やがて兵士たちは
「
「つらいでしょう。……いいのよ、声に出して」
李秀は
「楊家の人たちは、責任を取らなきゃいけないのは分かる。でも、ここで突然殺されるなんて……!」
そのとき、宿舎の扉が開き、二人の
「……だめ、逃げてよ」
李秀が小さくつぶやく。楊貴妃は、冷ややかな目で兵士を
「この私を、殺すだと? お前たちがか?」
すると、
「そうだ! もう、
その瞬間、楊貴妃は矢のように飛び出し、指先に光る長い付け爪で、その将兵の首を
ごろりと頭が落ち、続いて身体が倒れる。切り口からは、
楊貴妃は、軽く首を捻ると、尋ねるように言う。
「はん。平身低頭は、そちらではないかえ?」
楊貴妃はざっと踏み込み、隊列の次にいた二人を斬る。
「ひ、ひいいっ!」
兵士たちはおののいて後退する。
すると、楊貴妃の後ろにいた二人の侍女が飛び出し、身の丈を超える
兵士たちは、更に叫び声を高くしながら、その場で腰を抜かしていく。
「……そんな、母さん。あたし、やっぱり、やらなきゃだめなのかな」
李秀は、眼前の光景を見て、硬直していた。
楊貴妃は、爪に付いた血を振り払いながら言う。
「お前たちなど、
そして両手を交差させ、
「お前たちにも、見せてやろう。私が宮廷で舞った、『
そう言って、楊貴妃は
兵士たちが、四つん這いになりながら逃げ出したとき、李秀がその場に飛び込んだ。
「もう、やめて。……あたしが、相手に、なるわ」
切れ切れに言う彼女を見て、楊貴妃は、驚きつつも
「はん、生意気な
李秀は奥歯を
「そうか、今は分からないんだね……でもいいや、それなら思い切り戦える」
「戦う? 本気で言うのかい?」
問いかけながらも、楊貴妃は
「今日という日を、待ちに待ったわ。行くわよ、
「なに」
叫ぶと同時に、李秀は高く跳躍した。天衰星と呼ばれて驚いた楊貴妃に、双戟で斬りかかる。
「「お待ちなさい」」
しかし、左右の侍女が、同時に言いながら長戟で割り込み、李秀を
「「貴妃さまには、触れさせませぬ」」
戟は、長さを利用して大きく振り回される。そのまま連続した攻撃が始まり、接近戦が得意な李秀が、
「一人じゃ不利だ。俺も行く」
見かねた
「待て。貴様ら、
陳玄礼は、
陳玄礼が、兵士に向かって叫んだ。
「お前たち、
しかし、兵士たちは顔を見合わせて震えた。
「燕軍が来たなら、もうお
そして
「待て、逃げるな。陛下をお
陳玄礼は、兵を追って走る。フォルトゥナが、
「今の人に、魔星がいます。
雷先が、すぐにその後を追いかける。
「わかった。俺に任せろ」
「頼む、兄貴」鋼先は振り向き、残りの仲間に言う。
「
三人が
鋼先・
◇
「
楊貴妃が、指先で合図を送る。
「「
一人が上を狙うともう一人は下、また右なら左と、
「この人たち、速い」
李秀は、
すると、斬撃がひと呼吸、
「ど、どうして手加減するの?」
李秀が不思議そうに訊くと、双子は、構えを崩さずに言った。
「あなたは小さい。軽い打ち込みしかできませぬ」
「だから、相手の勢いを利用した戦い方をなさるはず」
「「そうはさせぬよう、こちらは緩く攻めるのでございます」」
そう言って、再び斬撃を繰り出した。
「ううっ!」
李秀は近づけぬまま躱し続けるが、そのうちに、だんだんと動きが鈍くなってくる。
「わざと躱させて、あたしが疲れるのを待ってる」
