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第十四回 遁甲の森




 こちらは収星陣しゅうせいじん。官軍の目を逃れてはっこうざんを下り、北へ向かう道へ出た。


こうせん、さっき何を言おうとしたの?」


 李秀りしゅうに訊かれて、鋼先は苦笑する。


「もし、あんたらが官軍に負けたらどうするんだ、とな。合戦の前に縁起でもないから止めた」


 一同はうなずいた。


「無理にでも収星させてもらえばよかったかな」


 らいせんが後悔まじりに言う。鋼先は首を振った。


「こっちの都合だけ押しつけるのは良くない。兄貴が話をつけてくれただけで充分だ。助かったぜ」


「いや、皮肉だが、ぶんえいのおかげだ。あいつが魔星の怖ろしさを見せてくれたからな」


 鋼先が頷きながら、


「そうだな。まあ、奴のことは今はいい。分からないことが多すぎる」


 と話題を打ち切る。雷先が、別のねんを口にした。


がいえいざんはけっこう遠いみたいだが、あまり離れると戦局が分からなくなるな」


「いや、しんてんすうは広くせっこうを出している。こっちへの連絡も兼ねているはずだ。今は、彼らの邪魔にならないようにするのが一番だ」


 鋼先がそう言ったので、一同は亥衛山に向かうことに専念した。




 飢えては食い、渇いては飲み、収星陣はそんな旅を数日続けてじょしゅうに入った。


 そしてある宿に泊まったとき、こんな注意を受けた。


「亥衛山に行くなら、この先の森を抜けるのが近い。だが、最近その森に入った者が行方不明になる事件が起きている。昔から森を知っている地元民でも、入ると道を見失ってしまうそうだ。あんたらは通らない方がいい」


