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第六十六回 上清宮へ




 食堂を出て部屋に戻った一同は、緊迫きんぱくしたまま話を続けた。


 こうせんが訊ねる。


「で、てんせいは今どこに? あんたが鏡の中から連れ出してくれたのか?」


 ややいどむような鋼先の目を、たくとうてんおううれしそうに見た。


「いいはくだな。しんのある若者だ」


「質問に答えてくれ」


 托塔天王は軽く笑い、手を振ってびを示す。


「確かに天機星は鏡の中にいたが、そもそも、二つの鏡の間は、彼が管理しているそうだ。その事情を聞いたので、まだそっちにいる」


「ふむ……」


「しかしあの鏡、ごうの良い機能だと思わないか。一方通行で、君たちは送ることしかできない」


「確かに、言われてみれば不自然ね」


 へいかくうなずいた。しかし、鋼先は首を振る。


「今さら、不自然が何だってんだ。利用されてるのは最初から分かってるよ。俺はさっさとしゅうせいを終わらせて、ゆっくり酒でも飲みたいんだ」


「おいおい鋼先、また自棄やけが始まったな。この方は、英貞童女えいていどうじょ様のそんだぞ」


 らいせんたしなめる。だが鋼先はかえってまなしを強くした。


「じゃあ訊くが、いったい何の用でまた現れた。英貞えいていさんに言われてかんでもしに来たか」


 托塔天王は、なだめるように手を挙げる。


「そうではない、落ち着け。


 竜虎山りゅうこざんにいる魔星たちは、観光にも飽きてきて、まいにちゆうでんを語り合っていてな。特に君たちとの戦いの話は、かなり気に入られている。そこで、てんさつせいの話を聞いたのだ。こうえんの術がすさまじく、さすがの自分も死ぬかと思った、と。――私は、ある術のうわさを追っていてな。天機星が知っているかと思ったのだが、彼も知らなかった。だから、羅公遠どのの術がそれかもしれないと、確かめに来たのだ」


 すると、鋼先は追い払うように手を振る。


「悪いが帰ってくれ。羅公遠は、こんぱくが散って消えた。もう会うことはできない。俺たちも、彼の術に関しては知らない」


「むう。あれほどの神仙しんせんが、残念だ」


 托塔天王は、腕を組んで嘆息たんそくした。鋼先は、立ち上がって言う。


「収星が済めば、俺は反魂丹はんこんたんで生き返れる。天機星のしょが分かったからには、竜虎山へ急ぐぜ。あんたは好きにしてくれ」


 托塔天王は、それを聞いてカラリと笑う。


「では、一緒に行こうか。久しぶりに百八星が勢揃せいぞろいするところも見てみたい」


 そう言った後で、聞こえない程の小さな声でつぶやいた。


「反魂丹なんてものは、聞いたことが無いがね」




 ◇




 一同いちどうけいから馬車に乗り、竜虎山へ入った。いま戦乱せんらんは治まっていないが、この地方には燕兵えんへいいたっておらず、平穏へいおんを保っている。皇帝譲位こうていじょういのために改元が行われ、今はとく二年(七五七)の二月末になっていた。




