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第六十一回 幻想する皇帝




 宿舎棟裏しゅくしゃとううらの広場で、らいせん陳玄礼ちんげんれいたいしていた。


 陳玄礼の長槍には、さきかまじょうが付いている。それを大きく振り上げ、雷先ののうてんけて打ち下ろしてきた。


 雷先は良く見て、飛びすさって槍をかわす。しかし、陳玄礼は鎌で地面をとらえ、それを支えにしてぼうはばびのようりょうで体当たりした。


「うわっ」


 雷先は大きく吹っ飛ぶ。陳玄礼はすかさず、槍を捨てて組み付き、腕を取って寝技ねわざを決めた。雷先のひじが不自然にかえり、湿しめったえだれるような音が響く。


「ぐあああっ!」


 そのとき、雷先の悲鳴を聞いて、百威ひゃくいが飛んで来た。しかし陳玄礼はパッと跳ね起きて、後方回転しながら百威を蹴り飛ばす。


「キィィィッ!」


 百威が、あわや地面に落下する寸前、走って来た人物が両手で受け止めた。


 陳玄礼は、それをげんな目で見る。


「何者だ、名を聞こう。私は竜武大将軍りゅうぶだいしょうぐんの陳玄礼だ」


竜虎山りゅうこざんちょうおうきゅう。そこのらいせんの仲間だ」


 その声を聞き、雷先が腕を押さえながら立ち上がる。


おうきゅうさん、来てくれたんですね。そいつには魔星がいる、気を付けて」


 応究はうなずいて、百威を放し、陳玄礼に言った。


殿でんの名は聞いている。昔、きゅうちゅう政変せいへんしずめたちゅうしょうか」


「そうだ。老いたと言えど、まだにぶってはおらぬぞ」


「そのようだな。では、参る!」


 そう言って応究は、鋭くりを放った。陳玄礼は片膝を上げて受け止め、そのまま蹴り返す。応究はももを蹴られて体勢たいせいくずしたが、身体を側転そくてんさせて転倒をのがれた。


