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第六十七回 伏魔殿




 顔ぶれに圧倒されたこうせんを押しやり、たくとうてんおうが進み出て拝礼した。


「これは、西王母娘娘せいおうぼじょうじょう。お久しぶりです。人界じんかいに来られるとはおめずらしい」


幾日いくにちか前から滞在たいざいしていました。百八星が揃いそうだと聞いていましたのでね。……あなたはなぜ、こうせんと共にいたのですか?」


 西せいおうは、かたい笑いで托塔天王を見た。托塔はひざまずく。


「人界には戦乱せんらんが広がっていると聞き、彼らが心配で合流しました。しゅうせい発端ほったんは私にも原因がありますゆえ、早く終わるよう手助けをしたいと思いまして」


 しかし、彼のぶんを、西王母は鼻で笑った。


白白しらじらしい……いえ、何でもありません。そこにいるてんせい、あなたをさがしていましたよ。どこにいたのですか。ちょっとこちらに来なさい」


 そう言って、西王母は手を差しべる。


 鋼先は、顔をしかめて首をひねった。


「待ってくれ。……いえ、お待ち下さい。天機星は、朔望鏡さくぼうきょうちゅうかんにいました。それは彼の意志ではなく、指示によるものだったそうです。王母娘々は、ごぞんなかったのですか?」


 西王母はきょとんとして、かいな目をした。しかし、張天師ちょうてんしが強引に話をる。


「賀鋼先、お前たちには苦労をかけた。すぐにも魔星を封じて頂こう。魔星たちは今、この一帯いったいで自由にしているので、しょうしゅうをかけている。その間、お前たちはゆっくり休むといい」


「ですが、張天師様」


「賀鋼先! 西王母娘々は天界のとうときお方、みだりに質問をするなどれいであるぞ」


 張天師の目が、鋼先の発言を禁止していた。鋼先は仕方なくきびすを返し、自分の宿しゅくしゃへと歩き出す。らいせん李秀りしゅうらをうながし、鋼先について上清宮じょうせいぐうを出て行った。


 残った天機星と托塔天王が、西王母にまねきされている。




 ◇




 鋼先たちが去って、西王母はあんの息をらした。


「まさか、彼らが上清宮に入っていたとは。張天師どの、連絡はなかったのですか?」


 厳しい口調くちょう詰問きつもんされ、張天師は跪く。


「ありませんでした。理由は分かりませぬ。息子のおうきゅうと別れてちょうこうを下っているという手紙が最後でした」


「天機星のことでも、みょうなことを言っていましたね。私が知らなかったとか何とか」


「それは……はて」


 張天師は答えない。すると、天機星が進み出て言った。


「申し上げます。私は、二つの鏡の間に封じられ、朔月鏡さくげつきょうから望月鏡ぼうげつきょうへの一方通行だけを許可せよ、と命じられておりました」


 西王母は、けわしい顔になる。


「そんな……。それなら、もっと早くあなたをして、質問できたというのに。ひ、ひどい。どうしてなの」


 西王母の顔が、けんしゅんから恐懼きょうくに変わる。そして周囲を見回すが、誰も口を閉ざしている。


 西王母は気を取り直し、天機星の耳に口を近付け、質問をした。天機星は首を振り、知らないという意を示す。西王母は、安堵と苦労の入りじったため息をついた。かげでは張天師が胸を撫で下ろしている。


