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第六十三回 国破れて山河あり




 翌朝。


 こうせんは負傷をこらえつつ、ほろしゃに乗った皆の様子を見に行った。魯乗ろじょうがいなくなったことを最も悲しんでいるのは彼だったが、だからこそ、これからの方向性を見失ってはならないと感じている。


「そうだ。てんかいせいと俺なら、えいを使えるかもしれない。どうだ」


 鋼先は、へいかくにそう提案した。


 彼女がキョンシーになりかけたとき、輝影に触れても影響がなかったことを思い出したのだ。幌馬車の中でうずくまっている萍鶴は、未だに声も出せなかったが、それを聞いてわずかにほほ笑む。まだ両手が利かないので、腰を捻って輝影の差し込まれた墨壺すみつぼを見せた。


 鋼先はうなずき、慎重に筆を引き抜く。そして萍鶴に向けて構えると、筆は強く光を放った。そばで見ていたらいせんが、期待の声援を送る。


「よし、萍鶴が治ればみんな助かる。頼むぞ鋼先!」


「ああ」


 鋼先は鋭く筆を振ったが、その直前に、光が消えた。


「えっ」


 三人が、同時に驚いた。ただ水のはねる音がして、萍鶴の顔は墨で真っ黒。


 たまたま通りかかったおうきゅうが、すっとんきょうな顔で怒鳴り込んできた。


「何をしている! 鋼先、八つ当たりみたいな真似をするな!」


「いや応究さん、誤解なんだ」


 鋼先は、飛墨の失敗も相まって、とても面倒くさげに応究を見た。応究は顔を紅潮させ、鋼先につかみかかる。


「待ってくれ応究さん、痛い」


「弟も怪我をしています。応究さん、落ち着いて」


 雷先もなだめようと近づくが、振り払われて倒れる。李秀と萍鶴は声も出ない。結局、百威ひやくい片翼かたよくで応究に飛びかかってようやく止まった。




 鋼先から事情を聞いた応究は、平身低頭して陳謝ちんしゃする。


「すまなかった。乱暴までして、自分が情けない。いっそのこと首をねられたい気分だ」


 鋼先は、苦笑して許した。


「いや、分かってくれたらいい。――しかし残念だ。筆が光ったときは、行けると思ったんだが。恐らく、ぶんせいと筆の親和が強くなっているんだろう。あのときのように、自ら萍鶴を救おうとする動きもない」


 聞いていた雷先も頷く。


「結局、天魁星でもぼくは使えない。力も落ちないが、それで同同トントンということか」


「そうだな。俺たちは、若さと気力で回復するしかないってこった」


 鋼先がまた苦笑する。


 動けない萍鶴がたまらず泣き出し、その涙の筋だけ墨が流された。


 余りにもびんな彼女を、フォルトゥナが介抱して顔をく。


 応究はしゅんとしたまま礼をして、そそくさと馬車を離れた。




 ◇




 そのまま応究は、一人で買い出しに出かけた。


 帰りにとうげみちを通ったとき、ふと居酒屋を見付け、休憩がてら入る。


「すみません、お茶をください」


 しかし、店には誰もいない。


 応究は仕方なくちゅうぼうへ入って、急須きゅうすの茶を飲んだ。かわきがいええたのでよく見てみると、蒸籠せいろ包子パオヅ肉饅頭にくまんじゅう)をして湯気が上がっている。


