「おう
急に声をかけられて鋼先が振り向くと、馬に乗った
「
そう言って、まず
「……一度、お会いしたことがあるかな? いや、思い違いかもしれないが」
鋼先は、はっとして思った。
(そうか、以前に萍鶴が家族と
応究と萍鶴が、互いにきょとんとしているうちに、鋼先は
「こちら、張天師様のご子息の張応究さんだ。頼りになる人だぜ。面識はあったか?」
「いや、話には聞いたが、会うのは初めてじゃ。お父上の知己で、魯乗と申します。よろしく」
魯乗はそう言って、きちんと礼をする。
「おお、そうでしたか。父がお世話になっております」
応究も魯乗に礼を返すと、賀兄弟の肩を叩いた。
「仲間も増えて、心強いな。私も順調に各地を回っている。だが、ここらあたりには道観も廟も無いから、宿は普通に取れ。じゃあ、私は行く。またどこかで会えるといいな」
出発しようとする応究に、鋼先は百威を紹介し、驚かせた。そして、そっと萍鶴の話をして、状況を理解してもらった。
やがて応究と別れ、収星陣は合肥の街中へ進む。
応究の言った通り、周辺に道観が無かったので一般の宿に泊まったが、その翌日、異変が起きた。
「鋼先はどうした。まだ寝とるのか」
賀兄弟の寝室に来て、魯乗が聞いた。いつもの隠れ
「そうなんだ。どうも様子が変で」
「顔色が悪いな。どれ」魯乗が鋼先に触れる。
「熱があるぞ。おい、
苦しそうに眠ったまま目覚めない鋼先を見て、李秀が言う。
「
魯乗は手でなだめる仕草をして言った。
「いや、風邪のようじゃ。水に落ちたりしたし、疲れもあろう」
「良かった。まあ、体力ないもんね、鋼先」
「俺と違って鍛えてないからなあ」
「馬鹿もん」
「クアッ!」
魯乗と
「鋼先の
そう言われて、雷先と李秀は口ごもった。
「お医者さんに、診せた方がいいわね」
萍鶴がぽつりと言った。李秀が首を傾げる。
「ねえ萍鶴、あんたの術で、鋼先を治せないの?」
しかし、萍鶴は静かに首を振った。
「いいえ。私は、そうはしたくない」
「えっ? あんた、それどういう意味よ!」
李秀がいきり立ったが、萍鶴はまた首を振る。
「術で回復させたら、鋼先はすぐに出発するでしょう。少し、彼を休ませてあげたいの」
「あっ……」
萍鶴の気持ちを知って、李秀たちは黙って
雷先が宿の周りで聞いてみたところ、近くに腕のいい医者がいるという。
「名前が気になるんだ。地霊星医院、というらしい」
「地霊星、とな」
魯乗たちが驚いた。雷先は頷いて続ける。
「本名は
「魔星の名前で商売してるのね。そういう奴もいるのかぁ」
李秀が妙に感心したので、魯乗が苦笑のように手を振る。
「こんな時に、また争いの種を見つけてしまったか。今は、収星のことは置いておこう。鋼先を診せるのが優先じゃ」
皆は頷き、雷先が鋼先を背負って、一同は宿を出る。路地を抜け、地霊星医院へ向かった。
意識のない鋼先を、徐米芳はごく普通に診察した。
「過労と風邪だな。かなり弱っている、しばらくはゆっくり休め」
「ありがとうございます、先生」
雷先は、鋼先を抱えながら礼を言う。
「うむ。天魁星の兄者を、よろしくな」
自然な口調でそう言われて、雷先は驚いた。
「あ、あんた……」
「やっぱりそうだろう。私には分かるよ」
徐米芳は笑う。
雷先は、「実は」と断ってから、魯乗たちを診察室に入れた。
雷先と魯乗で、大まかに事情を話す。
徐米芳は、それを聴いてしずかに頷いた。
「なるほど。地霊星の私に、この医師の身体から出て行けというんだね」
雷先が言う。
「たった今世話になったばかりで申し訳ないが、解ってもらえると助かる」
「この辺りには、医者は私だけだ。人々の病を治している私が、いなくなってもいいというのか」
「あんたくらいの医者なら、弟子を育ててないのか」
「いるよ。だが、それが問題でね」
徐米芳は、ため息をつく。そして、彼の悩みを話し始めた。
もともと徐米芳はこの街の医者だった。不器用であまり頼りにされていなかったが、地霊星が気まぐれに取り憑いてから、腕の良い医者として評判が立つようになった。
忙しくなってきたので、助手を雇うことにした。
「ちょうどその頃、『地霊星医院』と名乗り始めたのだ。商売のためではなく、人界にいる兄弟に分かるようにしたかった」
するとまもなく、
久しぶりに会った二人は楽しく酒を飲み、昔話に花を咲かせた。
地劣星は、
そのとき、片付けに来た陸萌亞が、つまずいて転び、地劣星にかぶさった。
「……で、地劣星は
「どうなったんですか?」
「おとなしい娘だったのだが、
徐米芳は、涙を流していた。
