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第五十八回 李秀の実家




 こうせんたちは、燕兵えんへいを振り切ってきゅうしゃに行き、馬車を奪って乗り込んだ。鋼先がぎょしゃとなり、街道を通って西へ進む。


「追っ手は来ないな。これで少しは落ち着ける」


 後ろを見て、鋼先は速度をゆるめた。収星陣しゅうせいじんも座席で安堵あんどの息をつく。魯乗ろじょうが言った。


「危ないところじゃった。すまんな、幻術がおとろえて」


 らいせんが言う。


「びっくりしたぞ。これから先も、ああなのか?」


「おそらくな。あんろくざんとの戦いで、かなりの力を失った。……これからが大変だというのに、くちしいわい」


ちょうあんへ行くのですか?」


 フォルトゥナが心配そうに訊ねる。鋼先が答えた。


「ああ。すでに潼関どうかんが落ちて、燕軍えんぐんちょっこうしている。楊宰相ようさいしょうえんに捕まったりしたら、しゅうせいが面倒になるからな」


 そこで李秀りしゅうが、苦しげな声で言う。


きゅうていの魔星は、さいしょうだけじゃないよ。だから鋼先、急いで」


 皆はだまって、李秀を見た。鋼先は苦笑くしょうして、馬にむちを当てる。


「そうだろうと思ってたぜ。残りの魔星は約二十、それが長安に集中していると見ていいな。じゃあ李秀、ここまで送って来た礼に、長安で一杯奢いっぱいおごれよ!」




 ◇




 数日旅すうじつたびを続けて、収星陣は長安に入った。燕軍も来ているが、まだ数が少ないので、街のしゅうげきなどにはいたっていない。


「宮廷に行こう。宰相はそこにいるわ」


 そう言って李秀が御者を替わり、ちょうあんじょうないを走る。しかし、こうきょに近付いたところで急に裏の路地ろじへ馬車を止める。


「……やっぱり、寄って行こうかな」


 つぶやく李秀に、雷先が訊く。


「どこだ、ここは」


 李秀が馬車を降り、ちょっと大きい屋敷の門を開けて答えた。


「あたしの実家よ」


 李秀はすっと門に入る。すぐに、うれしそうに笑う男の声が聞こえ、そして李秀と共に門に現れた。


「ようこそ、皆様。あなたがたが、竜虎山りゅうこざんの! いやいや、むすめがお世話になっております。私は李焼りしょう、この娘の父親でございます。今は引退しましたが、朝廷でぎょだいに勤務しておりました」


 そう言って、にっこりと笑った。隣にいる婦人が言う。


「李秀の母で、しんぎんと申します。皆様お疲れでしょうから、どうぞゆっくりしていってください」


 沈銀は使用人たちを呼び、宴会の用意をさせた。とりあえず酒が出され、飲んでいる間にどんどん料理が運ばれて来る。長旅ながたびで疲れていた鋼先たちは、久しぶりに心身しんしんを休めることが出来た。