「火をそのままにして店をけるなど、不自然だな」


 応究がいぶかっていると、一人の男が倒れるようにして店内に入って来た。


「な、なんぞ、しょくするものを。我が空腹くうふくはは乳飲ちのごとし」


 言い回しはみょうだったが、本当に空腹そうだったので、応究は包子を出してやった。


「そのうちに店主が戻るだろう。放ってもおけない」


 男がさらに欲するので、追加で包子を出す。しかし、さらに人が入って来た。


「おお、こんなところに居酒屋が」


「一休みしますか」


「店主、何か食い物と、酒を頼む」


 役人らしい三人連れが入って来て、注文をして来た。応究は引っ込みがつかなくなって、とりあえず包子と酒を用意する。


「出しますが……ちょっと聞いてください、私は別に店主では」


 応究が説明しようとしたとき、もう彼らは食べ始めていた。そして、役人の一人が包子を指してしかめ面をする。


「何だか食った事のない肉だな。毛が混じってるし、これ人の陰毛いんもうみたいだぞ」


「えっ」


 応究が驚くと、別の役人が椅子から転げて倒れた。介抱かいほうした役人が言う。


「この酒も変だ。薬物やくぶつが入れられている」


「えっ」


 そして、その役人たちも、目を回して倒れてしまった。


 応究は青くなってうろたえる。すると、


きょうあくなるかな! 人肉じんにくの包子なり、酒はしびれ薬なり」


 最初に来た男が叫び、応究をにらみつけた。


「あ、いや、私は」


 応究は弁明べんめいしようとしたが、男は腰にびていた剣を抜き、厨房を飛び越え、応究に斬りつけた。


「危ない!」


 応究はとっかわす。しかし男は構え直して言った。


「我が名は、詩を愛する者なり。貴殿は何を愛するや? 悪を愛するならば、我が剣のもとに死せよ!」


 剣が応究をおそう。応究はかみひとで躱し、拳を構えた。


「『せい』の杜甫どのか、こんなところで出会うとは。しかし聞いてください、私はこの酒場の者では」


「死せよ!」


 杜甫の剣が鋭く突き込まれたので、応究は反射で躱しつつ、顔にりを入れてしまった。


「く、くくく……!」


 杜甫は、蹴られた顔をでると、手にした剣で自分の腕や足を斬り付け始めた。


「つ、痛烈つうれつなるかな!」


「な、何をなさるのか?」


 応究が訊くと、杜甫は、血を流しながら笑った。


きずけば傷付くほど、せいきょうとなる。それが我がせいふくせいの力なり!」


「なに?」


 杜甫のすじは、急激に鋭さを増した。応究は驚いて躱し、思わず顔面に拳をびせる。しかし、杜甫はひるまず、剣のどうはさらに速くなった。応究はたまらず店の外に抜け出した。店の前には開けた林があり、広い山道がなだらかな坂になっている。その道に交差した道もあり、応究はどう逃げようか迷った。そのすきに杜甫は足速あしばやせまり、襲いかかる。


