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第五十七回 潼関よ鉄壁たれ




 馬をり、収星陣しゅうせいじんは潼関へ急ぐ。夜を日に次いで北から西へ回り込み、六月の五日には潼関の西端せいたんいたった。こうせんは近くに道観どうかんを見つけたので、顔を出してみる。


 挨拶あいさつを受けた道士が、恭しく礼をした。


ちょうおうきゅう様からうかがっております。お入りください」


 長距離の移動を終え、収星陣は通された部屋に倒れ込んだ。少し休んでから皆で茶を飲んでいると、どうちょうがやって来て言った。


「張応究どのが来られて、あなた方の通行をたすけるようにと。この道観は特別につうちょうが発行されていますので、行き来は簡単です」


 鋼先は礼をした。


「それは助かる。明日、潼関に行って唐の軍にまぎれたいんだ」


「お任せください」


「ところで、おうきゅうさんは?」


 らいせんが訊ねると、道長はため息をつき、


せんきょう緊迫きんぱくしていることを知り、ちょうあんじょうないの道観へ、なん勧告かんこくしに行かれました。あちらの道士たちが戦禍せんかに巻き込まれないように、と」


「そうか。あっちで会えるといいが」


 鋼先が案ずると、皆も頷く。その日は早く夕食にしてもらい、翌日に備えて充分に休んだ。




 翌朝、収星陣は道長に連れられて馬車に乗り、潼関の西側に来た。関門かんもんの向こう側は百里ひゃくり(約五○キロ)に渡ってあいが続き、馬車もすれ違えない道幅みちはば。攻める燕軍えんぐんには不利な地形であった。


 道長が用意してくれた唐軍とうぐん兵服へいふくを着込み、鋼先たちはへいしゃに紛れ込む。


 兵士たちはえんしゅうじょうに集まり、命令を聞いていた。


「燕のぞくどもにおびえるのは終わりだ。我が軍はすでにかんを開き、敵と遭遇そうぐうしている。お前たちも準備を整えろ!」


 兵士たちは弱々しい返事をすると、のそのそと解散していく。士気しきがまるで上がっていないのは、誰が見ても明らかだった。


 フォルトゥナが、命令していた男を見て言う。


「あれは、ふくしょうばつじんですね」


「どうするの、鋼先」


 李秀りしゆうが心配そうに訊く。鋼先は頷き、歩き出した。


「時間が無い。哥舒翰将軍かじょかんしょうぐん直談判じかだんぱんするしかねえな」




 鋼先たちは、司令室で哥舒翰に面会した。


「私が哥舒翰だ。びょうしんゆえ、大勢おおぜいの前で話す体力が無く、号令ごうれいは副将に任せている。――かくのところから来たそうだな?」


 鋼先は、郭子儀が書いてくれたしょうかいじょうを見せる。哥舒翰は目を通し、頷いた。


「あいつにも心配をかけたな。だから、戦うのは一度だけだ。特殊部隊とくしゅぶたい駆使くしして燕軍を追い散らし、また潼関を閉める。これなら朝廷への面目めんぼくも立つし、安禄山にもひとあわ吹かせられる」


 哥舒翰は、鋭い眼光がんこうで言った。鋼先は無言で聞いている。


「君が来る前に、私も郭子儀の勝利を聞いた。あんろくざんは、信頼するめい敗走はいそうして、本気で范陽はんように帰ろうと思ったらしい。燕軍があしった今なら、攻めるにこう。明日、潼関の東の霊宝れいほうたいする」


 哥舒翰はそう言い切って、茶をすすった。病身でせているが、呼吸は落ち着いている。ここまで言われては、鋼先も納得するしかない。


「ならば俺たちは、一段落いちだんらくするまであんたに付いていこう」


 そう言って鋼先は、燕軍で諜報をしていたことを話したので、哥舒翰は喜んでしょうだくした。




 六月八日、両軍は霊宝の西原せいげんで開戦した。


 実は、鋼先たちが残った理由はもう一つあった。朔月鏡さくげつきょうで映した結果、哥舒翰にてんせいいていたからである。しかし、大事な決戦前けっせんまえなのをはばかり、しゅうせいは様子を見ることにした。


 哥舒翰はそうれいかんとしてえい床机しょうぎに座り、副将の火抜帰仁がその言葉を伝える。鋼先たちは前線に出ず潼関の兵舎に入った。無理な移動と戦争による緊張が続いたので、さすがに疲労がまり、眠りに就く。唯一ゆいいつ百威ひゃくいだけが飛び立って戦いの様子を見ていた。