「良かった。あなたが知らないならば、他の魔星も知らないことでしょう。……ならば、もう天界に戻っても良いのですけど」


 そこまで言って、西王母は誰かの視線におびえるように口をつぐんだ。


 そのとき、


「張天師さまー」 


 伝達の者が、魔星たちが集まったと報告してきた。張天師はうなずいて、その者を返す。


 西王母は、蒼白そうはくな顔でうつむいていた。少しして、しぼり出すような声で言う。


「……張天師どの、それでは、百八星を封じましょう。本当に、天界ではなく、この上清宮に封じるということで宜しいですね?」


 張天師は、跪いたまま礼をした。


「結構でございます。……例のお約束を、果たして頂ければ」


「……わかりました」


 西王母の声は、病人のように疲れていた。




 ◇




 休んでいろと言ったはずなのに、鋼先たちには一つ仕事を出された。これまでに収星した記録を、表にまとめて提出しろという。


 しかし、へいかくが無表情に言った。


「すぐにできるわ。みんな、ひとりずつ、紙を持って立ってて」


 鋼先たちは紙を持ち、横一列に並ぶ。萍鶴は旅の日記を見返しながらぼくを打つと、活版印刷かっぱんいんさつのように、収星の表ができあがった。


 鋼先が感心する。


「大したもんだな」


はくさんが、飛墨で詩を書いたでしょう。あれの応用よ」


 萍鶴は少しれる。鋼先は、皆の紙を集めてまとめ、ざっと確認した。


「よし、表はできた。――しかし、この術ともお別れだな。ぶんせいを出すぞ。これも張天師様からの言い付けだ」


 萍鶴は、頷きかけて、筆を胸に寄せた。そしてごりしそうに目を閉じる。


 それを見ていた李秀が、笑顔になって言った。


「ねえ、雷先の部屋も見せてよ。フォルトゥナと百威ひゃくいも行こう。ほら!」


 そして強引に雷先らを追い出し、最後に萍鶴に片目をつぶって見せ、自分も出て行った。


 鋼先が訊く。


「どうする、萍鶴?」


「ご、ごめんなさい。……ちょっと、不安になって」


「だろうな。俺もだ。だから、本人に訊いてみようぜ」


 鋼先は、断り無く筆についけんを刺した。筆は強く輝き、端正たんせいな顔をした地文星が現れる。


 地文星は、萍鶴に向き直り、うやうやしく礼をした。


おうへいかく、いや、おうかくせつ。あなたの家族に多大ながいおよぼしたこと、まことに申し訳なかった。おいたす。そして、これまで私の術を、正しきことにのみ使ってもらえたこと、本当に感謝する」


 それを聞いた萍鶴は、あからさまに顔を歪めて問う。


「……ひとつだけ答えて。あの時、あんな凄惨せいさんな状況で、どうしてえいに取り憑いたの? あなたの力を巡って、大勢の剣士が命を落としていたのよ?」


 地文星は、ため息をついてまた礼をした。


「そうだね、そのことを話そう。……元々は、ただ墨を飛ばしてそのまま字になる能力を顕すだけのつもりでいた。さっき作った収星表のようにね。しかし、秘術に対するよこしまな期待があの場に集まっていたため、字象の実現という能力まで加わってしまったんだ。申し訳ない気持ちでいっぱいではあるが、これは私の本意ではなかった。どうか、解ってほしい」


 沈痛な顔になった地文星を見て、萍鶴は驚きの声を上げる。


「……じゃああの時の、私の気持ちが……!」


 そう言って、術が発現したときのことを思い出した。錯乱した中で、目の前の敵をどうにかしなければいけなかった焦りが、術に反映したのだ。


「そんな……。わ、私が、もっとしっかりしていれば……!」


 結局、飛墨顕字象は自分が生み出したものでもあった、ということに思い至り、萍鶴はがくがくと震え出す。


 それを見て、鋼先は手を差し伸べかけた。しかし、地文星が無言で首を振って制する。


 そして、萍鶴の肩に手を置いた。


「君でなくとも、私の術はこうなっていた。あの場の皆が期待していた結果だからね。だから、君は悪くない。再び自分を責めることはしないでくれ。


 それよりも、大事なのは今なんだ。さっきも言ったが、君は正しく術を使って来られた。哀しみを乗り越えて強くなったから、それができたんだよ」


「え、ええ……」


 萍鶴は、受け入れながらも、涙を流してうつむいた。


 少し時間を置くと、地文星はそっと近寄り、耳元で何かをささやいた。


「……本当に、そんなことが?」


 萍鶴が驚く。


「ああ、可能だ。だが、限界はすぐに来る、気を付けろ」


 そう言うと、ぱっと離れて、笑顔になった。


「それにしても、この二年間、たいへんな旅だったね。私も輝影の中からいつも見ていたよ。たいへんだったが、その分楽しかった。いくらかは役に立てたかと思っている。さて、雷先たちにも挨拶あいさつをして来るよ」