「若いの、少しはできるな。では久しぶりに、本気を出そう」


 陳玄礼はほほ笑むと、先ほどの槍を拾って突いて来た。


「え? おい、こっちは素手なのに、武器を使うのか」


 意外を口にする応究に、陳玄礼は笑う。


「甘っちょろい奴だな。御前試合でもしてるつもりか」


 陳玄礼は、槍を繰り出した。低空を飛ぶような、けにくい連続突きであった。


「くっ」


 応究は、下腹部辺りに迫る槍を、前後左右に動いて躱す。すると次は、顔面や目元に変えて突いてくる。さらに次は、腹と顔を交互に襲い、さすがに見切れなくなってくる。


 陳玄礼が、気迫を強くして言った。


「私の槍を、武器も使わずに良く躱したな。では、本気の速度で行くぞ!」


「なにっ」


 陳玄礼の槍は、倍の速さになって、上下左右に襲いかかって来た。応究は何度かかすり傷を負った。


「このままじゃまずい。なんとか槍を封じなければ。……そうだ」


 追い詰められた応究は、羽織っていた上着を脱ぎ、後ろに捨てた。陳玄礼は、目を閉じて首を振る。


「身軽になったところで、躱し切れんぞ。まだまだ速くなる!」


 その言葉が終わる前に、陳玄礼の槍が応究の顔面に迫った。しかし応究は、のけるように躱したかと思うと、そのままばたりと仰向けに倒れてしまった。


 陳玄礼はにやりと笑う。


「腹ががら空きだぞ」


 そして、地面ごと串刺しにするかのごとく、連続で槍を繰り出す。応究は、転がって躱しながら、捨てた上着を拾うと、槍の穂先に向かって投げ、巻き付けて封じ込めた。


「なにっ」


 陳玄礼が驚いたのを見逃さず、応究はぱっと立ち上がり、きょうれつな拳を打ち込んだ。


「ぐおあっ」


 陳玄礼は、もんどり打って倒れる。そのまま、少し身体を震わせていたが、やがて動かなくなった。


 応究は、彼が気絶したのを確認して、雷先に駆け寄り、腕を見た。


「これはすじを切られている。手当してやるから、辛抱しんぼうしろよ」


「すみません、応究さん」


 雷先はうなれた。




 ◇




「陛下、フォルトゥナです。あんろくざんから逃げて来ました。どうか一緒に連れて行ってください!」


 扉の前でフォルトゥナが哀願あいがんすると、すぐに開かれた。鋼先こうせんは、すかさずとつにゅうする。


「な、何者だ!」


 扉を開けた老人が驚いてさえぎろうとしたが、鋼先は当て身をして気絶させた。


 皇帝が泊まるだけあって、この部屋は広かった。倒れた老人を含め、四人の男女がいる。


 鋼先が指示を出した。


「フォルトゥナと魯乗ろじょう、魔星の確認を。へいかくは入口をふさいでくれ」


 三人は頷く。萍鶴は扉にかんぬきを差した。フォルトゥナは朔月鏡さくげつきょうを向け、魯乗がのぞき込む。


「陛下にてんせいこうたいちんせいばいにはてんぱいせいじゃ。倒れているのは宦官かんがんこうりき、魔星はおらんな」


「分かった。じゃあ、さっさと済ますぜ」 


 鋼先は仏頂面ぶっちょうづらついけんを構えた。しかし、梅妃が目を怒らせて怒鳴る。


ひかえなさい! この方は、だいとうていこくの皇帝陛下ですよ!」


 だが、鋼先は同じくらい目を怒らせる。


「それがどうした。国も民も見捨てた奴らが威張るんじゃねえ!」


 そう怒鳴って、卓を蹴り飛ばした。驚いた梅妃を、萍鶴がぼくで気絶させる。


「ば、梅妃! おのれ、何をする」


 玄宗が怒って立ち上がる。すると魯乗が、形ばかりの礼をして言った。


「落ち着かれよ陛下。わしはこうえん、お久し振りじゃな。――なに、がいを加える気はない。ちょっとき物を取らせて頂くだけじゃ」


 すると、今までだまっていた皇太子が立ち上がった。


「そうはさせん。せっかくここまでぎ着けたのだ」


 そう言って、帯にはさんでいたしょうとうを投げた。


「危ない!」


 鋼先たちは身を躱したが、皇太子は立て続けに投げる。フォルトゥナはうまくけられず、首筋くびすじに小刀を受けてしまった。


「ううっ」フォルトゥナは首を押さえてうずくまる。押さえたが、血が大量に噴き出して来た。


「まずい。萍鶴、血を止められるか?」


「やってみるわ」


 フォルトゥナの朔月鏡を魯乗に預け、萍鶴はフォルトゥナを看る。


 そのすきに皇太子とげんそうが、おくの部屋へと逃げた。鋼先と魯乗はそれを追う。部屋へ入ったところで、鋼先が皇太子に組み付いた。


「おい、漕ぎ着けたってのはどういうことだよ?」


 皇太子とみ合いながら、鋼先が訊く。皇太子はうすわるく笑った。


「ふふふ。急激な政治のらくと、安禄山の叛乱はんらん。これが偶然ぐうぜんに起きたことだと思うか?」


 皇太子は四十半しじゅうなかばの壮年そうねんで、りょりょくが強い。鋼先は肋骨をめ上げられてあえいだ。


「お前たちが、魔星できょうらくしていたからだろう!」


 絞め技をはずし、鋼先は思い切り皇太子の腹を蹴って離れた。皇太子は多少咽たしょうむせせたが、余裕の笑いを消さない。


「享楽はしていたが、それも計画の内ということだ。――父は、前半のせいえいきわめた。人口は増え文化もえんじゅくし、かんていしのぐほどの大帝国に完成した。だがそれだけでは、父はただの明君めいくん。いささかものりない。古代、いんちゅうおうは、腕力と知力に優れながらも、だっいろおぼれて討伐とうばつされた。だがそれ故、人々の心に残った。めいあんも備えた方が、歴史として味があろう」


「おい、まさか」


 鋼先は、いやな予感がした。


 皇太子に代わって、玄宗が続きをべる。


「そうだ。魔星の力を使って、えて堕落と、叛乱を招いた。ちんとうさかえさせ、そしてとす。史上に、一国をここまできょくたん盛衰せいすいさせた者はいない。これほど快挙かいきょがあろうか!」


 玄宗と皇太子は、陶酔とうすいした顔で高らかに笑う。


 鋼先の怒りは、頂点に達した。


「ただのあくしゅな野心じゃねえか。どれだけの人間がせいになったと思う? とっとと魔星をき出して、一からやり直せ!」


 鋼先のごうに応ずるように、魯乗が皇太子目がけて、念力で文鎮ぶんちんを投げた。かねが鳴るような音を立てて頭に当たり、皇太子はよろける。鋼先はすかさず、彼の腹に追魔剣を刺した。