李秀が、
しかし、逃げはしない。
首は傾けずに、ちらりと、上を見る。
突然。
上空から、二羽の鳥が
二人が
「「不気味なことをする鳥がおりますね」」
二人が
戟は二人の間をすり抜け、楊貴妃の
「「
黄姉妹が振り返るのと同時に、李秀は飛び込んで
姉妹は、同時に倒れる。
「ほほほ」
楊貴妃は、笑った。
首を傾けて躱した戟が、後ろの柱に突き刺さっている。
「やるわね。じゃあ来なさい、お
そう言って、楊貴妃は戟を投げて返す。
李秀はそれを受け取り、上を見て声をかけた。
「ねえ百威、雷先を助けに行って。あたしは、もういいから」
言われた百威は、心配そうな一声を上げる。
李秀は、ただ首を振った。
「今からのこと、あなたにも見せたくはないの」
止めても無駄と分かったのか、百威は大きく
楊貴妃は、
「大した自信だね。何が目的なの」
李秀は、ゆっくり歩み寄る。
「あんたたち百八星を封じることよ」
李秀が、
と、同時に、
「はあっ!」
楊貴妃は、いきなり
「くっ」
李秀は戟で受け流したが、楊貴妃は
「ううっ」
「それっ!」
そのまま、楊貴妃は
「渡さぬ! 天衰星は、絶対に渡さぬ! やっとここまで唐を追い詰めたのだ。
楊貴妃は目を血走らせ、狂ったように斬撃を続けた。黄姉妹のときとは逆に、ひたすら激しく、ひたすら速く繰り出す。
「ああっ」
李秀は、受ける度に手や足を流し斬られ、
「聞きなさい! これは、この反乱はね!」
楊貴妃は、天をにらんで叫んだ。
「この国に
お前のような! 小娘の! 出る幕では無あああいッ!」
楊貴妃は、両手を十字に組み、李秀に振り下ろした。
「くううっ!」
李秀は、これを双戟で受け止めたが、
「うらああああああっ!」
楊貴妃は、巻き舌で叫びを上げながら、渾身の力を込めて圧した。
爪が、李秀の頬に食い込み始める。互いの顔が、息もかかるほど近い。
「ううっ」
李秀の瞳に、真っ赤になった楊貴妃の目が反映していた。
そこには、唐の大地のすべてが、真っ赤に染まって映っているようだった。
「だめ、とても違いすぎる」
李秀の右膝が、がくりと崩れ落ちる。
しかし、そのぐらつきに力が余り、楊貴妃は一瞬、よろけた。
「はっ!」
李秀がそのまま、仰向けに地面に倒れる。
楊貴妃は、さらに浮き上がった胸元を蹴られ、
李秀が、蹴った反動で地面を滑り抜けると、起き上がりながらつぶやいた。
「危ない。気持ちまで圧されるところだった。魔星の影響だって、わかってたはずなのに」
そして、李秀は決意をした顔になって言った。
「そうだ、
そして、走り回るのをやめ、楊貴妃にゆっくり、真っ直ぐ向かって来る。
「ふんっ!」
楊貴妃は、鋭く爪で斬り付けた。
しかし李秀は、それを最小限の払いで躱す。
そして、じりじりと間合いを詰めて来た。
「はあっ!」
いきなり李秀は跳び、一気に懐に入って来た。
だが、楊貴妃も跳び、一瞬速く着地する。
「読めるわよ」
楊貴妃はあざ笑い、李秀の両手首を
「やあっ!」
李秀は、その場で後方に宙返りを打った。それは両足で楊貴妃の顎を狙った、下からの蹴りとなる。
「これも、ね」
しかし楊貴妃は笑い、自分も宙返りを打った。二人は互いにずれた蹴りを打った形になり、どちらも空を切る。
「はあっ!」
先に着地した李秀は、楊貴妃の着地を狙って斬りつけてきた。