――勇壮ゆうそうしゅつじんした唐軍とうぐんは、意外にも燕軍をどんどんちくしていく。山へと逃げて行くのを追って、勢いよく攻め立てていた。


 百威は、山頂へと飛んで両軍の動きを追う。しかし、そこで燕軍劣勢の理由に気付いた。


(あれは、計略か)


 山頂にひそんでいた燕軍の伏兵ふくへいが、大岩や丸太を大量にとうしている。唐軍はそれをまともに食らい、多数の死傷者ししょうしゃが出た。唐将は兵をまとめて、急ぎてっ退たいする。


(このまま乱れるとまずい。本陣はどうだ)


 百威がれいへ戻ると、哥舒翰が机を叩いて怒鳴っていた。


ひるむな。急いで『せんしゃ』部隊を出せ。これで一気に巻き返す!」


 全軍に、突撃の命令を出した。


 ひびきを立てて、奇妙きみょうな戦車の群れが押し進んで来る。通常の戦車に比べて、外観がいかんようであった。


 もうじゅう刺繍ししゅうされたにしきをかぶせたしゃたいには、多数のやいばが取り付けられていた。げきしゅきゅうしゅを乗せ、ぎょしゃが馬をって突進する。この兵器ならば、兵士の質が低くとも相当な破壊力である。


 哥舒翰が、震えて笑った。


「守りにてっする裏で備えていた、俺の切り札だ。来い、安禄山。貴様の巨体もろとも踏み潰してくれるわ!」


 禍禍まがまがしい姿の新兵器は、燕兵えんへいたちをざん蹴散けちらして進んだ。すれ違うだけで身体が細切れにされるその威力に、彼らは為すすべもなく逃げまどう。


 哥舒翰は、そのまま燕軍を潼関外どうかんがいまで押し出せと命じた。


 しかし、なかなか戦勝報告せんしょうほうこくが来ない。しばらくして、火抜帰仁が息せき切って駆け込んで来た。


「戦況悪化、せんしゃの弱点を突かれました。もう使い物になりません」


「なに」


 哥舒翰は首をかしげた。


「馬鹿を言うな。弱点などあるか」


 信じようとしない哥舒翰に、火抜帰仁は訴えるように言う。


「あったのです。火! 火です!」


 哥舒翰は、首を振る。


「車体の鉄刃は、火などに負けぬ」


「違います! 車体にかぶせた、錦繍です! あのでかい布地ですよ!」


「な、なんだとっ!」


 ようやく合点がいった哥舒翰は、みるみるうちに青ざめた。火抜帰仁が、指示を仰ぐ。


 それを見ていた百威は再び飛び、氈車部隊の最前線を見に飛んだ。




 すべての氈車が、黒煙こくえんを吹いて燃えていた。燕軍は、火をもちいた攻撃に転じたのだ。柴を積んだ荷車に火を点け、氈車へとぶつける。猛獣の錦はたちまち燃え上がり、兵士は氈車を捨て、そのまま逃亡してしまっていた。


(粘り強さが無い。結局は士気が無ければ役に立たなかったか。もうだめだな)


 そう思った百威は、戦線を離れて魯乗ろじょうたちの下へ飛んだ。




 翌日になると、騒々しい叫びと共に、たくさんのじんが潼関に押し寄せた。


 鋼先たちは兵舎を出て関門に行く。唐の兵が、どんどん関内へと逃げ込んでいる。同時に、多くの燕兵も雪崩なだれ込んでいた。関門は燕兵にせんきょされ、閉じようと近付く唐兵が斬られている。


「やはり無理だったか」


 鋼先が言う。やがて、すいを立てた部隊が関内かんないに入るのが見えた。


 鋼先たちが近付くと、えいに守られた車椅子くるまいすの哥舒翰がいた。真っ青な顔で、ため息をつく。


「私の見立てが甘かった。せんしゃは焼かれ、さんざんに討ち取られた。これ以上はないくらいの大敗北だいはいぼくだ。おそらく間諜がいて、氈車の構造が漏らされたのだろう。火計での対応が周到すぎる」


 鋼先たちは、掛ける言葉もないまま、哥舒翰とともに逃げる。やがて関西かんさいという駅に到着し、そこの駅亭えきていで休むことになった。


 哥舒翰を室内に運び、とりあえず彼を休ませる。一段落したとき、火抜帰仁が現れて言った。


「将軍、これからどうします。潼関は敵の手に落ち、長安の防壁ぼうへきは無くなりました。敵兵てきへいが長安に押し寄せます」


 哥舒翰は、震える手で制する。


「今、敗残はいざんの兵を集めている。それを整え、長安に迫る敵を討つ。一兵いっぺいでも多く。それしか都を守る術はない」


「長安を守っている近衛兵このえへいは?」


 火抜帰仁の問いに、哥舒翰は首を振る。


「あれは、きらびやかな軍装ぐんそうを着ただけの、貴族のていたちだ。敵が侵入しんにゅうしたと知れば、何もせずに逃げるだろう。だから我々が、ここで少しでも敵を減らすのだ」


