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第五十四回 少林寺木人拳




 道観どうかんに泊まったこうせんたちを、翌朝、取り次ぎの者が呼んだ。


昨晩さくばん言い忘れたのですが、ちょうどいらっしゃるんですよ、竜虎山りゅうこざんの方が」


 そして、食堂に行ってみてくださいとうながす。鋼先たちがそうすると、急に声をかけられた。


「おい、こうせんじゃないか。ああ、ようやく会えた」


おうきゅうさん!」


 そこには、いつかんで行方不明になっていた張応究がちょうおうきゅう立っていた。


「よかった、無事だったんだな」


 互いにそういいながら歩み寄り、笑った。同じ食卓に座り、朝食を配膳はいぜんしてもらう。


 応究が、あれからの事を話した。


面目めんぼくない話だが、私は河に流されて気を失い、知らない岸辺で漁船に助けられた。かなり離れてしまったので未逸観に戻ることはあきらめて、各地の道観をめぐっていた」


 それを聞いた鋼先が、鉄車輪てつしゃりんあんろくざんの話をかいつまんですると、応究はその苦労ぶりに驚いた。


「そうだ。実は今日、あるいんに行くんだが、お前たちも来ないか。面白いものが見られるぞ」


 応究がそう言うので、収星陣しゅうせいじんは彼にしたがって行くことにした。




 嵩山すうざん少林寺しょうりんじ


 隋末ずいまつせんらん、ここの僧侶たちが、とう太宗たいそう李世民りせいみんを助けて戦ったという故事こじがあり、それ以来、武術の名門になっている。


 応究は山門さんもんを叩いた。取次ぎを頼むと、一行いっこう住持じゅうじの部屋に案内される。


「竜虎山の張応究どのですな、お手紙拝見しております。実は今、例のとうに挑戦している者がおります」


「えっ、木人もくじんに?」


 応究は驚き、皆を促してその棟に向かった。




 くっきょうな男が、たんで運ばれて来る。体中に殴られたあとがあった。応究は顔をそむける。


「ひどいな」


 しかし鋼先たちは、その男の顔を見て驚いていた。


「ご、ぶんえい!」


 口髭くちひげの男は、決まり悪そうに鋼先を見てから、気を失った。住持がため息をつく。


「あの弟子は以前にも敗れ、勝手に出て行ってしまいました。先日久しぶりに戻って来たので、脱走のばつとして断食だんじきをさせておりましたが、木人に挑戦する者がいると聞くと、どうしても自分が先にとっすると言って聞かず、本日の早朝に、空腹のままいどみました。……結果、この有様ありさまで」


 らいせんが、運ばれて行く呉文榮を見送りながら呆れて言った。


「あいつ、少林寺だったのか。ほんとに武術一筋ぶじゅつひとすじだな」


「でも、あんなにやられてたわ。一体どんなれんよ、木人って」


 李秀りしゅうが訊くと、住持がうなずく。


「数年前、ある仏師ぶっしがこの寺に来まして、仏像を修理しようと言いました。我々は喜んでお願いしたのだが、この仏師には天孤星てんこせいという魔星がいていたのです」


 魔星と聞いて、収星陣の表情に緊張が走る。


「作業用に広い一棟ひとむねを貸したのですが、彼が作っていたのは仏像ではなく、何の表情もない、等身大とうしんだいの木の人形でした。それを無数に作り、えいへいのように部屋中に並べました」


みょうなことをするもんだな」


 鋼先が言うと、住持は続ける。


「それが完成すると仏師は出てきましたが、何も憶えておらず、天孤星も抜けておりました。やがて仏師は去りましたが、木人の棟には誰も入れなくなってしまったのです」


「鍵でもかけられたのか?」


「いえ、入ることはできるのですが、木人たちが動き、打ちのめされるのです。――あの棟には貴重な仏像も置いてありますから、焼き払うこともできませぬ。封鎖しようとも思ったのですが、この棟に入って木人と戦うことが武術の修行にはなる、という意見も出たため、不本意ですが、そのように活用しておりました」