だが、
「しまった!」
李秀が声を上げる。
彼女が斬ったのは、楊貴妃の長い
楊貴妃は、跳ぶ瞬間に、わざと脱げるように留め具を外していたのである。
「ふんっ!」
真っ二つになった裳裾の後ろから、楊貴妃は、高い回し蹴りを繰り出した。
李秀はそれを頬に受け、後方にふっ飛ぶ。
楊貴妃は笑った。
「馬に乗るために、下には
「まずい」
李秀が歯がみした。細い袖と
「行くわよ。霓裳羽衣の、絶技を見せてあげる」
「えっ」
楊貴妃は、華麗に踊り始める。空を舞うように、ふわりと跳び、くるりと回る。
そして、その舞を速めた。急に接近し、李秀を大きく蹴り飛ばす。
「うわっ!」
転倒した李秀に、楊貴妃はすぐに
「ううっ」
李秀はかろうじて双戟で受けた。その衝撃に彼女がよろけたとき、楊貴妃はまたも、ふわりと跳ぶ。
「こっちよ」
そう言って、楊貴妃は李秀の背後に着地した。
「あっ」
李秀が振り向こうとしたとき、楊貴妃は、李秀の両肩を押さえた。
「どうする? 今度は跳びにくいでしょ。じゃあ、このまま首をいただくわね」
楊貴妃はそう言って舌なめずりをする。
「えっ」
李秀が青ざめた瞬間、楊貴妃はそのまま両手の爪を交差させ、李秀の首を刈った。
「さようなら!」
「ううっ!」
しかし、李秀は
そしてそのまま、楊貴妃の脇腹に、双戟を打ち込む。
「あぐっ!」
当たったのは
「やああっ!」
李秀はさらに回転し、同じ打撃を、連続で入れた。楊貴妃の右肋骨が、下から順に、丁寧に折られていく。
「う、う、うううあああッ!」
楊貴妃は、その激痛に大声を上げる。
そして最後に、李秀は楊貴妃の
「そ、そうか……これは、
楊貴妃は、呻きながら、倒れる。
そして地面に強く頭を打ち、気を失った。
◇
李秀は、警戒を解かずに、ゆっくりと近づく。
楊貴妃は、すぐに目を覚ました。
しかし、その表情は、狂気が抜けているように穏やかに見える。
「ああ、
青白い顔で、楊貴妃はほほ笑んだ。
「母さん……」
李秀は、双戟を取り落とす。そしてゆっくり歩み寄った。楊貴妃は、弱々しく
「莠児、なぜ、斬らなかったの。この国を
しかし李秀は、泣きながら首を振った。
「旅に出たときは、母さんと刺し違えるつもりだった。……でもやっぱり、斬れるわけないよ。だって母さんは、まだ正気があるもの。お願い母さん。天衰星を収星するから、ここから逃げて。お願い」
楊貴妃は、娘の頭をそっと
「……無理よ。私は、責任を取らなければ。それに、天衰星を失ったら、どの
「始末? 誰に?」
驚いて見上げる李秀に、楊貴妃は答えた。
「莠児、気を付けて。魔星を裏で操っているのは、」
「う、ぐううっ!」
聴いていた李秀の背中に、激痛が走る。
振り返ると、戟が刺さっていた。戟手の黄鈴布が、峰打ちされて
「そのことは
「やめて、
楊貴妃は哀願した。しかし、反対側から黄鈴貴が戟を突き込んで来る。
「貴妃さま、おどきください」
「させないわ!」
楊貴妃は立ち上がり、両手を広げた。その
「あああっ!」
目を見開いて、楊貴妃は叫んだ。
しかし倒れることなく、戟を握って、奪い取る。
「はあっ! はっ!」
そして大きく
二人が倒れると、楊貴妃は戟を投げ捨て、
「莠、莠……児! しっかり……して」
しかし李秀は、背中から溢れ出す熱い血を感じつつ、意識を失った。