 そう言って、地文星は部屋を出て行った。


 それを見送りながら、鋼先が、何事もなかったかのようにほほ笑む。


「思い返してみれば、あいつも旅の仲間だったんだよな。初めて会ったのに、別れるとなると寂しいぜ。なんか、不思議な気分だな」


 それを聞いた萍鶴も、少しほほ笑んだ。


「そうね。彼は私たちをずっと見ていてくれたのね。……あんな風に言ってもらえると、なんだかほこらしく思えるわ」


 鋼先が笑顔のまま、ずいと顔を寄せる。


「なあ萍鶴。……記憶、戻ってたんだろう?」


「あっ」


 萍鶴は驚いて眼をらす。鋼先は笑った。


ばいえいに会ったとき、思い出したな? でもいいんだ。俺やみんなをたすけるため、それを明かさずに来てくれて、感謝してる。今まで本当に、ありがとう」


 萍鶴は、眼を閉じて首を振る。


「ごめんなさい、黙っていて。それに、以前にあなたと出会って助けてもらったことも、ちゃんとお礼を言えてなくて」


 鋼先は、まだ王鶴雪だった頃の彼女を思い出して笑った。


「……また逢いたいと、思ってた。あの酒場で見つけたときは、すごく嬉しかったよ。でも、憶えてなかったから、その話をすることはあきらめてた」


 鋼先の笑顔を見て、萍鶴は顔を赤らめて、たどたどしく言う。


「……わ、わたしも、あいたかった。ぐうぜんじゃなくて、あなたを、さがしたかった!」


 思わず大声になる萍鶴に、鋼先は頷く。


「経過はともあれ、こうして逢えて良かった。……お前に取っては、新しい人生になっちまったようだがな」


 心配そうな目になる鋼先に、萍鶴は首を振った。


「過ぎてしまったことは、もう取り戻せない。だから、未来のことに、目を向けたいの。


 鋼先、私、……これが終わったら、あなたと」


 そこまで言って、萍鶴は急に言葉をり取った。鋼先が続きを待っていると、萍鶴は姿勢を正して、口調を落とす。


「まだ、終わった話をするのはいけない。地文星は筆に戻さなくていいわ。張天師様の言うとおりにしましょう」


「そうか。大丈夫かな」


 鋼先がいぶかると、萍鶴はゆっくり首を振る。


「最後に、何かが起こる。――鋼先、あなたが本当に生き返るまで、この旅は終わりじゃない」


 萍鶴の、墨痕ぼっこんのようなひとみを見て、鋼先も姿勢を正して苦笑くしょうした。


「ああ、まったくだな」




 ◇




 上清宮は、とても広いしきの中に、たくさんの社殿しゃでんが建てられている。どうきょうの聖地にふさわしい規模きぼであり、きれいに石畳が敷かれた中央の広場には、らく千人せんにんは入る。


 収星陣しゅうせいじんは、そんな上清宮の一角いっかくに呼び出された。


 彼らの眼前がんぜんに、西王母ら女神と托塔天王、張天師が並び、その背後に遠く離れて、百七星が整列している。


 倉庫になっていた古いきゅう殿でんが、荷物を出され、からになっていた。張天師がそれを指さす。


「当初とは予定が変わり、百八星はこの殿でんに封じることになった。すなわち、ここを『ふく殿でん』とする」


「えっ」


 賀兄弟がきょうだいと李秀が、驚きの声を上げる。張天師はすました顔で無視した。


 代わりに英貞童女えいていどうじょが進み出て、説明を加える。


「ですが、ご安心なさい。この殿は天界の一部として登録とうろくし終えましたので、人界の者は許可無く近付けません。見た目はこの場所ですが、れっきとしたてんかいかんいきになります」


 雷先が、張天師に向けて言った。


「本当にそれでよろしいのですか、張天師様?」


 すると張天師は、ゆうしょくをたたえて答える。


らいせんよ、仕方がないのだ。これを条件に、我が竜虎山はがくほうしゅうを頂ける。――お前たちは身で知っていようが、この戦乱で、多くの民衆が家を失ってみんになっている。ここ江南こうなんの地は幸いに平穏へいおんで、逃げてくる者が引きを切らぬ。我々教団われわれきょうだんとしても、困っている民を受け入れなければならない。しかし、ひとぶっも、圧倒的に足りないのだ」


 とうな理由であった。雷先たちは、何も言わずに、互いを見て頷き合った。張天師は続けて言う。


「賀鋼先を甦らせるとき、応究が相談に行ったのもそのけんだった。竜虎山は大所帯おおじょたいゆえ、いつもだいどころが苦しいのでな。だが、戦乱で事態がさらあっして行く一方だ。だから、天界からせめて経済面だけでもえんしてもらうほか、解決策かいけつさくがない」