 そのとき、応究がずいと進み出た。


「その噂が広まって、木人棟もくじんとうに挑もうとする者が少林寺を訪れるようになった。私もその一人だ」


 それを聞いて、雷先が腕を組む。


「確かに、応究さんなら実力は充分だ。でも、あの呉文榮がやられたのを見ると、ちょっと心配だな」


 しかし鋼先が言う。


「だが、ここは力押ちからおしで行くしかなさそうだ。応究さん、頼む。魔星を追い出してくれ」


 応究は頷いた。住持が皆を促し、木人棟の入口へ案内する。棟は、一直線の廊下に壁と屋根が付いたような、長細い形になっていた。


「一人入ると扉が閉ざされ、誰も入れなくなります。ただ、棟の壁には小さい窓がありますので、木人との戦いを見ることは出来ます。応究どの、使いたい武器があったら用意しますぞ」


「いえ、素手すでで結構。――行きます」


 応究は両手を握り込んでポキリと鳴らすと、扉に触れた。


 鉄の扉はゆっくりと開き、応究一人が通れるだけのすきを作る。応究が進み入ると、すぐに閉まった。


 住持と鋼先たちは西側の窓に回り、様子をうかがう。応究の前に、木人たちがたてれつになって並んでいた。


「棟のおくへ行けばいいんだな」


 応究がそう言って、一番前の木人に触れる。すると、全ての木人が一斉に動き出した。


「ぬうっ!」


 木人は、歩くことは無いが、近付く者を重い打撃でおそう。応究はそれをかわしながら打ち返したが、木人はびくともしなかった。


「攻撃は無意味か。ひたすら躱し、進むしかない」


 応究は決心し、並んで通路を作っている木人に向かう。次々に打ち込まれる拳を躱し、応究は順調に進んだ。


「いいぞ応究さん。そのまま一気に行け!」


 雷先と李秀がいたが、住持が首を振る。


「ここからです。木人の怖ろしさは」


 応究が一つの列を抜け、次の列に入ると、急に木人の動きが速くなった。


「く、くっ!」


 躱しきれなくなり、応究は木人の拳を受け止めながら進む。しかし、一撃一撃が重く、だいに応究は体力をけずられてきた。住持が言う。


「お気を付けて。さらに速くなります」


 木人の拳が、鳥の羽ばたきにせまる速さで繰り出される。応究は顔面や腹部に打撃を受けた。それでも、なんとか持ちこたえる。


 そしてとうとう、最後の木人の列を突破した。


 応究が駆け抜けたそこには、他の木人よりもはるかに大きな木人が一体立っている。他の木人とは違い、全身に見事なまんが彫り込まれていた。


 応究は神妙に頷き、窓の外に声をかける。


「こいつが天孤星に違いない。鋼先、ついけんをくれ」


「よし、待ってろ」


「えっ? お、応究どの、いけませぬ!」


 住持が慌てて止めようとしたが、鋼先は小さな窓から追魔剣を投げ入れる。


 応究がそれを受け取った瞬間、木人が、激しい声を発した。


かつ! 認めぬぞ。途中で助けを受けるべからず。失格!」


「なに、そんな決まりあったのか?」


 応究が驚いていると、彼の立っていた床がバクンと割れて、床下に落とされてしまった。


「応究さん!」


 収星陣がびっくりして呼びかける。住持は、ため息をついて首を振った。


 その様子を見て、雷先が木人に叫ぶ。


「なぜ殺したんだ!」


 すると、住持が慌てて手を振った。


「別に死んではおりませぬよ。あの床下からは外へ出られますから、ご心配なく。――そうではなくて、武器を使うなら、最初から持って入らねばならぬのに、と悔やんでいたのです」