 上清宮じょうせいぐうに近付いて行くにつれ、鋼先の表情がこわって来る。雷先が、ふと気付いて言った。


「誰もむかえに来ないのはどうしてかな。鋼先、今日着くという手紙は送ってあるんだろう?」


 しかし鋼先は首を振る。


「送ってない。不意ふいを突いて確かめないと、危なっかしくて顔を出せないからな」


 そして、百威ひゃくいに様子をさぐりに行ってもらう。


 托塔天王が苦笑した。


「そんなに心配するな。大丈夫、私が付いている」


 だが、鋼先は冷たい目を向けた。


「どうかな。あんたの目的は、何かの術だと言ってたが、それは俺たちに関係あるのか? あるから付いて来てる、と判断するが?」


 托塔天王は、おどけて首を振る。


「直接の関係は無い。だが、知らない方がいいぞ。天界に目を付けられる」


「知ろうとは思ってない。もう目は付けられてるけどな」


 ギスギスしたやりとりをしているうちに、百威が戻って来た。戻るなり、萍鶴の墨壺すみつぼをつつく。


「分かったわ。話して伝えてくれるのね」


 萍鶴は頷き、百威の額に「じん」とぼくした。百威が、人間のように咳払せきばらいをする。


「……上清宮は平穏だった。張天師ちょうてんしも普通に仕事をしている。魔星はいっぱいいたので、ちょっと見つかりそうになったが」


「ほう。面白い術だな」


 托塔天王が飛墨をめたが、皆は無視した。


 雷先が百威に頷く。


「そうか、魔星は俺たちの顔を知ってるもんな。……不思議な気分だな、あんなに苦労して収星したけど、久しぶりに会うのが楽しみになってきた」


 フォルトゥナが、それを聞いて言う。


「私たちも魔星も、ただ翻弄ほんろうされていたようなもの。同じ苦労をしてきたのですよね」


 李秀りしゅうも、ぽつりと言う。


「人間の方が、魔星を悪用してたもんね」


 鋼先が大きく頷いて、百威に訊いた。


「張天師様より前に、天機星に会おう。百威、望月鏡ぼうげつきょうの場所は分かるか?」


「いや、そこまでは」


 百威が答えると、托塔天王が進み出る。


「では私が案内しよう。ちょうど昼飯どきだから、気付かれずに行けるだろう」




 例の小屋に行ってみると、せいようせいが番をしていた。鋼先は簡単な挨拶あいさつをして、中に入らせてもらう。


 望月鏡は、小さな卓にあんされていた。


 鋼先はつかつかと歩み寄り、突き割らん勢いでついけんを刺す。しかし、剣先はきょうめんはじかれて、刺さらない。


「やはりだめか。これでは天機星を出せない」


 鋼先がくやしがると、托塔天王が進み出た。


「では私が連れて来よう。朔月鏡さくげつきょうを出してくれ」


 托塔天王がそう言い、鏡の中に入って行く。ほどなくして、眉目秀麗びもくしゅうれいな天機星をともなって望月鏡から出て来た。


 天機星が、礼をして言う。


てんかいせいの兄者、ご無事で何よりです。ようやく私も役目を終えることができます」


 鋼先は頷いた。


「天機星、今までありがとうな。西せいおう様も、魔星の力でほうを作るなんて、泥縄どろなわもいいところだぜ」


 すると托塔天王は、首をかしげて言う。


「それはみょうだな。西王母娘娘せいおうぼじょうじょうは、天機星の行方ゆくえさがしていたはずだ。おい、お前を鏡に入れたのは、誰だ?」


 訊かれた天機星も、首を傾げる。


「それが、前髪がかぶさっていて、顔は良く見えませんでした。赤いどうふくを着ていて、強力な法力ほうりきの持ち主です。私はてっきり西王母様のおんかと。そのかたが鏡の間をつないで私を通し、『一方通行で管理しろ、でないと天魁星が解放されない』と言うので、こうしてつとめて来たのです」


 鋼先が、それを聞いて冷や汗をかいた。


「赤い童子服? それは、ぶんえいに魔星のあつかいを教えた奴だ。だが、朔望鏡さくぼうきょうを貸してくれたのは英貞童女えいていどうじょさんだぞ。あんた、むすめから何も聞いていないのか」


 話を向けられた托塔天王は、だまって首を振る。


 鋼先が、いらって言った。


「分からないことはもう一つあるんだ。天魁星は、俺に半分だけ入っているらしい。もう半分は、この追魔剣に。これも、最初に説明がなかった。一体どういうことなんだ」


 托塔天王が、天機星に訊く。


「お前には分かるか? 全てのみつを知る星神せいしんだろう」


 しかし天機星は首を振り、


「私が知っているのは、正式に文書となって現存する機密です。誰かの記憶を読めるわけではありません」


「そうか、だから『あの術』のことも知らないのか」


 托塔天王がごえで言った。その後、はっとして目をひらく。


「だとすると、妙だな。西王母娘々が怖れているのは、さいの可能性がある機密、ということになる。天機星、それなら知っているのか? 彼女が怖れるほどの機密を」


 托塔天王がぐっと詰め寄ったとき、小屋の扉が勢いよく開かれ、鋭い怒鳴どなり声がした。


「それを訊いてはいけない! さあ、天機星から離れるんだ」


 鋼先は、声の主を見て驚いた。


おうきゅうさん。……まさか、あんたが?」


「私が、何だというのだ」


「あんたが、童子服だったのか」


「どうでもいい。とにかく、そこを離れろ」


 応究は、必死な顔で駆け込んで来た。とっに萍鶴が飛墨を打つ。


「うっ」


 頬に「こん」と文字が出た応究は、一言呻ひとことうめいて、前のめりに倒れる。雷先が近寄り、震える手で彼を抱え上げた。


「……応究さん、どうしてだ。俺は、あなたみたいになりたかった。本当に尊敬そんけいしていたのに」


 なげいている雷先の肩に、鋼先が手を置いた。


「兄貴、出よう。とにかく終わりにする」


 そして朔望鏡をこうに入れ、応究を縄でしばって小屋に残し、皆で出口に向かう。


「あっ」


 扉を開けて、一同は驚きの声を上げた。


 西王母、英貞童女、九天玄女きゅうてんげんじょ六合慧女りくごうけいじょ、そして張天師が、ずらりと並んで立っていたのである。

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