「こんなせいじゃ、開いてる飲み屋も少ないからね。うちでもいいでしょ?」


 李秀が笑う。鋼先も笑ってうなずいたが、魯乗ろじょうだけは何か言いたげな様子で李秀を見ている。李秀もそれに気付き、視線で「あとで話す」と伝えた。




 夜になり、収星陣は部屋を借りて休む。


 中庭なかにわに呼び出された魯乗は、声をひそめて李秀に訊いた。


「わしの思い違いか? てっきり、お主の親は」


 そこで李秀は手を突き付けて制する。


「ううん、予想の通りよ。あの両親は、あたしを育ててくれたようなの。でも、あたしは自分のしゅっせいを知らないことになってる。だから、ここに寄ろうか迷ったのよ」


 魯乗は頷く。


「そうじゃったのか。……しかしそれなら、お主が知っておるのは何故なぜじゃ?」


 すると李秀は、ぐっと目を閉じて答えた。


「知りたくもなかったのに、本人が伝えに来たのよ」




 ◇




 その頃鋼先は、李秀の両親に呼ばれて客間きゃくまにいた。


「俺に話って?」


 鋼先が訊くと、両親はいきなり礼をする。


「娘を無事にお守り頂いて、感謝の言葉もありません。旅をするだけでも大変ですのに、こんな戦乱せんらんまで起きてしまうとは」


 そう言う李焼に、鋼先は礼をして答えた。


「いや、助けてもらってるのはこちらの方だ。しかし、今の李秀には何かそうな決意を感じる。気のせいだろうか?」


 それを聞いて、李焼は深く頷く。


「おそらくむすめは、これから命をけるでしょう。私たちは、一緒に暮らして長い。あのの考えていることは、よく分かります」


「……やっぱり、わけありか」


 鋼先が言う。今度は、沈銀が説明した。


「実は李秀は、私たちの子供ではありません。幼い頃に両親と引き離され、殺されるところだったのを、主人がこっそり引き取って来たのです」


「本当かい」


 驚く鋼先に、沈銀は続ける。


「あのは、現皇帝の直孫じきそんに当たるのです。しかし、ある事情から、それが表向きにできなくなり、あの娘は産まれていないことにされました」


 つらそうな声の彼女を止め、李焼が引きいだ。


「殺害を命ぜられた男が私の友人でして、困って相談に来たのです。それでひそかに引き取りました。私もまったんですが宗室そうしつ(血縁の遠い皇族)なので、そうゆるかったのです」


「捜査?」


「その友人をふくめ、あの娘の出生を知っている者は、みなされました。それほどまわしい存在です」


 鋼先は頷いた。


「そうだったのか。前からある程度は、想像がついていたよ。李秀が自分から言い出すまでは、訊かないことにしていた」


 すると夫婦はまた礼をする。


「ご配慮はいりょに感謝します。私たちも、表向きは何も知らず、本当の親子として暮らしていました。あの娘も、ないの親戚の郭子儀将軍かくしぎしょうぐんに武芸を教わったりと、元気過ぎますが優しい子で、一昨年おととしまではごく普通に生活していました。……しかし、誰かがあの娘に事実を教えたらしく、急にふさぎ込むようになったのです」


「特に自分からは何も言わなかったのか」


「ええ。ですが急にたいかんつとめたい、などと言い出しまして。あまりにも真剣に言うので、私のえんを頼りに、男装だんそうまでして入りました。その結果、何かを感じたらしく、竜虎山へ旅立ったのですが」


「そうだったのか」


 鋼先は腕組みして少し考え、そして言った。


「じゃあこちらも話そう。李秀と、そして俺たちが何を追っているかを」




 ◇




 翌日、六月十二日。


 李焼の屋敷を出て、収星陣は宮廷へ向かった。


 行きながら、雷先が李秀に問う。


「太史監へ報告とかはしないのか?」


 すると李秀は首を振る。


「あたしが太史監に入ったときには、百八星の件は気にするなと、すでに宰相府さいしょうふから手を回されていたのよ。それで怪しいと思って、一人でこっそり調べたの。だから、このまま宰相府を叩きに行っちゃおう」