「へえ、厳しいんだな」


「鋼先、感心してる場合か。どうするんだ」


 雷先が言うと、鋼先は首をひねった。


「追魔剣を拾わないとな。だが、応究さんにまた行ってくれというのも気が退ける」


「じゃあ、あたしが行くわ」


 李秀が腕まくりをして、皆を連れて棟の入口に戻る。しかしそのとき、へいかくとフォルトゥナが話し合っていた。


「本当に、いいの?」


「はい。試す価値かちはあるかと思います」


 頷くフォルトゥナを見て、萍鶴が李秀に言った。


「李秀、待って。ちょっと考えがあるの」


「あんたがぼくで倒すの、萍鶴?」


 しかし萍鶴は首を振る。


「木人が多すぎて無理よ。鋼先の言うとおり、力押しで突破するしかないわ」


「力押しったって、応究さんより強い人がいるの?」


 萍鶴は頷くと、住持に頼んで、ぜんじょうを持ってきてもらう。禅杖とは僧侶のしんで、長い棒の先端せんたんに三日月型の、反対側にスコップ状の刃が付いている。


「いったい何をするんだ、萍鶴」


 雷先が訊くと、萍鶴は禅杖をフォルトゥナに持たせた。


「彼女が言うの、勝てるかもしれないって」


 そして、筆を振ってフォルトゥナのほおに飛墨を打った。


てんせい』と。


「あっ」


 一同が驚きの声を上げる。フォルトゥナは、座った目付きになり、ゆらりと歩いて扉に触れた。


 開くと同時に、フォルトゥナは飛び込む。動き出す前に、木人をなぎ倒した。


「やはり、木人は重心が高いですね。禅杖の長さがかせます」


 フォルトゥナはほくそ笑み、禅杖を振るって木人の喉元のどもとを突いた。すると、木人は次々と倒れていく。


 雷先が言った。


「そうか、長物ながもので倒せばいいのか。……だが、あの数と速さの中をくぐって正確に喉を突くのはなんだ。この先大丈夫かな」


「わからない。動きは精密せいみつだが、体力が持つかどうか」


 鋼先も心配する。一同はフォルトゥナの戦いを見守った。


 応究の時と同様に、木人は次第に動きの速度を上げた。フォルトゥナはれいに躱しながら禅杖を繰り出すが、打ち込みが浅くなり、倒すには至らない。息が荒くなってきた。雷先が声をかける。


「フォルトゥナ、無理をするな。俺が代わる」


 しかしフォルトゥナは答えることなく、木人の列を走り続ける。強い打撃を受け、禅杖がれた。しかしフォルトゥナはあきらめず、禅杖を捨ててひらりと宙を舞うと、木人の肩や頭を飛び移って、最後の列を突破する。