「萌亞さんに、本当に期待していたんですね」
李秀が、気持ちを察して言った。
徐米芳は頷いて続ける。
「私を収星するというなら、別に構わない。だが、その前に萌亞を連れ戻して、彼女にこの医院を継がせたいのだ」
宿に戻り、鋼先を寝台に寝かせると、雷先たちは対策を練り始めた。
「俺が
「しかし、陸萌亞をどう
魯乗が首を
「私が捜すわ」
そう言ったのは、萍鶴だった。雷先が頷く。
「何だか自信がありそうだな。よし、頼むぞ。ただ、誰か一人、鋼先についてやらないと」
魯乗が手を挙げて、
「わしが残る。鋼先に薬草を煎じてやらんとな。そういうのは得意じゃ」
役割が決まって、雷先、李秀、萍鶴、百威は宿を出た。魯乗は薬草を取りだし、分量を量り始める。
そのとき、ずっと寝ていた鋼先が口を開いた。
「すまないな、こんなことになって」
「おう、気が付いたか。なあに、ずいぶん無理をしてきたんじゃ、ゆっくり休め」
そう言って、魯乗は状況を説明した。
鋼先は水を飲んで、また寝台に寝る。
「しかし、残ってくれたのが魯乗でよかった。ちょっと話したいことがあったんだ」
「なんじゃい、改まって」
魯乗は手際よく薬草を煎じながら訊く。
「あんたに、この一行の副団長になってもらいたい。みんなにもそう言っておく。そうした方が、何かあったときにも混乱を防げる」
「鋼先、お主……自分が死んだ場合を考えているのか」
魯乗が深刻な声で言った。鋼先は苦笑する。
「みんな、旅の目的がバラバラだからな。もし俺がいなくなったら、安全に解散させてくれ」
「その前に、副団長ならば、団長を死なせないように努めねばな」
そう言って魯乗は、湯気の立つ煎じ薬を差し出した。
◇
雷先と李秀は、はらはらしながら歩いていた。
萍鶴の捜査方法に驚いていたからである。
彼女は、女性とすれ違うたびに
「陸萌亞本人でなくても、何かを知っている人であれば反応があるはず。それらしい人が出たら、聞き込みをお願い」
萍鶴はそう言って、筆を壺に
「う、うまい方法とは思うんだけど、け、結構、大胆ね、あんた」
李秀が、どもりながら苦笑した。
そんなことを続けながら街を回っていると、飛墨を受けたある女性が、突然声を上げた。
「なんだか、急に思い出したわ。徐先生のとこの萌亞ちゃん、ずいぶん派手なご婦人と歩いてた」
それを聞いて、雷先が急いで女性に尋ねた。
「失礼、今のは本当か」
「ええ。たぶんあのご婦人、
「なんだって」
雷先は、女性に頼んで住所を聞き出した。そして李秀たちに報告する。
「場所は分かったが、ここからじゃ遠い。今日はいったん帰って、明日訪ねよう」
李秀たちは頷き、宿へ引き返した。
◇
煎じ薬を飲んだ鋼先は、再び深い眠りに就いていた。
雷先が、分かったことを魯乗に話す。
「ほう、老寅沢にいたのか」
「ああ。隣町だが、それでもけっこう遠い。まだそこまでしか分かってないが、とりあえず明日行ってみる。――ところで、鋼先の具合はどうだ?」
「昼に少しだけ起きて、薬と食事をしたあとは寝っぱなしじゃ。ただ、回復は進んでいるから、心配はない」
それを聞いた雷先は、鋼先の寝顔を確認すると、急にそわそわした態度になった。
「どうした雷先。なにか言いたそうじゃな」
李秀と萍鶴も、雷先を見た。
雷先は、突然表情を暗くする。
「……鋼先には言わないでほしいんだが、この前、
「うん、あたしたちに進路を教えてくれたときだね」
「そのとき、俺にだけこんなことを言ったんだ。――
そう言って、雷先は口を閉じた。
沈黙が一同を包んだあと、李秀が大きな声を出した。
「えっ? それも、
雷先は黙って頷いた。
「あのとき様子が変だったのは、それを聞いた直後だったからね」
萍鶴が察して言った。雷先はまた頷く。
「自分の進退をどうすべきか、迷っておるんじゃな」
魯乗が見透かすように言った。
「いや、俺は鋼先に命を助けられた。兄弟で、恩人でもある鋼先を見捨てるような真似はしたくない」
雷先は、きっぱりと言った。しかし、顔色は真っ青だった。
「兄弟揃って、無理をする奴らじゃな。誰だって、そんな言われ方すれば怖いに決まっとろう」
「そうね、あたしだって嫌だよ。でも、なんでわざわざそんなこと言ったんだろう」
李秀が首を傾げる。
そのとき萍鶴が、雷先をじっと見て言った。
「明日にも死ぬかも知れないのは、みんな同じよ。あなたは良かったじゃない。遭わなければ死なないという運命をもらえたのだから」
萍鶴の冷たく重い声に、一同は静まり返った。
ややあって、李秀の「そういう考え方もできるよね」という苦笑で、ようやく話はお開きになった。