食堂を出て部屋に戻った一同は、緊迫したまま話を続けた。
鋼先が訊ねる。
「で、天機星は今どこに? あんたが鏡の中から連れ出してくれたのか?」
やや挑むような鋼先の目を、托塔天王は嬉しそうに見た。
「いい気迫だな。芯のある若者だ」
「質問に答えてくれ」
托塔天王は軽く笑い、手を振って詫びを示す。
「確かに天機星は鏡の中にいたが、そもそも、二つの鏡の間は、彼が管理しているそうだ。その事情を聞いたので、まだそっちにいる」
「ふむ……」
「しかしあの鏡、都合の良い機能だと思わないか。一方通行で、君たちは送ることしかできない」
「確かに、言われてみれば不自然ね」
萍鶴が頷いた。しかし、鋼先は首を振る。
「今さら、不自然が何だってんだ。利用されてるのは最初から分かってるよ。俺はさっさと収星を終わらせて、ゆっくり酒でも飲みたいんだ」
「おいおい鋼先、また自棄が始まったな。この方は、英貞童女様の御尊父だぞ」
雷先が窘める。だが鋼先は却って眼差しを強くした。
「じゃあ訊くが、いったい何の用でまた現れた。英貞さんに言われて監視でもしに来たか」
托塔天王は、なだめるように手を挙げる。
「そうではない、落ち着け。
竜虎山にいる魔星たちは、観光にも飽きてきて、毎日武勇伝を語り合っていてな。特に君たちとの戦いの話は、かなり気に入られている。そこで、天殺星の話を聞いたのだ。羅公遠の術が凄まじく、さすがの自分も死ぬかと思った、と。――私は、ある術の噂を追っていてな。天機星が知っているかと思ったのだが、彼も知らなかった。だから、羅公遠どのの術がそれかもしれないと、確かめに来たのだ」
すると、鋼先は追い払うように手を振る。
「悪いが帰ってくれ。羅公遠は、魂魄が散って消えた。もう会うことはできない。俺たちも、彼の術に関しては知らない」
「むう。あれほどの神仙が、残念だ」
托塔天王は、腕を組んで嘆息した。鋼先は、立ち上がって言う。
「収星が済めば、俺は反魂丹で生き返れる。天機星の居場所が分かったからには、竜虎山へ急ぐぜ。あんたは好きにしてくれ」
托塔天王は、それを聞いてカラリと笑う。
「では、一緒に行こうか。久しぶりに百八星が勢揃いするところも見てみたい」
そう言った後で、聞こえない程の小さな声でつぶやいた。
「反魂丹なんてものは、聞いたことが無いがね」
◇
一同は貴渓から馬車に乗り、竜虎山へ入った。未だ戦乱は治まっていないが、この地方には燕兵も到っておらず、平穏を保っている。皇帝譲位のために改元が行われ、今は至徳二年(七五七)の二月末になっていた。
上清宮に近付いて行くにつれ、鋼先の表情が強張って来る。雷先が、ふと気付いて言った。
「誰も出迎えに来ないのはどうしてかな。鋼先、今日着くという手紙は送ってあるんだろう?」
しかし鋼先は首を振る。
「送ってない。不意を突いて確かめないと、危なっかしくて顔を出せないからな」
そして、百威に様子を探りに行ってもらう。
托塔天王が苦笑した。
「そんなに心配するな。大丈夫、私が付いている」
だが、鋼先は冷たい目を向けた。
「どうかな。あんたの目的は、何かの術だと言ってたが、それは俺たちに関係あるのか? あるから付いて来てる、と判断するが?」
托塔天王は、おどけて首を振る。
「直接の関係は無い。だが、知らない方がいいぞ。天界に目を付けられる」
「知ろうとは思ってない。もう目は付けられてるけどな」
ギスギスしたやりとりをしているうちに、百威が戻って来た。戻るなり、萍鶴の墨壺をつつく。
「分かったわ。話して伝えてくれるのね」
萍鶴は頷き、百威の額に「人語」と飛墨した。百威が、人間のように咳払いをする。
「……上清宮は平穏だった。張天師も普通に仕事をしている。魔星はいっぱいいたので、ちょっと見つかりそうになったが」
「ほう。面白い術だな」
托塔天王が飛墨を褒めたが、皆は無視した。
雷先が百威に頷く。
「そうか、魔星は俺たちの顔を知ってるもんな。……不思議な気分だな、あんなに苦労して収星したけど、久しぶりに会うのが楽しみになってきた」