 宿をち、一同は手分けして近所から森の話を集めた。


 雷先が鋼先に言う。


「みんな森を怖れていた。やはり魔星と関係が?」


「可能性はあるな。一応森に踏み入って、朔月鏡さくげつきょうを当ててみないといけない」


 へいかくも頷いて言う。


「怖くなった村人が、森を焼いてしまおうとしたけど、なぜかすぐに火が消えてしまったと聞いたわ。普通ではないわね」


 魯乗ろじょうが首をかしげながら言う。


「森そのものに、魔星がいているのかもしれん。だとしたらかなりやっかいじゃな」


「なに、厄介なのはいつものことだ。とにかくのぞいてみるか」




 森の入り口にたどり着いた鋼先たちは、通行者への注意書きが記された立て札を見た。


『ここは人呼んでとんこうの森。危険、迷う人多し。みだりに入るべからず』


「さて、お邪魔しますよ」


 鋼先が言うと、収星陣はなるべくかたまりになって歩き、森へ入る。


 薄暗い中をゆっくり進んでいくと、突然、李秀が叫んだ。


「あっ、あれ見て!」


 李秀の指さした先に、人間がひとり、宙吊りになっていた。しかも、そのまま移動して、こちらに向かってくる。


「みんな、下の方を見て」


 萍鶴が静かな声で言う。皆が見ると、平べったくて大きいさそりっていた。その長く伸びた尾の先が、人を串刺しにしていたのである。


 おおさそりは人影に気付き、這いずりを早めた。


「こいつ、速い。みんな下がって!」


 李秀はそうげきを構え、大蠍の右側に回って走った。


 蠍は勢いよく尾を振る。ぶら下がっていた死体が投げられ、避けた李秀が転倒した。その拍子に朔月鏡が転がり落ちたので、鋼先が追って走り、素早く拾った。


 李秀は気味悪さに驚いて、すぐに戻る。


「大丈夫か、李秀」


 気遣う鋼先に李秀は頷いて


「気をつけて。こいつ、尾が二本もある」


 鋼先は朔月鏡で蠍を映した。


 てんこくせい


 蠍の像に浮かび上がった文字を見て、一同は頷き合う。


 そのとき、樹の上からどさりと何かが落ちてきた。


 だいじゃである。


 しかも頭が二つあり、双方から細長い舌をチロチロ出している。


 鋼先が素早く鏡に映す。「てんぼうせい」の文字が浮かんだ。


 魯乗がうなりながら言う。


「鋼先、さすがにが悪い。一度森を出た方がよかろう」


「よし。来た道を戻るぞ」


 そう言って鋼先は手招きしたが、異変が起こった。


「どうしたんだ。おい、みんな、どこに行ったんだ」


 鋼先の周りには、誰もいなくなっていた。




 ◇




「変よ。鋼先が急に消えちゃった」


 李秀は蠍を戟でけんせいしながら、目をこすって言った。鋼先が手を振り上げたと同時に景色が変わり、彼はいなくなっていた。


 萍鶴が筆を構えつつ言う。


「周りの樹が違っている。まるで、立ち位置をすり替えられたような感じがするわね」


「実際そのようじゃのう。……むぅ、大蛇は消えたが、百威ひゃくいと雷先もおらんぞ」


「森に入ると迷うってのは、こういうことだったのね。でも今は、この蠍をなんとかしなきゃ」


 李秀が苦笑しながらつぶやいた。


「そうじゃな。では、これはどうじゃ」


 魯乗が、懐から金色のれんを取り出して蠍に投げつけた。煉瓦は勢いよく飛んだが、蠍のはさみにはじき返されて魯乗の手元に戻る。魯乗が舌打ちした。


 攻撃された蠍は二本の尾を揺らし、李秀たちをかくし始める。


 李秀は軽やかに跳躍し、尾の一本を切り飛ばした。しかし着地する前に、もう一本の毒針が彼女のみぎももに突き刺さった。


「あっ!」


 全員が同時に叫んだ。李秀は素早く毒針を引き抜いたが、目眩めまいがして倒れた。刺されたももに激痛が走る。


「李秀、大丈夫か!」


「う……、あ……!」


 魯乗の呼びかけに答えることもできず、李秀はもがいた。もう身体がほとんど動かない。


 萍鶴が、素早く李秀にぼくを放った。李秀の頬に「解毒」と文字が現れたが、同時に気を失ってしまった。


「おい萍鶴、効いておらんぞ!」


「大丈夫。それより、その煉瓦をもう一度投げて」


 魯乗が煉瓦を投げると、萍鶴はそれに合わせて飛墨を放った。「貫」の文字が現れ、煉瓦は勢いを増す。そして蠍の頭部をぶち抜いて貫通した。


 蠍は動きを止め、地面に崩れる。煉瓦が魯乗の手に戻った。


「よし。おい李秀、しっかりしろ!」


 魯乗が駆け寄ると、李秀は目を覚ましてどす黒い血を吐いた。そしてしばらくき込む。


「ああ、びっくりした。萍鶴、ありがとう」


 李秀は汗をきながら笑顔で言った。萍鶴は頷いて答える。


「天哭星を収星しないと。でも、朔月鏡は」


「鋼先が持って行ってしまったのう。……そうじゃ萍鶴、飛墨で魔星を上清宮じょうせいぐうに飛ばせないか?」


 普通の大きさになっていた蠍の死骸のそばに、神将姿じんしょうすがたの天哭星が立っていた。萍鶴は頷いて、筆を振る。「しゅうせい」の文字が現れると、天哭星は弓で撃ち出されたように飛び去って行った。


「うまく行ったみたいだよ、魯乗」


 李秀が、萍鶴の横に並んで振り返る。魯乗は頷いたが、その瞬間、景色と共に彼の姿が消えた。


「今度は魯乗? どうなってるの」


 李秀が周囲を見回すと、木の陰から一人の少年が現れた。おびえた顔をしている。李秀は、優しく笑って声をかけた。


「あなたも森に迷ったのね。危ないから、一緒においで」


 少年は、にこりと笑った。


「ありがとう、お姉ちゃん」


 三人はゆっくりと森を進む。そのうちに、少年が李秀の袖を引いて言った。


「静かで怖いね。ねえ、お歌を歌っていいかな。得意なんだ」


「あら、そうなの。聴かせて」


 李秀がほほ笑むと、少年は軽くせきばらいして歌い出した。高い声の楽しい調べだった。


「上手だけど、でも……少し」


 と萍鶴は顔をしかめた。音がどんどん高く、鋭くなって来る。二人はとうとう耳を塞いだ。しかし、頭の中で鐘が鳴るように激しく響き、二人は立っていられなくなった。


 少年は歌いながら笑い、匕首あいくち(短刀)を手にしている。


「この子、ひょっとして!」


 李秀は叫んだ。声はかき消されて伝わらないが、萍鶴は表情から読み取って頷く。


「魔星だったのね。でも、もう動けない」


 萍鶴はうつ伏せに倒れてしまった。李秀も目眩がひどくなり、うずくまる。そのとき、地面に落ちている小石を見つけた。


「これだ」


 李秀は素早く小石を二つ拾って耳栓にすると、戟を振るって少年を打った。


 少年の歌が止まり、ばたりと倒れた。


 首を振りながら、萍鶴が言った。


「殺してしまったの?」


「まさか。あたしの戟はね、双月牙そうげっがの片方だけ刃を落としてあるの。峰打ちよ」


 少年の身体から、がくせいが抜け出る。萍鶴が飛墨を放つと、森の真上に飛んで消えた。


 李秀が、気を失っている少年を抱え上げる。


「この森、まだ魔星がいるのかな。あたしたちだけでもはぐれないようにしないとね」


 そう言って振り向いたとき、萍鶴の姿は消えていた。

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