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第十一回 通臂猿と金毛犬




 医院を受け継いだ陸萌亞りくほうあの診察を受けながら、こうせんは療養を続けた。


 半月が過ぎた頃、ようやく体力も戻り、出発するが、宿の支払いを済ませた鋼先は、出費の多さに頭を抱える。


「俺のせいとはいえ、滞在が長すぎたな。からっけつになっちまった」


 らいせんたちが困った顔をすると、後ろから声がした。


ぎんならありますよ。どうぞお持ちください」


 一同が振り向くと、九天玄女きゅうてんげんじょ六合慧女りくごうけいじょの姉妹が立っている。


 鋼先はうなずいて、


「助かった。ありがたくいただくよ」


 と、ぎんの入った袋をひったくって、そのまま歩き出した。


 弟のぞんざいな態度を、雷先がとがめる。


「おい、失礼じゃないか」


「すまない、まだ調子が悪くてな。堅いあいさつは疲れるんだ」


 そう言って歩き続ける。


 困った顔をした雷先の肩に、六合慧女が細い手を置いた。


「いいですよ、私たちも一緒に歩きます。何かお話があれば、このままお聞きします」


「お、恐れ入ります。実は弟が……」


 と、雷先は照れながら、鋼先が伏せっていたことを話す。


「そうだったのですか、負担をかけてすみません」


 話を聞いて、姉妹はびを言った。


「いえ。あのそれより、六合様。訊いて良いですか」


 雷先は、話題を切り替えておずおずと尋ねる。


あんの魔星がどこにいるか、わかりませんか。俺も、無駄死にはしたくないんです」


 普段とは違う勇気を出している雷先の様子を見て、魯乗ろじょう李秀りしゅう萍鶴へいかくに指で合図をし、


「ああ、そういえば九天玄女様、人界の食べ物はどうですか?」


 と世間話を始め、雷先たちと距離を空けた。


 一方、きわどい話を持ちかけられた六合は、


「んー。ええ、こちらの方でもなんとかさがしたいのですけど」


 と、少し困って体をくねらせる。


 その仕草が唐突に艶めかしく、雷先は恐縮して


「あ、ありがとうございます! あ、安心しました」


 と大声になった。六合はびっくりして、


「そんなにかしこまらないでください。また何度もお会いするのですから、気軽にして」


「えっ、そうなんですか」


 雷先は、嬉しげな声になる。


 鋼先はそれを背中で聞きながら、声を立てずに笑った。




 突然、百威ひゃくいが前方へまっすぐ飛んだ。


「ピィィーッ!」


 何かを発見したらしい。鋼先は手招きをして言った。


「森の中に何かいるらしい。魔星かもしれない」


 収星陣しゅうせいじんは全員、走り出した。森の中に入ってみると、樹が密集していて見通しが悪い。


「百威、何かいるのか」


 鋼先が言ったとき、樹上から一匹の猿が飛び降りてきた。


「うっ」


 鋼先が飛びすさってけると、猿は両手を交互に伸ばして襲いかかってきた。鋼先は距離を読んだつもりだったが、予想以上に腕が伸び、つかまれて投げ飛ばされた。


「鋼先!」


 雷先が叫ぶ。魯乗が猿を見て言った。


「あれは通臂猿という妖怪じゃ。左右の腕は背中でつながっていて、よく伸びる」


「こっちにも、何かいるわ」


 萍鶴が言う方向から、今度は大きな金毛の犬が現れた。


「こいつら、魔星かもね」


 李秀が素早く猿を映すと、地遂星ちすいせいの文字が浮かんだ。さらに犬を映すと、地狗星ちくせいの文字が浮かぶ。


 鋼先が起き上がった。李秀が頷いて見せたので、状況を悟る。


 鋼先はとっに考えて言った。


「手分けするぞ。李秀、魯乗、百威で猿を。俺と萍鶴は犬だ。危ないときは合図を」


「おい鋼先、俺は?」


「兄貴は六合さんたちを援護しながら、機を見て遊撃してくれ」


 鋼先はそう言って追魔剣ついまけんを抜いた。




 猿は、李秀よりやや大きいくらいだった。


 魯乗は松の葉を大量に念力で飛ばし、猿をかくする。さらに百威がうまく追い立て、森から引き離すことに成功した。樹に登られなければ、猿はそれほど怖くはない。


「じゃが気をつけろ、猿の握力は強い。つかまれるな」


 逃げて引きつけながら、魯乗が言った。


「握力ね。じゃあ、それを逆用させてもらうわ」