「ぬうううっ!」


 光を発し、地鎮星が抜け出る。皇太子は倒れた。魯乗が素早すばやしゅうせいする。


 しかし、その様子を見ても、玄宗は笑いを消さなかった。


「なあ羅公遠よ。以前、お前がきゅうていに来たとき、朕にかくの術を見せてくれたな」


「どうかしたか、それが」


 玄宗は、感謝するような礼をして、薄笑いを見せ、


とくしたぞ、あれから。魔星の力を使ってな」


 次の瞬間、玄宗の姿がふっと消えた。二人はあせって見回す。


 鋼先が、制して言った。


「魯乗は離れてろ、俺が闘う」


「鋼先、すまぬ。わしがつまらんことを教えたばかりに。気をつけろ」


 びを述べる魯乗に、鋼先は振り返らずに苦笑した。


「それにしても、皇帝陛下と一騎討ちだなんてな。いい土産話になるぜ」


 しかし、鋼先は胸に強い衝撃を感じ、後方に吹っ飛んだ。


「うおっ」


 倒れたが、すぐに起き上がると、元の位置に戻って抱きかかえる動作をする。


「くそっ、どこだ」


 何度も繰り返したが、つかまるはずはなく、息が切れた鋼先は、また打撃を受けて吹っ飛ばされた。


「いかん、このままではらちが明かぬ。萍鶴を呼んでくるぞ」


 魯乗はそう言って、扉に向かおうとした。


「ぐあっ」


 しかし、倒れている鋼先がさらに攻撃を受けていた。額や肩から、血も流れている。刃物を使われているようであった。


「鋼先! おのれ李隆基りりゅうき、それが皇帝たる者のする事か!」


 魯乗は皇帝を本名で呼びながら、鋼先の周囲目がけて念力で調度品ちょうどひんを飛ばした。茶碗や壺がだなに当たってれつしたが、玄宗に当たった様子はない。


 魯乗は、卓上に有ったすずりを飛ばす。すると、中の墨が飛び散ってちゅうくう付着ふちゃくした。部分的にだが、人の形がわかる。


「あそこか」


 鋼先が血まみれのまま立ち上がった。


「鋼先、無理をするな」


「止めるな。やられっぱなしは嫌だぜ」


 鋼先は、ふらふらとしたあしりで追魔剣を突き込む。しかし強くはじき返され、鋼先はって倒れそうになった。


「魔星は渡さぬ、死ね!」


 玄宗は、がらきになった鋼先の腹を目がけて斬る。しかし、鋼先は悪い体勢からそれを弾き、壁を蹴って玄宗のふところへ飛び込んだ。


「なにっ」


 驚いた玄宗の胸に、追魔剣が突き立つ。強い光が起こった。


「しまった、ぬおおおっ!」


 ぜっきょうする玄宗に、鋼先が苦笑くしょうする。


「ようやく、酔剣すいけんが当たったぜ。少しはじょうたつしたかな」


 しかし、鋼先の出血は多かった。荒くなる呼吸とともに、くずれるように膝をつく。


 玄宗の身体から、天貴星が出た。同時に穏れ身の術が解ける。


 そのとき、部屋の扉が開いて声がした。


「こちらへ来い、天貴星。長い間ご苦労だった」


 天貴星はうつろな目で声のぬしの方へ歩く。鋼先と魯乗が驚いて振り向くと、薄笑うすわらいを浮かべた老人が立っていた。


 宦官の高力士である。


「どういうことだ。あんたには、魔星はいないはずだ」


 追魔剣をつえにしながら、鋼先が立ち上がる。そして隣の部屋へ呼びかけた。


「萍鶴、おい、無事か?」


「彼女には、ちょっと眠ってもらいましたよ」


 高力士は、そう言ってただ笑っている。玄宗が起き上がり、ふらふらしながら椅子にかけて言った。


「魔星を操っていたのは、彼だ。宮中に魔星を集め、朕の願いを果たそうとしてくれていた」


 そして拝むように礼をした。高力士が笑ったまま頷く。


「私自身は、魔星とあいしょうが悪いのです。だが、これのおかげで、魔星に言うことを聞かせられました」


 そう言って、ひとりの剣を見せた。古ぼけたちょうけんだが、禍禍まがまがしい気配を魯乗は感じる。


「まさか」


 魯乗が朔月鏡を向ける。鏡に映った剣に、「てんかんせい」と重なり出た。


「私がまだ若い頃、宝物殿ほうもつでんの整理をしていて、この松紋古定剣しょうもんこていけんを見つけたのです。この剣は、宿った天間星の影響で、魔星を出し入れできる力を持っていました。宮中にいると、たくさんの人が訪れ、物も集まります。私はその中にいた魔星を、剣の力で操っていました。使いどころのある者に宿らせて、意のままに動かして来たのです」


 高力士は、うっとりとした笑みを見せた。

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