「山賊め、覚悟せよ!」


 杜甫の剣が、縦横に斬りつけられた。応究はなんとか躱すものの、わずかに遅れが出始め、髪や服が傷を受ける。


「うう、本当に強くなっている。このままではまずい」


 驚いた応究は、剣をかいくぐり、渾身こんしんの蹴りを叩き込んだ。


 杜甫は、大きく吹っ飛んで倒れた。


 が、すぐに起き上がると、またも剣を突き込む。とうとう、応究は見切れなくなってきた。杜甫のとつはさらに速く、広範囲になり、ついに応究は太腿ふとももつらぬかれた。


「ぐああっ!」


「これはむくいなり。今からなんじふんする。覚悟を決めよ」


 杜甫の剣が、応究の首筋に迫った。


「刎って、おい……」


 応究は咄嗟に手をかざす。しかし、銀色の薄いふちが、それよりも速く喉元を通り過ぎた。


 痛みは、一瞬。


 応究の首が、胴体を離れて飛んだ。驚いたままの目が開いている。


 杜甫は飛んだ首を冷ややかに一瞥いちべつし、剣を掲げて叫んだ。


「貴殿こそ、饅頭の挽肉ひきにくになるが良い。行くぞ!」


 しかしそのとき、杜甫の頭でゴチンと音がして、じようけんの詩聖は倒れた。




 杜甫を打った流星錘りゅうせいすいが、持ち主の手に戻る。


ちょうおうきゅうどの! いま助けます!」


 六合慧女りくごうけいじょは、跳躍して首をつかみ、姉に投げ渡した。九天玄女きゅてんげんじょは、受け取って胴体と合体させた。しかし出血が激しく、断面がずれる。


「だめだわ、くっつかない。急がないとこんぱくが散ってしまう」


 焦っているきゅうてんの後ろから、六合りくごうが走ってきて言った。


「落ち着いて姉さん。そのままじゃ付くはずないわ」


「そうか、接着剤!」


薬水やくすいって言ってよ」


 六合はため息をついた。


 九天は懐に手を入れると、小さな瓶を取り出す。そして応究の切り口にぶちまけた。


 しかしそれでも、つなぎ目がうまく合わさらない。九天は大きな声を出した。


「これ、もう直んないかも!」


「あっ、前後をよく見て。後ろ前になってる」


 指摘を受けて、九天は首を反転させて付け直す。


 ようやく、応究の首と胴は合わさり、手足がビクンと動いた。


「う、ううん」


 目を覚ました応究は、二人がいるのに驚き、とりあえず、事の経緯を説明した。


 がみまいは頷いて、


「この人に、魔星がいるのですね?」


「はい。とてもごわい剣士でした。早くしゅうせいしないと」


 九天が店から縄を持ってきて、杜甫を木に縛る。


 そのとき、英貞童女えいていどうじよが現れた。


「何かあったのですか。あら、張応究どの! そ、その血は?」


「血? おお、何だこれは! 少し気を失ってしまったもので、憶えていないのですが」


 まみれの応究は、驚く英貞えいていに礼をし、杜甫のことを話す。


 すると英貞は頷き、杜甫の胸元にじゅった。光と共に地伏星が現れ、申し訳なさそうに礼をする。


 英貞はそれを手で制し、言った。


「私たちも、先程この店に来たのです。店主の夫婦に魔星がいていて、追いぎ稼業をしていました。物騒なことですが、旅の人をあやめては、その肉を使って料理にし、酒場に出していたそうです。私たちは、魔星の気配に気付いてこの店に来ました。しかし、私たちを見た彼らが逃げ出したので追いかけ、いま魔星を出したところでしたの」


 そしてやぶに呼びかけると、けいせいそうせいが姿を現す。


 そのとき、杜甫が目を覚ました。


「こ、此処ここはどこだ。――おお、そこのお人、絵巻物で見た、天上の女神の如きお姿なりや。もしや、本当に天上界のお方か」


 杜甫は、きらびやかな衣装の女神たちと、軍装ぐんそうの魔星を見て、そう言った。そして、一人で納得して、続ける。


「おお、ならば我は、すでに死したりか。噂に聞いていた山賊を倒したはずが、まさか己が命を落とすとは。


 ああ、思えば、とうの国もれ果てた。さらばむなしき人のよ。――国破くにやぶれてさんあり、城春しろはるにして草木深そうもくふかし。未完成の詩が、わずかにこころのこりなり」


 そう言って、杜甫ははらはらと涙を流す。応究が、感心して言った。


「この口調くちょうは、本来のものだったのか。さすがは詩聖、だんものいも詩をむようだ」


 それを見ていた九天が、立っていた地刑星に近付いて話をした。すると地刑星は店内に走り、茶碗を持ってきて九天に手渡す。九天は、杜甫にほほ笑んで言った。


「杜甫どの、目が覚めましたか。そう、あなたは今、確かに、天上の国にいます。しかし、まだあなたの寿命は尽きていません。ちょっと聞きたいことがありましたの」


 そして、応究を指さして、


「あれがなぜか、天上に来てしまったので、あなたに確認してもらうために、来ていただいたのです。――あなたが倒した山賊は、あの男で相違ありませんね?」


 応究は、慌てて手を振って


「いや、だから俺は最初から、」


 と言ったところで、九天がにこやかに脇腹を殴って声を封じる。


 杜甫は、しっかりと頷いて、


「相違ございませぬ。彼奴きやつこそが、これまで何度も旅人を騙し殺め、肉をいで黄牛あめうしの肉と偽り、『天下に二つと無い逸品の饅頭』と称して、高額な値で売りつけていた、誠に許しがたき悪党でございます」


 と、滔滔とうとうと述べた。応究はうずくまりながら、「も、もうしわけない」と呻く。六合は、顔を伏せて肩を震わせ、必死に笑いをこらえていた。


 九天が、杜甫に笑いかけて言った。


「わかりました。では、これからあの男を、地獄へ送ります。間違いを防げて助かりました、ありがとうございます。あなたはもうお帰りになってよろしいですから、これをお飲みなさい。すぐによみがえれます」