 李秀はにやりと笑うと、猿に向かい合って立った。


 猿は、交互に腕を伸ばして李秀につかみかかってきた。李秀は左右のげきさばきながらじりじりと後退する。


 猿に疲れが見えた頃、李秀はわざと戟をかざして止めた。猿は即座にそれをつかみ、強くたぐり寄せる。


「かかったね」


 李秀はそれに合わせて跳躍し、猿の足元に滑り込んだ。そしてもう一方の戟で、猿のかかとを斬り付ける。


「ギャアッ!」


 アキレス腱を切られた猿は、立てなくなって崩れた。


 そのとき、百威が加速をつけて飛んできた。そのまま猿のこめかみにくちばしを突き込む。


 猿は、口から泡を吹いて倒れた。


「出てきなさい地遂星、あんたごとぶった斬るわよ」


 李秀がそう言うと、猿の身体が光ってじんしょうが抜け出てきた。李秀が朔月鏡さくげつきょうをかざすと、地遂星は素直に入っていった。


 魯乗が頷きながら歩いてくる。


「よくやった李秀。鋼先たちに合流しよう」




 犬は、異様に素早かった。


 鋼先と萍鶴は背中合わせになったまま身動きできず、ぐるぐると周囲を回られて、追い詰められていた。


 犬が、飛びかかろうと間合いを縮める。


「萍鶴、こんなのはできるか」


 鋼先は、ひらめいて指示を出した。萍鶴は頷いて、ぼくを放つ。墨は犬のつま先に落ちた。だが、文字ではなく、矢印が画かれている。


 犬は急に向きを変えると、引っ張られるように走り出した。


「よし。追いながら、続けてくれ」


 鋼先は、萍鶴をうながして走り出す。


 犬は、嫌そうに身体をらせながらも、走り続けた。萍鶴が次々と飛墨を打つので、矢印の方向へ走るのが止まらない。


 そして、雷先と女神姉妹がいるところへ走り着いた。


「兄貴、気をつけろ!」


 鋼先が叫ぶと、雷先は飛び出して、棒を構えた。


「お二人とも、下がって」


 雷先は飛びかかってきた犬を紙一重でかわし、犬の横面を叩きのめす。犬は悲痛な声を上げ、地面に伸びた。


 鋼先はほほ笑みながら近付き、


「助かったよ兄貴。こいつ足が速くて」


 と言って追魔剣ついまけんを犬に刺す。地狗星が抜け出たとき、ちょうど李秀たちがやってきたので、収星を任せた。


 六合慧女が、雷先に礼を述べる。


「ありがとう、雷先。さすがですね」


「いえ、これくらい。怪我がなくてよかった」


 それを見た鋼先は、


「兄貴、六合さんとその犬を見ててくれ。こっちは猿を見てくる」


 と、皆を誘導した。李秀が鋼先に言う。


「猿も犬も、もう大丈夫じゃない?」


「まあ、一応な」


 九天が、鋼先の気遣いを察したように言った。


「すみません。妹も、雷先につらいことを言ってしまったことをいているのです。少し、二人で話させてあげてください」


 九天が二人を見守るように歩みを止めたとき、萍鶴がそっと言った。


「わかったわ。雷先は、あの人が好きなのね」


「ああ。本人は自覚が薄いけどな」


 それを聞いて、李秀が楽しげにほほ笑む。


「そういうことかぁ。でもいいの? 人間と女神だよ」


 鋼先は、ため息をついて答えた。


「いいんだ。兄貴は、俺への負い目で旅をしている。それではつらいだけだからな」


 魯乗が頷く。


「なあに、神と人間の恋物語は、昔からいくつもあるぞ。雷先も、れた女の一人もできれば、これからの張りになるじゃろう」


「そういうことだ。ひょっとしたら西せいおう様は、そこまで見越してあんな予言をしたのかもしれないな」


 そう言って鋼先は、堅いながらも笑顔で会話している兄の方を振り返った。




 森を抜けたところで、鋼先は女神姉妹に言った。


「もう合肥がっぴを通り過ぎたかな。これから俺たちは寿春じゅしゅんを目指す。それでいいかい」


 九天は頷いて、


「はい、その近辺に魔星が現れると思います。応究おうきゅうどのにも、会えたらお伝えします。では、私たちはこれで」


 と礼をし、六合と共に帰って行った。


 鋼先たち収星陣は適当なところで旅籠はたごをみつけて宿泊した。




 ◇




 翌朝、李秀は早く目が覚めたので旅籠の周りを散歩していた。


 ふと、陰になっている林の辺りで、独り剣を振っている鋼先に気付く。


「ふうん、ああやって練習してたんだ。よし、ちょっと相手してやろうかな」


