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第九回 地霊星医院




 こうせんたち収星陣しゅうせいじんは、旅を続けて合肥がっぴの街に入った。


「おう賀鋼先がこうせん、久し振りだな。元気にしていたか? ……なんだか、人数が増えてるな」


 急に声をかけられて鋼先が振り向くと、馬に乗ったちょうおうきゅうがいた。鋼先が思わず声を上げる。


おうきゅうさん! 良かった、あんたも無事なようだな。そうなんだ、旅を続けるうちに、仲間が増えてね。紹介するよ」


 そう言って、まず萍鶴へいかくを呼び、挨拶をさせる。応究は小首を傾げる。


「……一度、お会いしたことがあるかな? いや、思い違いかもしれないが」


 鋼先は、はっとして思った。


(そうか、以前に萍鶴が家族と竜虎山りゅうこざんに来たとき、会ったことがあるんだな。応究さんには後で事情を説明しておこう)


 応究と萍鶴が、互いにきょとんとしているうちに、鋼先は魯乗ろじょうを引っ張ってきて教える。


「こちら、張天師様のご子息の張応究さんだ。頼りになる人だぜ。面識はあったか?」


「いや、話には聞いたが、会うのは初めてじゃ。お父上の知己で、魯乗と申します。よろしく」


 魯乗はそう言って、きちんと礼をする。


「おお、そうでしたか。父がお世話になっております」


 応究も魯乗に礼を返すと、賀兄弟の肩を叩いた。


「仲間も増えて、心強いな。私も順調に各地を回っている。だが、ここらあたりには道観も廟も無いから、宿は普通に取れ。じゃあ、私は行く。またどこかで会えるといいな」


 出発しようとする応究に、鋼先は百威を紹介し、驚かせた。そして、そっと萍鶴の話をして、状況を理解してもらった。




 やがて応究と別れ、収星陣は合肥の街中へ進む。


 応究の言った通り、周辺に道観が無かったので一般の宿に泊まったが、その翌日、異変が起きた。


「鋼先はどうした。まだ寝とるのか」


 賀兄弟の寝室に来て、魯乗が聞いた。いつもの隠れあされんをしていなかったのを不審に思ったのだ。


「そうなんだ。どうも様子が変で」


 らいせんが寝台を指さした。


「顔色が悪いな。どれ」魯乗が鋼先に触れる。


「熱があるぞ。おい、李秀りしゅうたちを呼ぶんじゃ」


 苦しそうに眠ったまま目覚めない鋼先を見て、李秀が言う。


天魁星てんかいせいの影響かな。鋼先はどうなっちゃうの、魯乗?」


 魯乗は手でなだめる仕草をして言った。


「いや、風邪のようじゃ。水に落ちたりしたし、疲れもあろう」


「良かった。まあ、体力ないもんね、鋼先」


「俺と違って鍛えてないからなあ」


「馬鹿もん」


「クアッ!」


 魯乗と百威ひゃくいが、叱りつける。


「鋼先のしんろうを想ったことは無いのか。魔星と融合され、過酷な旅を率いる立場になって、しかし自身は戦う力が無い。腕のあるお主らとは違うんじゃ」


 そう言われて、雷先と李秀は口ごもった。


「お医者さんに、診せた方がいいわね」


 萍鶴がぽつりと言った。李秀が首を傾げる。


「ねえ萍鶴、あんたの術で、鋼先を治せないの?」


 しかし、萍鶴は静かに首を振った。


「いいえ。私は、そうはしたくない」


「えっ? あんた、それどういう意味よ!」


 李秀がいきり立ったが、萍鶴はまた首を振る。


「術で回復させたら、鋼先はすぐに出発するでしょう。少し、彼を休ませてあげたいの」


「あっ……」


 萍鶴の気持ちを知って、李秀たちは黙ってうなずいた。




 雷先が宿の周りで聞いてみたところ、近くに腕のいい医者がいるという。


「名前が気になるんだ。地霊星医院、というらしい」


「地霊星、とな」


 魯乗たちが驚いた。雷先は頷いて続ける。


「本名は徐米芳じょべいほうというんだが、自分は地霊星という星の力を借りているからどんな病でも治せる、と言っているそうだ」


「魔星の名前で商売してるのね。そういう奴もいるのかぁ」


 李秀が妙に感心したので、魯乗が苦笑のように手を振る。