 そして杜甫の縄をいて、茶碗を手渡した。杜甫は、それをぐっと飲み干すと、すぐにくたりと倒れ、眠ってしまった。


「こ、これは?」


 驚いた応究に、九天は片目をつぶって言う。


「あの店にあった眠り薬です。これで、夢を見たと思ってくれるでしょう。――ごめんなさい、あなたを急に、変な芝居に乗せてしまって。この杜甫どのは、多少過剰な演出をした方が、うまく納得してもらえそうだと思ったのです」


「いや、地獄へ送るとか、ぞっとしましたよ。実際やれてしまう立場の方がおっしゃるんですから……」


 応究は、迷惑そうな顔で九天を見た。九天は、慌てて礼をして詫びる。応究は押しとどめて、


「あ、いえ、杜甫どのを導くためですから、気にしていませんよ」


「本当に、すみません。思わず殴ってしまいましたし」


 言われて、応究は脇腹を手でさする。


「そうですね、まだ痛いです」


「姉さんは、本当は素手で熊とか殺せるんだから、気をつけてよね」


 六合が横やりを入れると、九天が赤くなって止めた。


「余計なこといわないで!」


 姉妹のかけあいを見て、応究は笑う。ややあって、思い出して言った。


「そういえば、私もさっき、夢を見ていました。私の首が取れてしまい、それを誰かが後ろ前にくっつけるんです。ひどいですよね」


 その言葉に、九天はびくっと跳ねる。


「え、ええ。よかったですね、夢で! ね、六合」


「本当、よかった。いろんな意味で……」


 九六姉妹は、引きつった笑顔になった。応究は意味が分からず、首を捻った。




 その後応究は、女神たちをともなって李焼りしょうの屋敷に帰った。


 ところが、馬車の準備をしている人数を見て、英貞童女が顔を曇らせる。


「応究どの、これは困ります。私たちが顔を出しにくいではありませんか」


「だったら人界じんかいの服を着れば良いと思いますが……」


 しかし英貞は、そういう問題ではないと首を振る。


「あなた方を、竜虎山りゅうこざんまでいっそくびに連れて行こうと思っていましたのに、部外ぶがいかたがいてはできません」


「ですが、あれは李秀りしゅうの家族です。この荒廃こうはいしたみやこに置き去りにはできません」


「では、私と賀兄弟がきようだいだけ送っていただくというのは?」


 応究が提案したが、英貞は首を振る。


「そうなると、長い道中、残りの方たちを守ることができないでしょう。それに、百八星もまだ全部集まっていないのですから、やはり旅を続けてもらうしかありません」


 結局、英貞が聞き入れないので、長い距離を馬車で行くしかなくなってしまった。




らいせん怪我けがをしたそうね。具合はどう?」


 六合は、雷先を見舞みまった。腕をって不自由に荷造にづくりをしていた雷先は、痛みも忘れて駆け寄る。


「いや、大したことありませんよ。ほら、全然動けます」


 無理して腕を上下させ、やっぱり痛がる雷先に、六合は謝った。


「ごめんなさいね。薬水がもう無くて、大事なときに傷を治してあげられないの」


 うれい顔になる六合に、雷先は笑って見せる。


「いえ、収星はほとんど終わったし、ゆっくり治す時間はあります。そうだ、お茶をれますよ」


「あ、それなら私が」


 二人は手を触れたり離したりしながら、互いに赤くなりつつ、笑いあった。


 こうせんがそれをはたから見ていて、からかいに行こうとしたが、


「あの二人、そろそろ互いの気持ちを打ち明ける時期かな。野暮は止そう。俺もまだ、突っ込み入れられるほど動けないしな」


 そう独りごちて、その場を離れた。




 別の男女の声がするので、鋼先はひょいと炊事場をのぞいた。いたのは、応究と九天玄女だった。


「大丈夫ですか? あばらが折れたりしてないかしら」


 九天に脇腹をさすられて、応究は照れ笑いしている。


「な、なんともないですよ、恐れ多いです。それにしても、九天様の判断はお見事でした。あの杜甫どのを、すっかり安心させて。私も、人の上に立つ身として、学ばせていただきます」