 近付こうとしたところ、急に彼女は手首をつかまれた。驚いて振り返る。


「魯乗。びっくりさせないでよ」


「そっとしといてやれ。見られるのは嫌だそうだ」


「でも、一人の練習じゃ効率悪いわよ」


 尚も行こうとする李秀に、魯乗は首を振った。


「わしも最初はそう言ったんじゃが、大事なことはそこではなかった。鋼先には、ああやって独りになる時間が必要なんじゃ」


「ふうん。そんなもんかな」


 あまり納得していない李秀に、魯乗は別の話題を向けた。


「ちょうどいい、お主に聞いておきたい。萍鶴の様子はどうじゃ」


 李秀は少し考えて、


「まだ何も、思い出した様子はないわね。いつも歩き疲れてるから、宿に入るとみをして、その後はすぐ休んじゃうわ」


「そうか。旅慣れているようには見えなかったしのう」


「やっぱり、どこかのお嬢様なのかしら」


 魯乗は頷いて、


「萍鶴が宿帳を書いたとき、文字を注意して見ていたが、書体がおうにそっくりじゃ。有名な書体だから誰でも書けるが、萍鶴の文字は卓越しておる。かいけいの王氏という素性からして、王羲之の子孫ということで間違いないな」


 それを聞いて、李秀は無邪気に笑う。


「事情は分からないけど、すごい人と旅をしてるんだね、あたしたち」


「すごいのは、萍鶴だけではないじゃろう」


 魯乗が、急に重い声になった。李秀は背筋が寒くなる。


「何の話?」


 魯乗は、もったいをつけるように歩く。そして少し間を置いて、ゆっくりと続きを話し始めた。


「お主はちょうあんから来たのじゃな。……最近になって思い出したんじゃ。あの噂を」


 李秀は、押し黙って続きを待つ。


「年月から考えれば、あり得る話じゃ。『あの夫人』が、前夫との間に娘を生んでいた、という。だが夫人は皇帝の元へ連れ去られ、その際に娘の消息も消えた。周りの者は口を封じられ、娘は始めからいなかったことにされたらしい」


 李秀の顔から血の気が引いた。魯乗は続ける。


「だが、その娘は密かに他人に託され、どこかで生きているとの噂が立った。母親に似た、佳人かじんに成長していると」


 魯乗のきんの向こうから、視線が突き刺さってくるようだった。李秀は、思わず顔を横に向ける。


「お主の顔をよく見ると、その噂が本当だったと分かる。年の頃もちょうど合う。つまり、お主の父親は寿じゅおう李瑁りぼう、母親は、あの……」


「それ以上は言わせないわ」


 こらえかねた李秀は、両手に双戟そうげきを持って魯乗に斬りかかった。


「おっと」


 魯乗は驚きの声を上げてかわした。李秀は、双戟を構えてにらむ。


「言わせておけば好き勝手に。鋼先はあんたを買ってるみたいだけど、あたしは興味無い。次に怪しい真似したら、あたしは収星陣を抜ける。一体、あんたの目的は何なのよ?」


 李秀の怒気に、魯乗は狼狽ろうばいした。


「すまんすまん、悪気は無いんじゃ。――前にも言ったが、わしには倒さねばならん相手がおる。それにもう一つ、ある術を完成させたいのじゃ。これはいずれ見せる日が来よう。とにかく、お主が抜けたらみんな悲しむ。機嫌を直してくれ」


 予想外の返事を聞いて、李秀は思わず照れる。


「あ、あんたが変な言い回しするからでしょ」


「では、ひとつだけ尋ねてよいか。……長安の宮中に、魔星がいるんじゃな?」


 それを聞いた李秀は、歯がみをして頷いた。


「そうよ。だからあたしは男の振りをしてたいかんに勤め、星のことを調べた。そのうちに、百八星が五十年前に天界から逃げていたことを知って。だから、いま現在はどうなっているのかを、張天師ちょうてんし様に聞こうと思ったのよ」


 魯乗は頷く。


「そういうことか。しかし、お主の武術は見事なものじゃ。誰に習った?」


かくという軍人よ」


「ほ! 九原太守きゅうげんたいしゅの郭将軍か。道理で強いわけじゃ」


 師を誉められて、李秀は嬉しくなった。そして


「これ以上は話せないわ。今のことは、みんなにも内緒にしておいて」


 と念を押す。魯乗は軽く笑い声を上げて、


「わかった。……しかし不思議じゃな。殺伐とした目的なのに、旅は楽しい、というのが」


 と言うと、李秀は鋼先を見やって笑った。


「弱いけど強い、あの団長さんがいるからね」

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