「やった、抜けたぞ!」


 雷先たちの喜びをよそに、フォルトゥナは緊張していた。最後の大木人だいもくじんの前に立つ。


 大木人――天孤星が、声を発した。


「女の挑戦者とは、初めてだ。見事なものだ」


「後は、あなただけですね」


「そうだ、わしを倒して見よ。だができるかな、この巨体を」


「やるだけやりますわ!」


 フォルトゥナはそう言うと、後ろに走って、動きを止めている木人の腕を取る。


「それっ!」


 フォルトゥナは、渾身こんしんの力で木人を投げつけた。大木人にしたたかに当たり、轟音ごうおん地響じひびきが起きる。


 鋼先が、驚いて言った。


疑似ぎじとはいえ、天微星とそこまで親和しんわを? すごいそこぢからだ」


 魯乗ろじょうも驚く。


「追加の武器は禁止ゆえ、木人を使うとはのう。その発想は無かったわい」


「まだまだです!」


 フォルトゥナは、次から次へ木人を投げた。大木人は避けることもかなわず、次第にぐらぐらとれる。


「これ、で、どうです!」


 フォルトゥナは、二体の木人を投げた。大木人にわずかな時間差で当たり、とうとうその巨体があおけに倒れた。


 フォルトゥナはさすがに力尽き、ひざまずいてしまった。そしてあえぎながら言う。


「倒れましたね。私の、勝ちです。認めますか、天孤星?」


 大木人は、のっそりと立ち上がった。しかし、片方の膝が折れ、再び仰向けに倒れる。


 天孤星が、大きな声で笑った。


「わっはっは! これはやられた。わしの負けだ、金髪のむすめよ」


 フォルトゥナは、あんの息をらしてほほ笑んだ。


「そう。じゃあ、そこから出てきてくれますね」


「そうだな。木人棟をつくってから強い奴もいっぱい来たし、楽しかった。そろそろ兄弟に会いに行こうか」


 そう言って、大木人から、大きなじんしょうが抜け出てきた。天孤星は、ほほ笑んで近付くと、彼女の頭を優しくでる。


 そのとき、棟の中を勢いよく走って来る音が聞こえた。


「どうしたんだ、木人が止まっている。やり直しに来たのに、これでは試練にならないではないか」


 不満そうに周囲を見回している彼に、鋼先が申し訳なく告げる。


「いいんだ、応究さん。もう終わったんだ。お疲れさま」


「え……」


 応究は、がっくりと肩を落とした。




 ◇




 天孤星は収星され、木人はただの人形になった。住持が礼を言い、収星陣は部屋を与えられて休む。


 フォルトゥナは、しかし無事ではなかった。


 大きな力を使った反動が強く、足のすじが切れたり、肩の関節が外れたりしていたのである。萍鶴が飛墨で回復させたが、無理をさせたことを非常に後悔こうかいし、深くびた。


 フォルトゥナは、弱々しくも笑って答える。


「いいのです。私からお願いしたのですし、あなた方の力になりたかった。ただお世話になるだけでは、心残りですから」


「そうか。あんたがそう言うなら、それでいいだろう」


 と鋼先が取りまとめた。


 一段落いちだんらくしたところで、応究が訊く。


「鋼先。お前たちは、これからちょうあんに入るのか?」


「ああ。さいしょう楊国忠ようこくちゅうに、魔星が憑いている。鉄車輪をけしかけたのもそいつだ」


 それを聞いた応究は、ひとしきりあんして言った。


「今は燕軍えんぐんとのたいあんが悪い、簡単には長安に入れないぞ。よし、私が一足先ひとあしさきに行って、抜け道を用意しておく。長安に直接入らず、関所近せきしょちかくの道観に寄れ」


「それは助かる。ありがとう、応究さん」


「いいんだ。じゃあ明日、私はつ。無事で来いよ、みんな」


 応究は、ほほ笑んで鋼先の肩を叩く。




 ◇




 夜になり、皆が休んだ頃、鋼先は、魯乗と応究だけを別室に呼んだ。


「私に訊きたいこととはなんだ、鋼先」


 鋼先は、魯乗を指さして言う。


「まず、報せておきたい。この魯乗は、実は神仙のこうえんなんだ。張天師ちょうてんし様から見ても、道教界の大先輩に当たる」


 応究は、目玉も落ちそうに見開いて驚く。


「ら、しんじん様でしたか! なんと! いや、お見それしました」


 そう言って、がばりと平伏した。魯乗が苦笑する。


「雷先のときと同じだのう。いや、応究どの、普通で良いよ。いまさら上下は不要じゃ」


 そう言われて、応究は顔を起こす。鋼先が改めて質問を始めた。


「応究さん、張天師様は、俺たちに何かを隠している。あんたなら、知っているんじゃないか?」


 単刀直入たんとうちょくにゅうに言われて、応究は身体をこわばらせた。そして、鋼先と魯乗を交互に見る。


「やはり、しんに思っていたか。……だが鋼先、魯乗どの、済まないがしょうさいは言えない。天界と人界じんかい均衡きんこうに関わることだ、とだけ言っておく」


 そう言って、びるように拝礼をする。


 鋼先は仕方なしに、それ以上問うのをやめた。




 ◇




 翌朝、応究は皆と別れて西に向かった。


 鋼先は、呉文榮に会おうと思って住持に訊ねたが、すでに呉文榮は少林寺を発っていた。


 するとそのとき、寺の外に二人の兵士がやって来て、こう言った。


「我々は、とう郭子儀将軍かくしぎしょうぐんの使い。こちらに、李秀どのとそのお仲間がられたら、手紙を渡したいのだが」

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