フォルトゥナが、それを聞いて言う。
「私たちも魔星も、ただ翻弄されていたようなもの。同じ苦労をしてきたのですよね」
李秀も、ぽつりと言う。
「人間の方が、魔星を悪用してたもんね」
鋼先が大きく頷いて、百威に訊いた。
「張天師様より前に、天機星に会おう。百威、望月鏡の場所は分かるか?」
「いや、そこまでは」
百威が答えると、托塔天王が進み出る。
「では私が案内しよう。ちょうど昼飯どきだから、気付かれずに行けるだろう」
例の小屋に行ってみると、地魔星と地妖星が番をしていた。鋼先は簡単な挨拶をして、中に入らせてもらう。
望月鏡は、小さな卓に安置されていた。
鋼先はつかつかと歩み寄り、突き割らん勢いで追魔剣を刺す。しかし、剣先は鏡面に弾かれて、刺さらない。
「やはりだめか。これでは天機星を出せない」
鋼先が悔しがると、托塔天王が進み出た。
「では私が連れて来よう。朔月鏡を出してくれ」
托塔天王がそう言い、鏡の中に入って行く。ほどなくして、眉目秀麗な天機星を伴って望月鏡から出て来た。
天機星が、礼をして言う。
「天魁星の兄者、ご無事で何よりです。ようやく私も役目を終えることができます」
鋼先は頷いた。
「天機星、今までありがとうな。西王母様も、魔星の力で法具を作るなんて、泥縄もいいところだぜ」
すると托塔天王は、首を傾げて言う。
「それは妙だな。西王母娘娘は、天機星の行方を捜していたはずだ。おい、お前を鏡に入れたのは、誰だ?」
訊かれた天機星も、首を傾げる。
「それが、前髪が被さっていて、顔は良く見えませんでした。赤い童子服を着ていて、強力な法力の持ち主です。私はてっきり西王母様の御弟子かと。その方が鏡の間を繋いで私を通し、『一方通行で管理しろ、でないと天魁星が解放されない』と言うので、こうして務めて来たのです」
鋼先が、それを聞いて冷や汗をかいた。
「赤い童子服? それは、呉文榮に魔星の扱いを教えた奴だ。だが、朔望鏡を貸してくれたのは英貞童女さんだぞ。あんた、娘から何も聞いていないのか」
話を向けられた托塔天王は、黙って首を振る。
鋼先が、苛立って言った。
「分からないことはもう一つあるんだ。天魁星は、俺に半分だけ入っているらしい。もう半分は、この追魔剣に。これも、最初に説明がなかった。一体どういうことなんだ」
托塔天王が、天機星に訊く。
「お前には分かるか? 全ての機密を知る星神だろう」
しかし天機星は首を振り、
「私が知っているのは、正式に文書となって現存する機密です。誰かの記憶を読めるわけではありません」
「そうか、だから『あの術』のことも知らないのか」
托塔天王が小声で言った。その後、はっとして目を見開く。
「だとすると、妙だな。西王母娘々が怖れているのは、記載の可能性がある機密、ということになる。天機星、それなら知っているのか? 彼女が怖れるほどの機密を」
托塔天王がぐっと詰め寄ったとき、小屋の扉が勢いよく開かれ、鋭い怒鳴り声がした。
「それを訊いてはいけない! さあ、天機星から離れるんだ」
鋼先は、声の主を見て驚いた。
「応究さん。……まさか、あんたが?」
「私が、何だというのだ」
「あんたが、童子服だったのか」
「どうでもいい。とにかく、そこを離れろ」
応究は、必死な顔で駆け込んで来た。咄嗟に萍鶴が飛墨を打つ。
「うっ」
頬に「昏」と文字が出た応究は、一言呻いて、前のめりに倒れる。雷先が近寄り、震える手で彼を抱え上げた。
「……応究さん、どうしてだ。俺は、あなたみたいになりたかった。本当に尊敬していたのに」
嘆いている雷先の肩に、鋼先が手を置いた。
「兄貴、出よう。とにかく終わりにする」
そして朔望鏡を行李に入れ、応究を縄で縛って小屋に残し、皆で出口に向かう。
「あっ」
扉を開けて、一同は驚きの声を上げた。
西王母、英貞童女、九天玄女、六合慧女、そして張天師が、ずらりと並んで立っていたのである。