「将軍、お言葉ですが、それで一体何がむくわれます。我々は今日、二十万の兵と潼関を失った。さいしょうは、必ず我々を処罰しょばつするでしょう。戦っても無意味です」


「何が言いたい、じんよ」


「燕に降伏こうふくしましょう。あなたは嫌でしょうが、もう方法がない」


 しかし、哥舒翰はにらみつけて怒鳴る。


たわけたことを言うな! 安禄山にくだるくらいなら、私はけつする。早く兵をまとめ、敵を討つたくをしろ!」


 しかし、弱々しかった火抜帰仁の表情が変わった。目を怒らせ、舌打ちをする。


「なあ、いい加減、ちゅうしんの振りはやめろよ。俺はいぬにしたくないんだ。あんたを連れて降伏すれば、安禄山は喜ぶだろう。自決なんかされちゃ困るな」


「帰仁、まさか、お前」


 哥舒翰が、何かに気付いた。火抜帰仁が、おどけて笑う。


「今頃気付いたか。そう、氈車の情報を売ったのは俺さ。あんたが勝てなかった場合、くらえしやすいように手を打っていたんだ。


 おい兵士ども、俺に付いて来い。このじじいを差し出して、俺は燕でしょうになる。燕はもうすぐ長安をるんだ。唐なんか滅ぶぞ」


 兵士たちが、ざわついて火抜帰仁を見ていた。鋼先は、魯乗にささやく。


「このうちめはまずい。ここを出るぞ。魔星には構うな」


「分かった。幻術でやみを作る、そのすきに出よう」


 しかし、火抜帰仁が手をげると、彼の部下が鋼先たちを囲んだ。魯乗は幻術を使う。その場にいた全員が急な暗さに驚いた。しかし、闇というほど暗くはない。


 火抜帰仁が、辺りを見て言った。


「妙な暗さだな。いや、気にするな。包囲を強めろ」


 火抜帰仁の部下は、互いに腕を組んで固定する。鋼先が言った。


「駄目だ、動けない。魯乗、一体どうした?」


「すまん、思った以上に力を失っている。これで限界げんかいじゃ」


 安禄山との戦いでこんぱくしょうもうした魯乗は、あれらいちからを落としていた。だんだんと暗さは消え、光景が戻って来る。


 火抜帰仁が言った。


「賀鋼先、お前たちは燕を脱走して来たと言ったな。お前たちもまとめて、安禄山への土産にしてやる。おい、連れて行け」


 包囲していた部隊が、鋼先たちを剣でおどして歩かせる。火抜帰仁が、哥舒翰に向き直った。


「将軍、本音ほんねを言えよ。あんたは安禄山がそむくまでは、長安でぜいたくらしをしていただろう。本気で自決するつもりなんか無いはずだ」


 哥舒翰は、力無ちからなく頷いた。火抜帰仁は笑う。


「そうだろうな。おっと、行く前に、あんたが持っていた魔星の力を頂くぜ」


「きさま、知っていたのか」


「あんた、自分の中にいる奴と話していただろう。それを聞いていたら、あんたの強さが魔星って奴のものだって分かったぜ」


「よせ。私のように反動はんどうで体を壊すぞ」


「そんときは追い出すまでだ。ええと、こうすりゃ出るかな」


 火抜帰仁は、哥舒翰の鳩尾みぞおちった。


「ぐうっ」


 哥舒翰は気を失い、その身体から、光るじんしょうが抜け出てくる。火抜帰仁が笑った。


「これから燕軍で出世するには、どんな力でも利用しないとな。さあ天威星とやら、俺に入ってこい」


 火抜帰仁が、迎え入れようと両手を広げる。しかしそのとき、包囲の中から身をよじって、へいかくぼくを放った。天威星の頬に「収星」の文字が現れたかと思うと、強い光と共に、天井を破って空に消えた。


 火抜帰仁が慌てる。


「おい、何だ、今のは!」


 そのとき、魯乗の懐から百威が飛び出し、ほうもうに襲いかかる。驚いた兵が飛び退いた。


「今だ、脱出するぞ。急げ!」


 鋼先が指示し、扉を開ける。雷先と李秀が周囲の兵をなぎ倒し、収星陣は駅亭を飛び出した。

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