 西王母も、補足して言った。


「それに、百八星はこの戦乱にも大きく関与していますから、すぐに天界に戻すというわけにはいかなくなったのです。皆には、その点も理解をいただければ幸いです」


 張天師は、目を閉じて頷いた。西王母が、反対意見を封じるかのように、周囲をにらみ回す。


「ちょっと待ってください」


 大きな声で空気をったのは、鋼先だった。上清宮の全員の目が、鋼先に集中する。


けいざいえんは納得できます。しかし、あなたがたかくしているものが、他にもあるはず。――天機星に確認しようとしていた、天界の秘密が」


「鋼先、やめろ。こんなところで自棄やけを出すな」


 雷先が彼の腕をつかんで制止したが、鋼先は振りほどいて続ける。


「何度も死にそうになってきた俺たちを、用が済んだら邪魔にするのはしていただこう。俺はその秘密に気付いてるぜ。例えば、これだ」


 そう言うや、鋼先は、追魔剣を振りかぶって自分の胸を突いた。


「あっ!」


 天界側てんかいがわから、声が上がる。しかし、剣は刺さらない。てんかいせいは、出て来なかった。


「どういうことだ?」


 張天師が言った。鋼先が剣を戻して答える。


「天魁星は、俺に半分、そしてこの追魔剣にもう半分、入っている。反発し合って刺さらないんだ。うまく考えたもんだな」


 すると、英貞童女が言った。


「それが天界の秘密だと言うのですか?」


「いや、これは末端まったんのことだ。本題ほんだいはもっと大きい。神とは何なのか、そして天界とは何なのか、だ」


 そう言った瞬間、西王母が、電光石火でんこうせっかしかりつける。


ひかえなさい。そんなことを、一介いっかいの人間が口にするものではありません」


「半分は神だぜ。だまってな、おばさん」


「なっ!」


 西王母は、怒りで蒼白になり、膝からくずれ落ちた。きゅうてん六合りくごうあわてて支える。鋼先は続けた。


「東ローマの話を聞いて、考えた。あちらでは、こことは違う神が信仰しんこうされ、古代の神話も独特どくとくだ。どうして同じ神なのに、天界とは接点が無い?」


「民族の違いゆえ、交流が無い。それだけだ。さあ、王母娘々にお詫び申し上げなさい」


 張天師が困った顔で言う。しかし、鋼先は笑って首を振る。


「それ以前の問題だ。――神も天界も、そもそも人間が創り上げた想念そうねん結実けつじつだ。自分たちで動くことはできない。俺たちが望んだ通りにしか仕上がらない、虚構きょこうの世界なんだろう?」


 鋼先が、射貫くような目で西王母を見た。同時に、鋭く指を突きつける。


「ああっ! うううっ、あ、ああああああっ!」


 西王母がそれを受けて、激しく叫んだ。そしてがくりと膝を折り、気を失う。


 張天師が、深いため息をついて、首を振った。


「賀鋼先よ。そんなことは、我々は知っていた。知らぬのは、天界のほうだった。不死なのは、想念ゆえだ。しかし、人間が創成そうせいしたとはいえ、神々は偉大な力として人界を守ってくれている。双方そうほう均衡きんこうたもつのが、我々教団の役目であったのだよ。事実を知って天界に浮き足立たれることが、ただ一つのねんだった。今のようにな」


 そう言って、張天師はあわれんだ目で西王母を見る。


 鋼先が、頷いて答えた。


「そうでしょうね。ですがそいつらには、均衡など知るよしもない。その結果、百八星は人界に逃げ、それを利用した人間が、こんな戦乱を引き起こした。だから、『自分たちが作り物だった』と知った方が、今後のためになりますよ」


 それを聞いて、英貞童女が目をいからせる。


「賀鋼先、収星のこうにしての暴言ぼうげんはおめなさい。張天師どの、あなたにも罪がおよびますよ。即刻そっこく、この者をもんなさい!」


 英貞童女にせっつかれて、張天師は、じっと鋼先を見た。


「賀鋼先よ、口が過ぎたな」


「……はい」


 鋼先が目を伏せると、しかし張天師は、渋面しぶづら悪辣あくらつな笑顔に変える。


「とは言え、わしも正直、あの傲慢ごうまんさにはうんざりだった。破門なんぞせん、もっと言ってやれ!」


「は、はい!」


 本音を聞いて、鋼先も同じ笑顔になる。


 しかしそのとき、張天師がものすごい勢いで、前方に吹っ飛んだ。


 皆が驚いて見ていると、何者かがばやく動き、次に托塔天王を吹っ飛ばす。そしてその影は、鋼先の目の前に立った。


 西王母が、気配で目を覚まし、震えた手を伸ばす。


「あなたの……言うとおりにして来ましたよ……。もう、やめて。天界を、どうかこのままで。お願いです」


「いやだね」


 影は、にたりとわらいながら首を振った。


 鋼先が、信じられない表情で、影の名を口にする。


「どういうことだ、九天さん」


 しかし九天玄女きゅうてんげんじょは、答える代わりに、鋼先の頬桁ほおげたを蹴り飛ばした。

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