 そして、収星陣は唐兵とうへいの服を着て、伝令でんれいの振りをして宰相府へ向かう。門番に呼び止められたが、「潼関からの使いだ」と言うと、すぐに通された。


 宰相府の中では、人々がばたばたと走り回っている。皆怯みなおびえた表情で、これからどうなるのか訊き合っていた。


 突然、婦人の叫び声が上がる。


「宰相はどこ! じょかんは、もうぞく退しりぞけたのでしょうね? 戦勝報告せんしょうほうこくはまだなの?」


 ぎらぎらにかざった、化粧の濃い女性だった。鋼先がこっそり魯乗に訊く。


「なんだい、あのおばさんは」


よう従姉いとこかんこくじん贅沢三昧ぜいたくざんまいこくを食いつぶした外戚がいせきじゃよ」


 その韓国夫人が、鋼先に目を向けて言った。


「お前、伝令かね。せんきょうをおっしゃい、早く!」


 鋼先はさっと礼をして、


「はい。哥舒翰将軍は敗北し、潼関は落とされました。近日中きんじつちゅうには燕兵えんへいが長安に大挙たいきょするとおしです。……宰相は、どこにおわしますか」


 しかし、韓国夫人はそれに答えず、両手で頭を抱えてぜっきょうした。


「そんな! 潼関が落ちたらおしまいじゃないの! に、逃げるわよ。こんなところにいたら殺される!」


 叫びを聞いて、彼女付きの女官にょかんたちもうろたえ出す。さらに彼女の妹もやって来て、同じように騒ぎ出した。


 鋼先が舌打ちをする。


「騒ぐだけで何もしねえな。せっまれば宰相をさがすかと思ったのに」


「まったくね。魔星の力を、贅沢することにしか使ってなかったみたい」


 そう言って李秀が朔月鏡さくげつきょうを見せた。韓国夫人を始め、騒ぎで集まってきた外戚たちに、魔星の名前が重なって映っている。鋼先が大きく頷いた。


「よし。混乱ついでだ、かたぱしからしゅうせいしよう。もう変装へんそうもいらねえ」


 そう言って兵服を脱ぎ、ついけんを抜く。雷先たちも兵服を捨て、めいめい武器を手にした。フォルトゥナは李秀から朔月鏡を受け取り、収星のかかりとなる。


「嫌よ! 私はまだ、買うのを楽しみにしているものがたくさんあるんだから! 私は貴族なのよ! 皇族よ! 誰よりも、守られなくてはならないのに! 世の中おかしいわよおおおお!」


 韓国夫人の妹、かくこくじんが、全く状況を受け入れられず、長い長い金切り声を上げている。それを聞いた雷先が、顔をしかめて言った。


「とてつもなく鬱陶うっとうしいな。こうなりゃ、全員ぶちのめしてやるか」


「兄貴、相手はこうな方々だ。『かくもれなくちょうちゃくしてさしあげましょう』と言おう」


 鋼先がそう笑って飛び出し、韓国夫人に追魔剣を刺した。夫人は気絶し、こうせいが抜け出る。


「ああ、あ。こ、こうでいいですか?」


 フォルトゥナが、あわてて鏡で吸い込んだ。それに続くように、雷先たちも暴れ出した。棒が、双戟そうげきが、百威ひゃくいが、念力で飛ぶ仏像が、きょうそうする貴族たちを打ちえる。気絶する彼らに、へいかくぼくを放った。魔星が次々に抜け出て来るのを、フォルトゥナが忙しく収星して回る。しかし、そのせいで女官や宦官かんがんたちがさらにおびえ、宰相府は大混乱になった。


 鋼先はその時、一瞬だけ顔を出して去る男を見た。「今の人、鏡にぞくせいと!」とフォルトゥナが告げたので追いかけると、部屋に逃げ込む。鋼先が追うと、男は腰に下げた鉄剣を抜いた。


「ふふ、とうとう来たな。お前がこうせんか。よく鉄車輪てつしゃりんの手からのがれたものだ」


「あんたが楊国忠ようこくちゅうだな。おかげでえらい目にった。訊きたいことは山ほど有るが、まずは収星だ」


 鋼先は剣撃けんげきを繰り出した。いつも通り、雑で鈍重な剣捌けんさばき。しかし、男はぎりぎりで受け止める。ならばと、鋼先は酔剣すいけんの技で側面に回り込む。かくを狙ったつもりだがそれも当たらず、逆に斬撃ざんげきが来る。体重の乗らない太刀筋だが、鋼先には受けられるぎりぎりだった。


 鋼先はうなる。


「驚いた。こいつ、俺とかくの弱さだ。珍しい」


 すると、男は嘲笑あざわらう。


「腕が互角なら、あとはきの勝負。さあ賀鋼先、位人臣くらいじんしんきわめた男の狡猾こうかつさに勝てるかな?」


「自分で言うな。……だったら」


 鋼先は酔剣をやめて、真っ向から剣を打ち付ける。つばで受け止められたが、そのまま力でした。


「駆け引きをしないのが、駆け引きだ」


 そう言って大きく踏み込み、さらに力を込める。激しい金属音が響き、鉄剣がれた。


「しまった!」


「食らえっ」


 鋼先は下から切り上げるように追魔剣を振る。剣は相手の脇腹わきばらに食い込み、光が起きた。


「ぬううう!」


 叫びと共に倒れ、地賊星が出て来た。鋼先はふうと息をついて膝をつく。しかし、地賊星は首を振っていた。


てんかいせいの兄貴、見事でした。ですが、駆け引きは貴方あなたの負けです」


「なんだって?」


 鋼先が訊くと、地賊星は倒れている男を指さす。


「この男は楊国忠ではありません、身代みがわりの部下です。本人は昨日のうちにこの男に私を移し、逃げています」


 鋼先は、追魔剣を投げ捨てて苦笑した。


「ほんとうに狡猾だな。まあ、それだけ奴らもあせってるってことか」

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