ち着くかと思ったが、やはり色々な感情がぐるぐると回るばかりだった。
窓を開くと静かな夜が広がっている。
遠くでホウホウとミミズクの鳴く声が聞こえて、長閑だった。
しかし寒い。雪は止んで春になったものの、夜はまだ刺すように冷たい空気が満ちていた。アルマは身震いをしながらも
……この世界は、つい最近まで戦乱に明け暮れていた。
しかし、戦時中も霊峰ザルツ・ザフィーアの麓にあるこの田舎街は静かなもので、街に大きな被害や爪痕というものは無かった。
けれど、決して何も無かった訳で無い。
アルマ自身、とてつもなく怖い思いをした事がある。
それに、身近なところでも、家族を亡くした人もいれば、修道院に赦しや救いを求めに来た人もいた。
そして、戦争の残酷さと比人道的さ、人間の汚さに蝕まれ、侵されたような人をこの目で見た。それも間近で……。
──金属質な物質に侵された真鍮色の硬い皮膚、光る眼球、真っ黒に濁った強膜。人間から〝人間を模した何か〟になりかけた姿だった。
しかし、その心に触れるとあまりに温かく、穏やかで優しかった。
異形の彼の愛したものは、鉛筆とスケッチブック。紙と鉛筆さえあれば精巧な絵を書く天才だった。
そんな彼に関わる毎に、次第に惹かれあい恋をした。
彼と過ごした時間は宝物のよう。甘酸っぱくて、幸せに満ちていた。これまでずっと、酷い目に遭ってきたというのに、彼の心は陽光に反射する新雪のように、清らかで……。
たった一年程度で色んな事があったものだと、アルマは懐古する。
そんな日々を思い出すと、自然と鼻の奥がツンと痛くなり、涙が込み上げてきた。
初めての恋だった。
そして、初めての失恋だった。
……否、相思相愛ではあったが、戦禍はそれを許さなかった。
初恋は朽ちた。
永遠は叶わなかった。
アルマは勝手に頬を伝い始めた涙を拭う。
その時、強い夜風が吹き抜け、机の上に置かれたスケッチブックの表紙を持ち上げてパラパラと捲った。
そこに描かれたのは、鉛筆だけで描かれた繊細な風景画の数々に、アルマの肖像。
水の中に揺れる霊峰や牧草地、高山の花々。
そして、どこか自分に似た風貌の天使と、水底へ沈み行く青年の姿があった。その青年の半身は機械仕掛けで……。
「……会いたいよ、テオ」
馬鹿。と、小さく独りごちて、アルマは目を瞑り、
────この世界のどこかで、どうか、彼が生きていますように。
忘れられない。忘れられる訳がない。
最悪な出会いだったけれど、愛おしくてたまらなくなった彼……最後は、さよならのひとつも言わせなかった彼……。
優しいくせに、卑怯で最低で、だけどそれでも……。
アルマは、最愛の恋人、テオファネスと過ごした日々を一つずつ思い返した。