「ま、まあ、恥ずかしいですわ……!」


 二人のやりとりを見て、鋼先は驚きながらも笑った。


「おっと。こっちはこっちで、捨て置けないな。応究さんはさしずめ、行動力のある女性に惚れるといったところかな。


……いてて、寄り道ばかりしてられない。みんなの怪我を、早くなんとかしてもらわなきゃ」




 そのまま鋼先はつえを使ってよろよろ歩き、英貞にあてがった部屋を訪れ、挨拶あいさつをする。


「馬嵬での戦いで、俺を含めて全員が大きな怪我をした。萍鶴がもっともひどくて、手も足も動かせないから、飛墨で治療することも叶わない。お願いだ、何か薬をもらいたい」


 しかし、英貞は申し訳なさそうに、薬水が切れていることをげた。


 鋼先は、無言で肩を落とす。女神はただ沈黙ちんもくしていた。


「そう言えば、魯乗ろじょうの姿が見えませんけど」


 ふと気付いて英貞が聞くと、鋼先は、うなれたまま答える。


「魯乗は、いや、こうえんは、もういない。彼のこんぱくは消えた」


「どういう意味ですか、それは。ねえ、賀鋼先?」


 英貞が、驚いて目を見開いた。


 鋼先は、己の痛みに耐えながら、一部始終を説明する。


 英貞は無言で聞き、終始うなずいていた。




 ◇




 さて、以前に鋼先がらいしたので、女神たちは今回、フォルトゥナをこくさせるためにやって来たのだが、鋼先がそれにことわりを入れた。


「みんなが怪我をしてるから、竜虎山まで一緒に行くんだと。確かに、彼女が世話してくれるのは助かる。そういうわけで、この件は後回しでお願いしたい」


 その後、洛陽らくようちょうあんでの出来事など、一通りの話が終わり、地刑星たちも収星した。朔月鏡さくげつきょうの裏を見てみると、抜けている名前はあと四つ。鋼先の天魁星と輝影の地文星を除けば、残りは二つである。


 英貞が、


「もう少しですね。うまくめぐり会えると良いのですけど」


 とため息をつく。鋼先は、ふと思い出して言った。


「昨日、天魁星を訊ねてきた男がいた。立派な身なりの、武将ぶしょうのような男だ。そいつがこの鏡に突進してきて、勝手に吸い込まれていったんだ。でも魔星じゃなかったらしい」


 と、その時の様子を語った。英貞は頷き、


「ならば、その者は竜虎山にいるのでしょうね。私たちが確かめておきます。では、向こうでお会いしましょう」


 そう言って、九六姉妹を連れて去って行った。




 ◇




 ようやく準備が整い、収星陣しゆうせいじんと李焼一家は、南へ向かって出発した。


 怪我人をづかい、なるべく通りやすい道を選んでゆっくり進む。


 応究は、安全にたどり着けるよう、宿を取るたびに土地の人から話を聞いた。そうするうちに、戦乱せんらんじょうせいなども、自然と耳に入る。


――ようぼっし、楊国忠ようこくちゅう外戚がいせきたちも、兵乱へいらんで殺された。だがそれにより兵たちは落ち着きを取り戻し、げんそうらは事なきを得た。


 そして、こうたいこうが父に代わってそくし、とく改元かいげんした。国内の兵力では燕軍に勝てないと覚悟した唐は、ぼくかいおんを通じてウイグルから兵を借り、ようやく燕帝国えんていこくへの反撃が始まった。退たいしてじょうこうとなった玄宗は、今はしょくせいまで逃げ、戦乱が終わるのを待っている。


 一方で、洛陽らくようにいたあんろくざんは、長安を奪取だっしゅしたことで、すべてに勝ったと思い込み、りゃくだつの限りを尽くした。しかし至徳二年(七五七)一月、ゆうこうてい安禄山は、息子のあんけいしょらに殺害され、あっけなくしょうがいを閉じる。


 しかし、だいえんていとなった安慶緒は、酒に女に遊びふけるばかりで、良い国をつくろうという意図いとなどかいであった。


 燕帝国は、地盤が固まらないうちに、早くも腐敗を始めていたのである。




(第四部 完)

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