「こんな時に、また争いの種を見つけてしまったか。今は、収星のことは置いておこう。鋼先を診せるのが優先じゃ」


 皆は頷き、雷先が鋼先を背負って、一同は宿を出る。路地を抜け、地霊星医院へ向かった。




 意識のない鋼先を、徐米芳はごく普通に診察した。


「過労と風邪だな。かなり弱っている、しばらくはゆっくり休め」


「ありがとうございます、先生」


 雷先は、鋼先を抱えながら礼を言う。


「うむ。天魁星の兄者を、よろしくな」


 自然な口調でそう言われて、雷先は驚いた。


「あ、あんた……」


「やっぱりそうだろう。私には分かるよ」


 徐米芳は笑う。


 雷先は、「実は」と断ってから、魯乗たちを診察室に入れた。


 雷先と魯乗で、大まかに事情を話す。


 徐米芳は、それを聴いてしずかに頷いた。


「なるほど。地霊星の私に、この医師の身体から出て行けというんだね」


 雷先が言う。


「たった今世話になったばかりで申し訳ないが、解ってもらえると助かる」


「この辺りには、医者は私だけだ。人々の病を治している私が、いなくなってもいいというのか」


「あんたくらいの医者なら、弟子を育ててないのか」


「いるよ。だが、それが問題でね」


 徐米芳は、ため息をつく。そして、彼の悩みを話し始めた。




 もともと徐米芳はこの街の医者だった。不器用であまり頼りにされていなかったが、地霊星が気まぐれに取り憑いてから、腕の良い医者として評判が立つようになった。


 忙しくなってきたので、助手を雇うことにした。


 陸萌亞りくほうあという名の娘で、憶えが良く、いずれは後を任せることもできそうだと、地霊星は思っていた。


「ちょうどその頃、『地霊星医院』と名乗り始めたのだ。商売のためではなく、人界にいる兄弟に分かるようにしたかった」


 するとまもなく、地劣星ちれつせいの憑いた男が、彼を訪ねてやってきた。


 久しぶりに会った二人は楽しく酒を飲み、昔話に花を咲かせた。


 地劣星は、宿やどぬしにあまりんでいなかったらしく、泥酔すると宿主からじんしょうが抜け出てしまった。


 そのとき、片付けに来た陸萌亞が、つまずいて転び、地劣星にかぶさった。


「……で、地劣星は萌亞ほうあに入ってしまった。まずいことに、両者の相性が良かった」


「どうなったんですか?」


「おとなしい娘だったのだが、ひょうへんした。地劣星の意識は彼女に取り込まれ、私の言うことも聞かなくなり、ここを出て行った。……もう一ヶ月も前のことだ」


 徐米芳は、涙を流していた。


「萌亞さんに、本当に期待していたんですね」


 李秀が、気持ちを察して言った。


 徐米芳は頷いて続ける。


「私を収星するというなら、別に構わない。だが、その前に萌亞を連れ戻して、彼女にこの医院を継がせたいのだ」




 宿に戻り、鋼先を寝台に寝かせると、雷先たちは対策を練り始めた。


「俺が追魔剣ついまけんを持とう。鋼先はこのまま寝かせてやらないと」


「しかし、陸萌亞をどうさがそうかのう?」


 魯乗が首をひねる。


「私が捜すわ」


 そう言ったのは、萍鶴だった。雷先が頷く。


「何だか自信がありそうだな。よし、頼むぞ。ただ、誰か一人、鋼先についてやらないと」


 魯乗が手を挙げて、


「わしが残る。鋼先に薬草を煎じてやらんとな。そういうのは得意じゃ」


 役割が決まって、雷先、李秀、萍鶴、百威は宿を出た。魯乗は薬草を取りだし、分量を量り始める。


 そのとき、ずっと寝ていた鋼先が口を開いた。


「すまないな、こんなことになって」


「おう、気が付いたか。なあに、ずいぶん無理をしてきたんじゃ、ゆっくり休め」


 そう言って、魯乗は状況を説明した。


 鋼先は水を飲んで、また寝台に寝る。


「しかし、残ってくれたのが魯乗でよかった。ちょっと話したいことがあったんだ」


「なんじゃい、改まって」


 魯乗は手際よく薬草を煎じながら訊く。


「あんたに、この一行の副団長になってもらいたい。みんなにもそう言っておく。そうした方が、何かあったときにも混乱を防げる」


「鋼先、お主……自分が死んだ場合を考えているのか」


 魯乗が深刻な声で言った。鋼先は苦笑する。


「みんな、旅の目的がバラバラだからな。もし俺がいなくなったら、安全に解散させてくれ」


「その前に、副団長ならば、団長を死なせないように努めねばな」


 そう言って魯乗は、湯気の立つ煎じ薬を差し出した。




 ◇




 雷先と李秀は、はらはらしながら歩いていた。


 萍鶴の捜査方法に驚いていたからである。


 彼女は、女性とすれ違うたびに飛墨顕字象ひぼくけんじしょうを放ち、顔や手に「陸萌亞」と現すことを繰り返していた。


「陸萌亞本人でなくても、何かを知っている人であれば反応があるはず。それらしい人が出たら、聞き込みをお願い」


 萍鶴はそう言って、筆を壺にひたした。


「う、うまい方法とは思うんだけど、け、結構、大胆ね、あんた」


 李秀が、どもりながら苦笑した。


 ぼくを飛ばされた女性たちは、突然墨で汚れたことに驚きながら周囲を見回している。


 そんなことを続けながら街を回っていると、飛墨を受けたある女性が、突然声を上げた。


「なんだか、急に思い出したわ。徐先生のとこの萌亞ちゃん、ずいぶん派手なご婦人と歩いてた」


 それを聞いて、雷先が急いで女性に尋ねた。


「失礼、今のは本当か」


「ええ。たぶんあのご婦人、ろういんたくに住んでる宮苑凡きゅうえんぼんよ。金持ちで有名な」


「なんだって」


 雷先は、女性に頼んで住所を聞き出した。そして李秀たちに報告する。


「場所は分かったが、ここからじゃ遠い。今日はいったん帰って、明日訪ねよう」


 李秀たちは頷き、宿へ引き返した。




 ◇




 煎じ薬を飲んだ鋼先は、再び深い眠りに就いていた。


 雷先が、分かったことを魯乗に話す。


「ほう、老寅沢にいたのか」


「ああ。隣町だが、それでもけっこう遠い。まだそこまでしか分かってないが、とりあえず明日行ってみる。――ところで、鋼先の具合はどうだ?」


「昼に少しだけ起きて、薬と食事をしたあとは寝っぱなしじゃ。ただ、回復は進んでいるから、心配はない」


 それを聞いた雷先は、鋼先の寝顔を確認すると、急にそわそわした態度になった。


「どうした雷先。なにか言いたそうじゃな」


 李秀と萍鶴も、雷先を見た。


 雷先は、突然表情を暗くする。


「……鋼先には言わないでほしいんだが、この前、九天玄女きゅうてんげんじょ様と六合慧女りくごうけいじょ様が来ただろう」


「うん、あたしたちに進路を教えてくれたときだね」


「そのとき、俺にだけこんなことを言ったんだ。――あんの名が付く魔星に遭ったとき、俺は死ぬ、と」


 そう言って、雷先は口を閉じた。


 沈黙が一同を包んだあと、李秀が大きな声を出した。


「えっ? それも、西せいおう様の予言なの」


 雷先は黙って頷いた。


「あのとき様子が変だったのは、それを聞いた直後だったからね」


 萍鶴が察して言った。雷先はまた頷く。


「自分の進退をどうすべきか、迷っておるんじゃな」


 魯乗が見透かすように言った。


「いや、俺は鋼先に命を助けられた。兄弟で、恩人でもある鋼先を見捨てるような真似はしたくない」


 雷先は、きっぱりと言った。しかし、顔色は真っ青だった。


「兄弟揃って、無理をする奴らじゃな。誰だって、そんな言われ方すれば怖いに決まっとろう」


「そうね、あたしだって嫌だよ。でも、なんでわざわざそんなこと言ったんだろう」


 李秀が首を傾げる。


 そのとき萍鶴が、雷先をじっと見て言った。


「明日にも死ぬかも知れないのは、みんな同じよ。あなたは良かったじゃない。遭わなければ死なないという運命をもらえたのだから」


 萍鶴の冷たく重い声に、一同は静まり返った。


 ややあって、李秀の「そういう考え方もできるよね」という苦笑で、ようやく話はお開きになった。

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